No.523 ピンク色の粉
メルセデスが仕掛けてはラノ姉が首の皮一枚で凌ぐ。そんなやり取りが何度も何度も繰り返される。
側から見ていればマグレにしか見えないような回避方法。綱渡りもいいところだ。だが、まるで通勤道のように常日頃綱の上を走り回ってるやつからすれば綱渡りは今更緊張することでも驚くことでもない。
それでもメルセデスもプロゲーマーとしての本領を発揮していく。
特にメルセデスは器用値と成長性が並外れて高いという時間を与えるほどかなり怖い存在。少しずつラノ姉の動きに適応し始める。
単純な知恵で競り勝つのは難しい。
これはもう認める。この女は在野で1人の配信者のサポートをしてるのが変な冗談みたいな特級の化物だ。だが単純な基礎スペックではほぼ勝っている。なら勝てるところを確実に取っていく。
武士と農民を比較すれば単純に自分が有利。焦らずに着実に詰めていく。
少しずつラノ姉が完全に捌けずにダメージを受けていく。致命傷は避けても累積ダメージは農民にはかなり辛い影響を出し始める。
身体が重くなる。反応できるものが出来なくなってくる。
「ふぅー…………リスナー空気読むなぁ」
「確かにな」
その場で受けるところから逃走寄りに切り替えるラノ姉。そこを執拗に追いかけるメルセデス。
その間、他のプレイヤーとの遭遇は0。
まるでラノ姉とメルセデスだけが広大なフィールドに2人きりのようにも錯覚する。
しかし確かに人はいる。時たま戦闘音らしきものは聞こえる。そちらの方にラノ姉が近づこうとしているのを察し、メルセデスはその道を塞ぐように立ち回る。
「(…………いよいよ焦ってきたか?)」
悔しげとはいかないが、今のラノ姉の笑みは薄い。目は既に真剣そのものだ。ギリギリで余裕を保ってるように見せているのだろう。
「(運も悪い)」
もしここでNPCの農民は武士が介入してきたら状況も変わってきただろう。アイテムをほぼ使い切った農民がここから何か起こすには確実に外乱要因がいる。それを求めてラノ姉は動いているのだろうが、今のところ遭遇しない。
「(仕留めるか…………)」
ラノ姉としては死んでもいいはずだ。このゲームは死んだら終わりではない。復活できる。ここまで泥沼化したら素直に殺された方がこの状況から自由になれる。
無論、生存時間に応じたパークが使えなくなったり生存ボーナスがつかないという事でここまで粘ったらもう少し頑張りたいのかもしれない。
メルセデスからすればラノ姉は十分化物だが、第三者から見れば単なる素人だ。素人がプロゲーマー相手に対面不利でここまで粘っただけ賞賛に値する。ギリギリで切り抜ける事も多く撮れ高としては十分だ。ここで殺されたところで誰が責めようか。
「(運が、悪い……?)」
いや違う。
何かおかしい。
ここまで外乱要因がないのは運が悪いとかで片付けられる状態ではない。
そうだ。本気で逃げるなら、外乱要因を巻き込むならエリアの何処かしらの屋敷に向かえば良かったはず。
待て、今までそれを止めるべく自分は動いていたはず。
気づけば最初に戦闘した位置からかなり離れた場所にいる。
妙な静けさ。不安がシナプスを弾けさせ海馬が微かな何かを掴み取る。違和感を手繰り寄せる。なんだ。何が。
「――――――私さぁ、メルセデスちゃんの弱点がなんとなくわかるんだぁ」
その思考に割って入るように聖母のような笑みを浮かべたラノ姉が割り込む。
分厚く張り付いた完璧な笑み。その下から滲み出る、実際に対面しないと感じ取れない邪悪な気配。美しい笑みの下には一体どのような醜悪な魔物を飼っているのか。
「話を聞かないようでいて聞いちゃうタイプだよね、自分が相手に関心を持っている場合。ない場合だとバッサリ切り捨てるんだろうけど。完璧主義だから相手の未知を全部暴こうとするまで脳みそを分析に割き続けてる」
ラノ姉が弱点だと挙げたその特性は、見ようによっては褒め言葉に近い。
この女……男は、カウンセラーは、褒め言葉とは悪口と表裏一体で、言葉遊びの延長線であることをよく知っている。
