援護
「――っ!?」
私目がけて振り下ろされたナイフは、けれど、予知の再現になる直前、心臓の真上でピタリと止まった。
「…………」
ずっと余裕だったトロイの表情が歪む。
大暴れする心臓をなだめかけているところでの、予想外の一言。
「――あの王子……やってくれたね」
忌々しげに吐き捨て、ナイフを持った手を引いた。
「キアラン?」
なんでここでキアラン?
誘拐直前のやり取りを思い返してみる。何をやったっけ?
私を助けようとしてくれたけど、トロイの強固すぎる結界に阻まれてしまった。通った攻撃は、手首へのかすり傷だけ。
他に、何かしてた? 目に見えない効果だとすればそれは、王家の特殊能力関係――?
少し考えて、目の前の出来事と原因が結び付く。
「――トロイ……私を、攻撃できないの?」
直接の危害を加えられない? これ以上黒い瘴気を送り込むことも、ナイフを肌に突き立てることも。
「これをやるための時間稼ぎでもあったわけか」
トロイは苦々し気に、それでも感心したように呟き、ガシガシと頭をかいた。
「僕の防御結界は、君のパパぐらいでもなきゃ絶対破れない自信があったんだけどなあ。物理攻撃も、魔術の直接攻撃にもほぼ無敵の超傑作。誰に何されようが問題ないと思ってたから、あそこで正体曝したのに。あ~、甘く見てた。唯一の弱点突かれちゃったよ。実は精神感応系だけ、ちょっと相性悪いんだよね」
失敗した~とぼやく様子に、ふと思い出した。
国から誘拐対策にと、ユーカと同じ簡易結界を渡されている。私は守護石があるから、あまり活用してはいないけど、ユーカが学園に通えたのはそれのおかげだった。
確かあの簡易結界も、効果の対象を『物理』と『転移』に特化させたせいで、精神系の防御が頼りなかったんだよな。トロイのも同じってことか。
今更言ってもしょうがないけど、機械的な装置として作用する簡易結界だったら、トロイの転移は防げてたのかもしれない。守護石は、私の意志で左右できるのが、利点で弱点でもある。今回は私の状態をコントロールされたせいで、まんまとしてやられた。
ああ、だから邪魔なユーカが闘技場からいなくなった後、真っ先に私のバッグが排除されたわけか。中に簡易結界を入れてたから。
最近警戒が厳しい私をさらうのに、これ以上ない千載一遇のチャンスだった。こんなエサ目の前にぶら下げられたら、私がトロイでも賭けに出たかもしれない。
トロイはまるで素振りでもするように、何度か私の胸にナイフを振り下ろす。
「う~ん、なんだろうコレ。なんか操り人形になったみたい。洗脳されるのってこんな感じなのかな? 自分の体なのに、思い通りにならない。意識は明確なのに、腕が勝手に止まっちゃうな」
初めての経験を面白がるように繰り返す。
「ちょっと、いい加減にしてくれる!?」
何回やってもギリギリで止まるけど、分かってても心臓に悪いんだよ!!
「あ~あ。とんだ伏兵がいたもんだね。君にやったのと同じことを、まんまとやり返されちゃったよ。参ったわ、これは。防御結界越しにもこの効果とか、ちょっとスゴイんじゃない? これが王家の隠し技だったわけだ」
魔術研究者でもあるトロイは、検証と分析をする。
さっきからぺらぺら語るのは、やっぱり私を生かして返すつもりがないからなんだろうな。
けれど危害の方法には、確実に制限が付けられた。
死神に殺されるイメージを折に触れ抱えてきた身としては、心理的な負担が段違いに軽くなった。
――それにしても王家の隠し技、か。
なるほど、精神感応系。周囲のパフォーマンスを増減させる王家の能力の根本って、メンタルへの干渉なんだ。
さすが超体育会系国家をまとめる総監督。曲者だらけの選手をうまいことコントロールするのに最適な力かも。
つまりキアランは、私にナイフを突き付けて牽制してくる相手に、時間稼ぎをしつつもただ無力に睨み合うことしかできず――そう見せかけて、その実裏では、トロイにそれこそ洗脳に近いような強い暗示を試みていたんだ。
だとするなら真っ先に仕掛けた命令は、防御を解けとか、転移するなとかだったはず。
ただトロイは、魔物のグレイスとまるで同一かのような、異様な存在。普通の人間の範疇には入らない。暗示のかかり方も、不安定。
結局、結界は解けなかったし、転移で連れ去られることになった。
それでもキアランは、私を連れ去られる可能性も冷静に見据えた上で、あの場面でできる限りの手を打ってくれてたんだ。
私が気付かなかっただけで、きっと他にも色々と。
そしてそのうちの一つが功を奏した。明快な分、強力な暗示。
――多分、グラディス・ラングレーに危害を加えるな?
