第21話 法的措置を取ると言われました
文書が、私の手から滑り落ちた。
『これが認められない場合、スィフト国は国際的な法的措置を取る用意がある』
お父さんとお母さんの顔が思い浮かんだ。
私は祖国の裏切り者になってしまった。
どうして。
どうして、こんなことに。
「お嬢様…」
ユゼフの声が遠くに聞こえる。
いや、私だけの問題じゃない。
この国は責任を追求されるだろう。
最悪の場合、戦争すら…。
「マリ様」
秘書さんの顔が青ざめている。
「政府の高官が大会議室にいらしています。今すぐに来てほしいとのことです」
「政府…」
立ち上がろうとして、膝が震えているのに気づいた。
私はどこで間違えたのだろう。
女性が過ぎた夢を見たから?
外国人が調子に乗ったから?
貴族としての責任を放棄したから?
勝手に家を出たから?
「お父さん、お母さん、ごめんなさい…」
よろけて壁に手をつく。
壁をつたいながら、廊下に出る。
周囲の視線を感じた。
『あの女のせいで、我々の国が』
そんな声が聞こえてきそうだった。
重い足をひきずりながら、ようやく大会議室の前に着く。
深呼吸をする。
中に入ると、見たこともない顔ぶれが並んでいた。
「マリ・ラ・ジョリオ」
年配の男性が冷たい声で名前を呼んだ。
「はい」
反射的に出た声は震えている。
「座りなさい」
指定された席は、まるで被告人席のようだった。
「スィフト国からの申し立てを確認した」
声の低い男性が書類をめくる。
「極めて深刻な内容だ。もし事実なら、我が国の国際的信用は地に落ちる」
「事実ではありません」
祈るように声を出す。
「では証明できるか?」
体の大きな男性が鋭い目で私を見る。
「あなたの研究が、完全にオリジナルだと」
「もちろんです。私の研究ノートが」
「ノート?」
年配の男性が苛立ち含んだ冷静な声で言う。
「そんなもの、いくらでも偽造できる」
確かにその通りだ。
「必要なのものは、客観的な証拠だ」
声の低い男性が続ける。
「例えば、公的な記録、時系列の矛盾を示す文書…」
「公的な記録、ですか」
言葉を飲み込むために、言葉を繰り返すことしかできない。
「24時間」
体の大きな男性が遮った。
「それが我々の結論だ。24時間以内に明確な証拠を提示できなければ」
重い沈黙が流れる。
「あなたの研究発表を中止し、調査が終わるまで軟禁する」
軟禁。
つまり、事実上の逮捕だ。
「残念ながら」
声の低い男性が言葉を付け足す。
「証拠が不十分な場合、我が国はあなたをスィフト国に引き渡すことも検討する」
引き渡し。
ケルヴィの顔が脳裏に浮かんだ。
彼の手に落ちたら、どんな扱いを受けるか。
「そんな…」
「これは国家の問題だ」
声に感情がない。
「個人の都合や感情は考慮できない」
先回りして言葉を言ってくる。
私にそんなつもりはない。
優先すべきは私なんかより、国家。
わかっているつもりだ。
でもそれを言うのが政府の仕事だ。
それもわかっている。
わかっているけど。
悔しい。
「分かりました」
声に怒りがにじむ。
私があんなやつのためにつぶされてたまるか。
「24時間で、必ず証明してみせます」
「期待している」
きっと期待していない。
祖国の要望は、私の身柄の引き渡しだ。
私が証明できなければ、その要望をのめば済む。
大会議室を出て、研究室に戻ろうとすると、
「お嬢様!」
ユゼフが駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか? 顔が真っ青です」
「ユゼフ…」
声を出した途端、涙があふれてきた。
「きっと天罰よね。私が好き勝手やってきたばかりに、いろんな人に迷惑をかけてしまった」
今まで堪えていたものが、一気に崩れた。
「ごめんね、ユゼフ、ごめん…」
ユゼフの前だと弱い自分が出てくる。
情けないな…。
「何を言ってるんですか!」
ユゼフが私の肩を掴む。
「お嬢様は何も悪いことしてない! むしろこの国に尽くしてきた! こんな扱い、あんまりだ!」
足音が近づいてきた。
「マリ様」
バンデンさんだった。
