No.Ex 女帝と狂女戦士と▇▇▇とⅢ
マヌス君背中から殴ってくるのほんとヤメテ
女帝にそう言われても、キアラにはその答えが見つからなかった。
違い自体を見つけることはできても、それが女帝の求める答えではないと感じていた。
キアラ自身とアサネを比較しようにも、元が違いすぎて想像ができない。
金銭的に大いに恵まれた衣食住に不自由のない家庭環境。
親子仲に問題があったようだが、キアラからすれば問題にすらカウントされない些細なものだ。根本的にお互いが家族として愛し合っている時点でキアラからすれば甘えるなとアサネに吐き捨てたくなる。
父親はどうやっても擁護できないクズだった。
母親は情が欠けていたわけでは無いが頭が足りて無いタイプだった。惚れた男を盲信して、夫の暴虐が悪い事だという判断ができなかった。
それに比べて人格者の父親と表現が異常に不器用な母親なだけの母親などキアラからすればイージーモード過ぎる。
根本的に性格も大きく異なる。
お互い口の上手いほうではないが、アサネは根が明るい。周囲の影響でどもり症は完治しつつあり、周囲にも自分の意見を伝えられるようになった。周囲に善意で向き合い、素直な感情を向けられるのは、根本的に人という存在を信じているからだ。
一度歯車が噛み合えばこの手のタイプは勝手に回復して常人を抜き去る勢いで成長し始める。今のアサネがまさにその最たる例だ。
それと比べて自分はどうだ。
キアラは自嘲する。
親とか家庭環境の前提を差っ引いても自分の性格はなんてひどい有様なのか。
人を痛めつけることに欠片も躊躇いがない。
むしろのたうち回っている様子を見るといい気味だと思ってしまう。
人の苦しむ姿を見てもまるで同情心がわかない。
人の善意や良心というものが信じられなくて、人は悪意でできていると思っている。すべては打算ありきに思える。
自分より優れたものを持つ者すべてが憎たらしい。
自分より輝いたものが泥に沈むと愉快に思う。
血のつながった娘にもためらいなく手をあげてゲラゲラ笑っていた父親の薄汚い性根が自分の中にあることを否が応でも理解してしまう。
そんな自分自身が嫌いで嫌いで仕方がない。
しかしその嫌悪は、記憶から完全に抹消したい父親に似ていることが理由なのであって、自分の腐りきった性格そのものにまるで後悔とか反省の感情など沸かない。
血は水よりも濃し。
その特性は呪縛にも似て。
嗚呼、こんな女を誰が愛してくれるというのか。
こんなに吐き気をもよおすほど苦しいのに涙がまるで出ない壊れた女を。
アサネと自分を比べるほど惨めになる。何が違うかなんて問われるまでもない。全部違う。
世界に純粋な善意で向き合ってる女と悪意で向き合っている女を比べても、自分の嫌なところが目につくだけだ。
「ハーーーーーーーー…………」
思索するだけ不快になり顔が歪む。
その表情を見て女帝が呆れたように深くため息をつく。考えていることが手に取るようにわかるといわんばかりに。
そしてツレがたまに見せる昆虫のような感情の見えない瞳でギョロリと顔を下から覗き込んだ。
「教えてほしい?」
このままだと一生答えにたどり着きそうにないと察した女帝は、もうキアラの思考能力はあてにしないと決めた。
最後通牒だ。
「この答えの言うとおりにすれば、たぶんトーはあっさりOK出すよ」
それは魔法のような言葉。
全部を諦めて生きようとした少女が、最後に唯一欲しいと思ってしまった王子様の愛。それを簡単に手に入れられると女帝は言う。
ほかの人がそう言えば金切り声をあげてキアラは首を絞めて殺していたかもしれない。
お前に何がわかると。
その愛を手に入れるために自分がどれほど狂って引き戻せなくなったか知らないくせに。
その王子様がどれだけ訳の分からない奴か知らないくせに。
