No.525 勝ちに不思議の勝ちあり
「マッチも終わりに向かってる!さぁ、倒そうか!」
「はぁ!?」
チョコ寄越せモンスター、正式名称第五種NPC『Armoured Cybister chinensis Valentine.ver』。日本語に訳せば『装甲ゲンゴロウ/バレンタインVer』、と言ったところか。
ゲンゴロウは22世紀絶命危惧種指定が続いている昆虫で、20世紀以前には田んぼでよく見られた昆虫だ。肉食の昆虫で、主に田んぼの中のオタマジャクシなどを捕食する。
オタマジャクシが成長することで誕生するカエルは田んぼにとっての害虫を捕食する益虫であり、その益虫を捕食する存在として米へのエネミーとしてIkkiでは扱われたのだろう。
メルセデスが必死に仕様改変前の装甲ゲンゴロウがどんな性能か思い出しながら距離を取ろうとしていると、切迫した状況とは場違いなくらい明るい声が思考に割って入った。
「バレンタインイベントミッションであったよね!バレンタイン限定仕様第五種の討伐って!」
「コイツを!倒すというのか!?」
「当然!」
ラノ姉が死ぬならここがベストなタイミングだったはずだ。
勝てないにせよ、農民が武士を相手に、素人がプロゲーマーを相手に生き延び続けた。十分過ぎる程の戦果だ。ここで第五種を召喚して自分は計画的死亡。あとは1人ヘイトが集中したメルセデスが無様に逃げ惑えば撮れ高としては十分だ。
「チームマッチで迷惑かけちゃったなら!ここでポイントを取り返すしか無いよねぇ!」
「言うは易しだが!この手数でか!?」
そんな逃げ道をマトモなふりをするのが得意な狂人が蹴り飛ばす。
このIkkiというゲームは再三繰り返すが殺し合いのゲームではない。制限時間の中、農民はより多くの米を手にして、武士は米をできる限る防衛し、最終的に多くのポイントを獲得した者たちが勝者となる。
お互いに放置しておくととんでもない事をしでかす駒を抑え合っているので結果的には評価できるかもしれないが、米の絡まないところで勝手にドンパチしているだけではスコア上は±0。むしろ居ない分失われたチャンスだけ大きな損失だ。
ではここから2人がそれぞれのチームに貢献する最大の方法は?
その答えが目の前にいる。
地面より這い出たゲンゴロウは鋭く大きな前脚を振り下ろす。ピッケルの様に地面に突き刺さる前脚は2匹の地を這う虫を取り逃す。
防御にパラメータが割り振られているため、直接的戦闘能力には特化していない。ラノ姉のパラメータでもギリギリ躱せる。
「私たちに残された道は!ボーナスポイントでチームに貢献する!それだけでしょ!」
前脚振り下ろし、姿勢を低くしてそのまま脚を薙ぎ払い、からの掬い上げ。
直接的戦闘能力は特化していない。他の第五種と比較すればそんな評価を与えられる。されどそれはゲンゴロウの戦闘能力が低いと言っているのではない。
全ての人類の天敵の役を与えられた第五種はどいつもこいつもレイドボスに恥じない強さを持っている。戦況をカオスへと書き換えるトリックスター的な立ち位置を担うに十分な能力。
立ちはだかり、妨害する。
ゲームを眺める観客からしたらある種興醒めなまでの存在。しかしこの敵は単なる舞台装置ではない。
厄災を退けた後に至るは、来たる豊穣を歓迎する祝祭。第五種を撃破するとIkkiでは多大な得点ボーナスが入る。それはチマチマ米を奪い合いをしているのがバカらしくなるほどの得点だ。
ただしそれは理論値。第五種に撃破された時のデスペナルティは通常のデスペナルティよりもかなり重く、第五種を撃破するのに何度も返り討ちにされたら赤字である。
「どう考えても火力が足りっこない!」
「だろうね!まあなんとかなるよ!」
プロゲーマーの中でもトップクラスの作戦指揮を行えるメルセデスの中では複雑な計算式が構築され、この状況に対する答えを弾き出す。
この炎上騒動を1番上手く押さえ込むのに第五種討伐でラノ姉とメルセデスが共闘する。このアイデアそのものはメルセデスも良いと感じる。むしろありがたい。ラノ姉は今この瞬間の勝敗だけではなく、このゲーム全体の勝敗も、配信としての成功も全て手に入れようとしている。
けれどこの世界はゲームだ。
窮地に陥ったからと言って急に都合良くパワーアップはしない。本人のスペックがどれほど完璧に発揮できたとしても、最高効率でダメージを与え続けたとしても、非火力特化タイプの武士と農民では第五種のHPを今から削り切るのは不可能だ。おまけにゲンゴロウは第五種の中でもHPと防御力に優れている持久戦型。この状況に於いては1番不適切な第五種だ。