「キュリー…公爵閣下は?」
思わず聞いてしまう。
「公務でお戻りになれません」
「そう、よね」
私は何を期待してしまっているのだろう。
立場もある。
私なんかのために、動けるはずがない。
「立てますか?」
バンデンさんが手を差し出す。
「ええ」
手をつかむ。
力強く引っ張られる。
思わずバンデンさんのほうに倒れ込む
「あなたはこんなところで終わるような人じゃない」
支えられるのと同時に、バンデンさんにそうささやかれた。
「共に戦いましょう」
「共に…戦う?」
「そうです。ここでは多くの目があります。あとで話しましょう」
「でも私は」
「あなたはここに錬金をやりにきたのではないですか? もう気が済んでしまいましたか?」
驚いて何も返事ができない私をの肩をつかみ、立たせてくれた。
「失礼いたしました。おケガはありませんか?」
バンデンさんはいつもの口調で言う。
「ありがとうございます。もう平気です」
おかげで、心が落ち着いた。
もうやるしかないんだ、私は。
「その顔なら、だいじょうぶですね。ではまた会いましょう」
研究室に戻ると、すでに警備員が配置されていた。
監視されている。
もう、犯罪者扱いだ。
「お嬢様、まず何から始めますか?」
ユゼフが聞いてくる。
何も分からない。
であれば、思考すればいい。
紅茶をいれるために茶葉を戸棚から出す。
「あ、僕がやります」
ユゼフが気づかってそう言ってくれる。
「これは私にやらせて。これをやると不思議とアイディアが出るの」
そう。
私はこうやって乗り越えてきた。
無意識にダージリンティーを選んでいる。
ケルヴィは必ず、偽の証拠を用意しているはずだ。
彼は几帳面で、用意周到な男だから。
私は?
研究ノートと、失敗の記録と、ユゼフの証言。
それくらいしかない。
ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
入ってきたのは、意外な人物だった。
「ジェイムスさん」
「お久しぶりです、姫様」
相変わらずの優雅な物腰。
でも、その目は真剣だった。
「力になれることはありますか?」
「どうして」
「当然でしょう。私の大切な投資案件が、つまらない政治に潰されそうなんです。黙っているわけにはいきません」
ジェイムスさんの言葉に感情がこもる。
「今回の件、国際的な権利の問題の先駆けです。これから、こういうことが増えてくるでしょう。これを政府は貴女の引き渡しで済まそうとしている。貴女という国の宝を失い、国の威厳も下がる。国の外交としては最悪です」
ジェイムスさんが少し顔を赤くして顔をそむける。
「もちろん、大切な人を守りたいというのもあります」
涙がこぼれそうになった。
「とても嬉しいです。ありがとうございます」
「いえいえ。お礼はこの事態を乗り切ったあとにお願いします。これで役に立てなかったらカッコ悪いですからね」
ジェイムスさんが笑う。つられて私も笑う。
「なにか証拠などありますか? 貴女の研究が貴女のものであるという証拠は」
「証拠、私も考えているのですが、研究ノートくらいしか思い浮かばなくて」
「そうですか…」
ジェイムスさんは考え込むような仕草をした。
「発想を変えましょう」
「発想を変える?」
「ええ。こちら側の証拠を固めるのではなく、あちらの嘘をつきましょう。必ずどこかに綻びがあるはずです。完璧な嘘など存在しません。特に、感情で動く人間の嘘は」
確かに、ケルヴィは感情的だ。
特に私のことになると。
「まず、敵を知ることから始めましょう」
ジェイムスさんが立ち上がった。
「時間が惜しい。私は私で動きます。お互いに最善を尽くしましょう」
そう言って、彼は去っていった。
一人きりになった研究室で、私は考える。
飲み頃になったティーに口をつける。
ふわっとダージリンの香りが鼻腔に広がる。
ケルヴィの弱点。
彼の嘘の綻び。
それを見つけられれば、まだ希望はある。
でも、どうやって?
時計を見る。
タイムリミットを告げられてから1時間が過ぎ、残り23時間。
私の人生を決める23時間が、静かに動き始めていた。