王子は自分の周囲の連中がどれだけ怪物か語るが、キアラからすれば王子本人が一番怪物だとずっと思っている。その怪物たちを周囲に囲っておいて、あまつさえ振り回してハーレム築いているあんたの方がよほどイカレてると。
その怪物の愛を簡単に手に入れられるわけがないと。
だが、この女だけはその言葉を口にする資格がある。
愛した男の壊れた思考回路を正確に理解しつつも尚愛し、ハーレムを良しとした狂った女だけは。
一番最初にノートを陥落させたジアだけは。
おそらくジアは正しい答えを知っている。
キアラはそう感じる。
誰よりも憎くて意識せざるを得ない存在だから、想い人と同じくらいジアの事もキアラはよく理解しているのだ。
故に、これが悪魔の契約であることも知っている。
「何が、条件?」
自分の欲しいものをこの女が無条件で差し出すわけがない。
嫌いであるがゆえに、信頼がおける。
意地をはってどうにか独力で頑張ってきたが、ついに心が折れた。
自分が意地を張るよりも、その男の愛を求めてしまった。
喉から絞り出すような声はがさついていてまるで他人のようで。
本能が引き返せと全力で警鐘を鳴らしている。この女だけには弱みを見せるなと。
ノートがキアラを完全に見捨てることはないと察し、あるいは見捨てさせようとすれば反目されると察し、見捨てさせるより手駒にすることに進路を切り替えて年単位で屈服する瞬間を待ち続けたこの狂った女に。
いつかノートの善意に心がつぶれそうになって、自分に縋ってくると見越していたこの女帝に。
「ずっとアタシの味方で居てほしいな、アタシの事は嫌いなままでいいから」
マイルドな表現にして女帝は無表情にそう述べるが、正しく真意を表すならこうだ。
この先、お前の感情など無視して永遠に絶対服従しろ。
一番嫌いで憎くて信頼を置きにくい性根をしている存在だからこそ、自分の一番近くにおいて重用しようとするその根性。
裏切ってみろ。お前なんて簡単に捻りつぶせるといわんばかりの目。自分以外の全てを下に見てる傲慢な魔王の目。
その姿が嫌に想い人と重なる。
だからこの女がキアラは嫌いなのだ。
「いやッ」
その言葉は勝手に出てきた。
拒絶された女帝よりも口にしたキアラの方が困惑と驚愕を抱いた。
我儘な子供のように幼くも、ハッキリとした迷いのない言葉だった。
幼い心を守るように作られた強力な外皮。ぶ厚すぎて外皮が本体と癒着し、原型などとっくに失われていたと思っていたのに、かすかに残った心が叫んだ。
そんなことして、そんなやり方でも愛を求めてなにになるのか。
今まで自分は何のために意地を張ってきたのか。
自分のため。自分の納得のため。その通りだ。
けどそれ以上に、堂々と想い人と向き合いたかったから。
同じ目線で話したかったから。
そうだ。あの幼いころはそれだけが望みだった。
ありがとう、そう自分の言葉で、まっすぐに顔を見て伝えたかった。
その為に、ここまで足掻いてきた。
なんてくだらない遠回り。ただ一つ真面目に感謝の言葉を伝えるだけにどれだけ寄り道してきたのか。
家でも学校でも何のために生きてるのかわからないような状態で、誰もまともに自分を見てくれない。それが当たり前で疑問にすら思ってなかったのに。隣の席になったというだけで話しかけてきた男の子にどれほど驚いたか。生まれて初めて自分を、五六姫晶来を1人の普通の少女として認識したうえで接してくれたことがどれほど救いになったか。
言葉にできなかっただけで、たくさん話しかけてくれた時、自分も話したかった。今は減らず口しか出てこないこの口で、沢山話したかった。
この女に屈服したら、自分は唯一大切に守り通してきたこの想いすら穢してしまう。本当の意味で一生対等に向き合えなくなる。
「いや、です」
今度ははっきりと、自分の意志で。
本心を覆い隠す癖がついたキアラにとって、本当の気持ちを言葉にするのは吐き気を催すほどの苦痛だ。そうでもしないと五六姫晶来は壊れてしまっていたから。