おかげで、少なくともトロイが今、私を直接手にかけることはできなくなったみたいだ。これ以上洗脳も進められない。
さしあたり血祭から免れるだけでもかなりありがたい。生贄にするつもりだったなら、儀式で必須だろうし。スプラッタなんて、見るのもされるのもゴメンだ。
別れる瞬間まで、必ず助けると目で語っていたキアラン。言葉で表現しようのない気持ちがこみ上げた。
ここにいないのに、守られていることを実感する。
「なに? 嬉しそうだね?」
思わぬ妨害で予定が狂ったトロイが、ちょっと不機嫌そうに見下ろしてきた。
「あんたが悔しがってる顔が見れたからじゃない?」
私も私で、助けが来るまで少しでも戦うぞと、憎まれ口を返しながら、心を強く持つ。
さしあたり助かるために今、何ができるだろう。
手っ取り早いのは魔力の奪取だと思ってたけど、この場所はトロイ以外、魔術が使えないって言ってたな。嘘でなければ。
じゃあ、トロイの魔力を私が奪って使った場合はどうなんだろう? 確認したい。さっきは右手でダメだったから、次はマシな状態の左手でトライだ。
それでもダメなら、虫唾が走るけど全身使ってみるか? 接触面積が増えれば、なんとかなるかもしれない。最悪色仕掛けも覚悟しとこう。
少しでも魔力が補給できたら、転移魔術で即座に逃げてやる。魔術が発動さえすればだけど。
今だけ触るの許してやるから、さっさと来いや! このセクハラ野郎!!
内心でファイティングポーズを取った矢先、トロイの手が、私のウエストラインをいやらしい手つきで撫で下ろしてきた。
「~~~~~~~~~~っ!!?」
ひいいいいいいいいっ、早速来やがった!! やっぱ無理!!
信じられないくらいぞっとして、鳥肌が一瞬で全身に走る。
「触んな!!」
身をよじらせて、反射的に蹴りを繰り出す。タイトなスカートと体勢の悪さのせいで空振った。
「おおっと、怖いな~。きっとキアラン王子も『触るな』って暗示とかも出してたんじゃない? それこそ手当たり次第に。そっちは効果なかったみたいだね。とりあえず触る分には問題なしと。そこ、特に重要だったろうにね、あはははは、残念!」
涼しい顔で笑うトロイを睨みつける。くそう、もうちょっとこっちに来い! 急所蹴り上げたらあ!
触ってくるのも検証ではあるんだろうけど、コイツのやることは基本的に明らかな嫌がらせだ。
「ああ、そういえば――」
反抗的な私を愉快そうに眺めながら、その手を私の胸に伸ばしてきた。
「ちょっ、触らないでっ!!?」
「ずっと、気になってたんだよね――ったっ!?」
かすかに触れた瞬間、静電気でも走ったように、トロイの手が弾かれた。
「やっぱり。ここに、何かあるよね」
手を振って痛みを紛らわせながらも、その声が冷ややかになったのが分かって、はっとする。
そっちかあああっ!!!
トロイの目は、服の内側にある守護石を真っ直ぐ見据えていた。