例えば怒りっぽいというマイナス点にしかならない特性も、言い換えれば『現状において自分に対して発生するマイナスを排除する力が強い』とも言い換えられる。嫉妬深さは向上心と切っても切り離せず、逆に効率主義は時に非人道的で冷血だと言い換えることだってできる。
「言葉」の持つは斯くも強大だ。
伝え方一つで相手の耳を惹きつけ、相手の行動を変えることすらできる。無意識のうちに行動を、思考を、思うままに強制することができる。
その特性が顕著でなくても、言葉でそうであるとレッテル貼りを行うと途端に自分はそうなのではないかと思い始める。
面白いのはここからだ。
人間はレッテル貼りをされると自然とそのレッテルに従い始める。誰に頼まれたわけでもないのに、周囲の認識が個の在り方にまで干渉し始める。
貴方は人の話を聞いてしまう——————そうレッテル貼りをされた事で、メルセデスは危険とわかっているのに自然とラノ姉の言葉に耳を傾けてしまう。
未知があると分析にウェイトを割く——————その通りだ。そう思ってしまったらもう術中だ。
メルセデスとラノ姉の思考は似ているようで根本的に違う部分がある。
お互いに並外れた分析能力から敵への対抗策を的確に迅速に生み出してくる事は同じだ。
違うのはベースの思考。
メルセデスは自分のスペックと相談しながら相手の出すカードに合わせてアンチデッキを組んで倒す。
側から見るとラノ姉も似ている事をする。手持ちのカードの範囲で相手は1番嫌な盤面を作る。
だが、相手への意識が違う。
ラノ姉の場合は事前に相手の動きを誘導して相手の選択肢を絞ってくる。相手の手札が予測できるならより相手に刺さる盤面を事前に構築出来る。
ゲームがゲームの中で完結している“プロゲーマー”と、リアルや相手の感情の動きなど外乱要因まで全て使ってゲームをしているカウンセラーの差。
特筆するまでなくても最低限プロにも対抗できる強カードばっかりのメルセデスと、カード自体は本当に通常レアばっかりの弱者の差。
刹那的な思考の読み合いから得意の盤面を構築するメルセデスに対し、そこまで器用に立ち回れない弱者は勝負をすると決めた瞬間から全てを仕込みにする。
弱いが故に、周囲にいる人類でも上澄みの連中と比べて恥ずかしくなるぐらい凡庸な自分の才に絶望して、それでも勝利を奪い取りにくる意地汚く諦めの悪い悍ましいほど醜悪なる怪物。
皮肉な事だ。
メルセデスは生まれながらに周囲に羨まれる才能を一通り持っていたから、弱き怪物の在り方を真に理解出来ない。勝利への執着が狂気にも近い事を理解し得ない。自分の勝利への渇望がまだ真っ当な範囲だと知る由もない。
「私の正体が気になるんだっけ」
いい加減決めに行くか。
メルセデスがそう思うたびに、まるで思考を読んでいたかのようにまたラノ姉はメルセデスの出鼻を挫く。
呼吸を完全に読まれてるような不気味な感覚。
話すテンポ、間隔、タイミング。翻訳されて伝わっている事を考えれば全てが狙い通りに伝わる訳でもないはずなのに、言葉でこの場をこの女は容易く支配する。
「生き残ったらプライベートで教えてあげるよ、私の正体」
「――――――!!」
殆ど一切プライベートに言及しない女が、敢えてそれを話すという。自分がラノ姉に感じている原因不明の“大きな違和感”を解消するためにも、聞いておきたい。
同時に何か引っかかる。条件設定が自分に勝つ事ではなく、生き残る事にすり替わっている。
後ろ手に組んでいたラノ姉が手を正面に出しパンパンと叩くと、チョークの粉が舞うようにピンク色の粉がわずかに舞う。
「まさか!!」
それが最後のヒントだった。全ての違和感が形を結んで一つの答えが弾き出される。
ラノ姉を今すぐ殺すべく戦闘態勢に移るメルセデス。
「おそーい」
だがラノ姉の呟きの通り、遅い。話など聞かずに斬り捨てれば間に合ったかもしれないのに。
ラノ姉がバックステップで回避行動を取ると狙い澄ましたように、メルセデスとの間に割って入るように地面が爆発した。