苦しみもなにかも他人事みたいに捉えていれば、何も考えずにいればよかった。
解離症というのはフィクションで描かれるようにハッキリと表面化することは少ない。記憶が完璧にすっ飛ぶわけでもない。
弱くて幼い心を押し込んで、サンドバック用の精神的外皮ですべてを無機質に受け流す。
表面上の言動と内心の感情が釣り合わなくて。いつもどこか他人事。恐怖心が摩耗しきっていて、涙も枯れて。
サンドバック用の人格が強くなりすぎてそちらが本体になってしまったから。
されど、元の姫晶来が完全に消滅したわけではない。
サンドバック用の人格が何をとち狂ったか「自分を守る為の強き存在」を作り出すために想い人の模倣など始めたものだからキアラは複雑怪奇な精神性を得た。ダミーにさらにダミーを重ねたせいで姫晶来本人でさえ自分自身の本心がよくわからなくなった。
恐怖に立ち向かわずに逃避を選択した姫晶来の心の致命傷は小学校の時から殆ど癒えていない。故に表に少しでも出せば傷口から血が噴き出す。
だが、キアラは苦痛と同時に何か生まれ始めて感じるような清々しさも感じていた。
「嫌です」
姫晶来はジアの目を真っ直ぐに見て言葉にした。
この心の激痛が、いつもの全てが他人事めいた冷たい感覚を否が応でも打ち消す。
苦しくて怖い。
ジアの今の目は常人ですら向き合えば恐怖を感じる瞳だ。
幼い少女の心で向き合えば恐怖はより強くなる。
それでも五六姫晶来は目を逸らさなかった。
「へー」
キアラと長い付き合いの人間ほど驚くような姿であったが、それを見る女帝の目は実験用のラットが予想していた研究結果と少し違う挙動を見せたものを見るくらいの目だった。
予想外であっても、想定の範囲を外れたわけではないのだ。
「ようやくまともに自分自身で口きくになったんだ?」
キアラの精神の変容を完全に見透かしたかのようにジアは無感動な口調でそう問いかける。
玉座に腰掛ける女帝と跪く奴隷との関係から、女帝は初めて同じテーブルに着いたようにソファに腰を下ろした。
ノートがキアラの状態に気づいていないわけがない。
これが真っ当に患者とカウンセラーの関係ならノートも違うアプローチをしていただろう。
ただノートが正しく五六姫晶来の状態を認識した時には完全に関係が拗れていてどうしようもなくなっていたのだ。
不安定過ぎる心の支柱にノート自身がなってしまったがために、ノート自身で動けなくなった。
故にこの不健全な状態を正すのは第三者にしかできなかった。
女帝はニィと嗤った。
治るとか治らない以前に完璧に狂ってる女帝は五六姫晶来より遥かに質が悪い。
確かにトリガーは転勤族の両親に付き合って世界を渡り歩いた幼少期の度重なる環境の激変ではあるが、それは生まれつきのものが表面化したに過ぎない。本質が表に出るのを早めただけだ。
五六姫晶来という樹木が周囲からの強烈なストレスで根の芯以外が腐って変質してしまったのだとしたら、ジアーナ・ガブリーロヴナ・バザロヴァは元からそういう生き物なのだ。
この女からすれば、キアラが奴隷になっても、自分に反抗して覚醒しても、どっちに転んでも損はない。
奴隷になるのなら一生飼い殺してハーレム経営に利用すればいい。
キアラから姫晶来を開放できたのなら、ノートの抱えていた巨大な問題を解決したことでノートに一生涯級の恩を売れる。
人が嫌がるものへの抵抗するときの力は非常に強い。
人格や記憶や人として当たり前の本能すら捻じ曲げてしまうのだ。
時に逃避の力は自死すら選択させ得る。
好きなものに向き合おうとしてもこうはいかない。
姫晶来が自分が一番を嫌っているという事実を逆に利用して、ジアは『姫晶来』をキアラから強引に引っ張り出した。
されど何かが大きく変わったわけでもない。
ゴロワーズの主人格は既にキアラだ。
これはきっかけに過ぎない。
ジアは知っている。