各々のスペック、Ikkiで出せる火力数値、ゲンゴロウのHP。其れ等の数値を軽く目を通しただけで大体記憶しているメルセデスが出した結論は『撃破不可能』。
対して発案者のラノ姉も無理な事を理解している様な事を言い始める。
一体この女はなにを考えているのか。
それでもこの狂った女は吠える。
「でもさ!絶対に出来なさそうな事を足掻いた時!ゲームってのは最高に面白いんじゃないかな!?」
直接対人系のプロゲーマーであるメルセデスからすれば、ゲームってのはあくまで勝敗の世界だ。
より才能を持ち、より下準備を重ねて、より的確な戦力を構築し、より本番で才能の限界まで能力を発揮した方が順当に勝つ世界。
無謀とされる事に挑むのは、プロゲーマーのする事ではない。指揮官タイプであれば猶更だ。
「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とはとある野球監督の言葉である。
しかし全てがデータ化されるVRプロゲーマーにとっては、不思議の勝ちすらあってはならない。勝ったら勝ったで必ずその原因を突き詰めなければならない。そうしなければ、自分が敗北する側に回る可能性もあるのだから。
不確実性の多いプランの組み立て方は、プロゲーマーが戦術を学ぶ上で真っ先にアウトな行為として語られる。
同じプロゲーマーのカるタもノートを師としながらも、学んでいるのは戦術の基本的な考え方と言うよりはチームの運営のやり方だ。ノートの考え方を上手く落とし込み確実性を大きく底上げできているヌコォの方が異例なのである。
メルセデスからすればラノ姉の動き方はあまりにも不安定だ。
常に薄氷の上を爆走するが如く危うい綱渡り。どこまで織り込み済みなのかまるで読めない。
だが、この時までラノ姉は生き残っている。
実績だけは題しているが過程を見るとまるで再現性がないというプロゲーマーからすると閉口したくなるような存在がラノ姉なのである。
故にこそ、その咆哮はメルセデスにとって世界の全てを映していた液晶画面を巨大なハンマーで真っ二つに叩き割られたような衝撃的な光景だった。その液晶の先にあるのは真っ暗な深淵。だがその深淵は妙に魅力的で、足を踏み入れてみたくなる。
「(最後に、いつ無謀だと思った事に挑んだかな)」
自分にとって、一番古いゲームの輝かしい記憶とは、自分にとっての偉業を成した時である。
子供の時は、こんなのどうやって倒すんだこんなの、と思うような敵を、子供なりにあーでもこーでもないと工夫して、エンドロールまで到達した時の喜び。大人になって同じゲームをやってみると意外とあっさりクリアできたりして、自分が何にそこまで詰まっていたかも思い出せないのもよくある話ではなかろうか。
「やってみよう!見せつけてやろう!私達が最高のゲーマーって!」
距離を取りながら、されど明確に逃げるでもない。それはメルセデスの迷いを分かりやすく表していた。そんなメルセデスを置いていくように、いや引っ張っていくように、農民のアマチュア女は瓦礫の木の棒を持って楽しそうにゲンゴロウに突撃していく。
その姿を見て、ようやくメルセデスは自分がずっと見たかったものが見られた気がした。
どの配信でも本性を見せてこない謎めいた女。もっと出来そうなのに決して自分が主役にならない女。マイクを取って盛り上げても盛り上がった肝心な部分でLOWWA子にパスしてしまう。
そんな女が初めて自分自身に嵌めていた枷を破壊したように見えた。
普段の配信ならもっと簡単にお茶を濁すことも出来たのだろう。
けれど、今はGoldenPear社の案件配信中。
加えて突発的なプロゲーマーの乱入。
迷惑な外乱要因として片づけるにはメルセデスの知名度と話題性は高すぎて、逃げる事すらも難しい。
追いつめに追いつめられて、どうしようもなくなって、ようやくこの女は自分自身が舞台の中心に据えることを決めた。
「(ある意味では、意図せず本懐は果たしたのか)」
そうだ。自分をドヤ顔釘撃ちで撃破して、それでいてまるで誇りもしな女を倒したかったのも本当だが、それよりも自分を倒したこの女がどんな女なのかもっと知りたかったのだ。
「(ふっ、これではまるで―――――――――)」
――――――厄介なファンと変わりない。
好きな物をもっと知りたい。 それは人としての感情だ。
ラノ姉を調べるために配信を追っているうちに、メルセデスは知らず知らずのうちに厄介ファンの様になっていた。
「ああ、やろうか!」
プロゲーマー、配信、炎上。
全ての事情や立場をかなぐり捨てて、一人のゲーマーとして無謀に挑む。
そのメルセデスの表情は実に晴れ晴れとしていた。
メルセデス、厄介ファン