キアラが自分の末妹を守るために自分の心が砕けそうになるほど必死に足掻いたことを。
本当にキアラの自己評価通りに姫晶来が腐った奴なら、末妹を犠牲にしていたはずだ。姫晶来本人は知る由もないが、その末妹は今だに姫晶来に感謝しているし、直接会ってその心を伝えたいと願っているのだ。幼い時の事でも、末妹は確かに長女の愛と優しさを覚えていた。
姉妹して、根本にあるものはよく似ていることをジアは知っている。
なんせ直接会ったことがあるのだから。
想い人の周りにいる女の弱みを握るべく穿り返せるもの全部を穿り出すこの女は、ツレとよく似たことをしでかしていた。
だが、そこまで教えてやる義理はない。
自分で過去と向き合う気になって初めて、妹に会うべく自分で動くべきなのだから。
キアラが姫晶来を受け入れる一歩を踏み出させてやった。あとはキアラがどうするかだ。
「そもそも告白ってさ、一発逆転のチャンスじゃなくて勝ち確状態で行う確認行為なんだよね。アサネちゃんとか意外とちゃんと勝算あって告白してたしね。高校時代の貴方は早まったよね」
キアラは揺らぎ精神的防御が大きく下がったと見るや、女帝は今までの意趣返しと言わんばかりに本音を軽くぶつける。
その女帝の指摘は図星だったのでキアラはうぐっと反論を喉に詰まらせる。
「けど今なら勝算あるんじゃない?」
そして続く女帝の言葉に姫晶来はハッとする。
負けたと言わんばかりに少し呆れた目で、既に怒りを失った目で女帝は顔を上げた姫晶来を見つめる。
長い時を共に過ごしたが、双方互いの顔を真っ直ぐ見つめあったのはこれが初めてだった。
憎たらしいくらいに綺麗な顔をした女帝。
その美麗な顔には珍しいことに呆れと共に称賛があった。
「虚仮の一念岩をも通すを見事に体現したよね。10年を軽く超えてずっと後を追い続けるとか。負けた。アタシの負け。貴方頭おかしいよね」
お前だけには言われたくない。キアラはそう思う。
誰よりも憎くて、されど王子攻略の手本として1番参考になりそうな相手故に観察してきたからこそ、キアラは女帝がとんでもない狂人である事も知っている。
その狂人がノート同様に自分の事を棚に上げてキアラを狂人だと笑う。
それは純粋な笑みではないが、女帝がキアラに向けた初めての素の笑みだった。
キアラは女帝に意地を張っていたが、女帝もキアラに意地を張っていた。それが無駄な事だと理解していたのに。自分がどれだけ恵まれていたかも知らずに、過去を盾にしてどっちつかずにして自分の彼氏に甘え続けていた女にムカついていた。それを正したければ答えを与えればいいのに、女帝はそうしなかった。
元々彼女が増える事自体は拒否してないのだ。
故にこそ今この瞬間まで反目しあったのは、やはり無駄な意地の張り合いでしかないのだ。
「面白いもの見れたし、教えてあげるよ。貴方がどうするべきか」
“キアラ”は恩と義理をいざとなれば容赦なく捨てる外道だが、“姫晶来”はそこまで割り切れない。
本心を引っ張り出せることはゴロワーズの弱体化を招くかもしれない。苦しみを無視するのではなく真正面から向き合ったうえで乗り越えるまでしばし時間がかかるだろう。
ただ、ここまでやればツレがあとは上手くやってくれると女帝は、ジアは信頼してパスをする。
恩は最大限高値で売るに限る。
憎くても、愛を得るための答えを聞けば姫晶来は女帝に本気で敵対できなくなる。感謝の念は憎しみと同じくらい厄介な代物なのだ。
それを知っているから、ジアは一生涯級の恩を一番高値になったタイミングで強制的に売りつける。
「トーにはね、―――――――――すればいいの。アサネちゃんとの違い、わかった?じゃあバレンタイン頑張ってね」
用は済んだ。
そう言わんばかりに予想外のアンサーで唖然とするゴロワーズを残してジアは画面録画をオフにしてログアウトした。
尚弱みはキッチリ握る女帝




