No.517 目玉を飛び出させる
お互い戦闘開始の合図。
メルセデスは太刀を構えて飛びかかるが、ラノ姉はなんの躊躇いも無しに背を向けて逃走を開始する。
「あっ!?逃げんな!?」
「やーなこった〜。ベロベロバ〜!リスナーごめんけどLOWAAについていって!!」
メルセデスは熱くなっているが、武士と農民が真正面から衝突したら十中八九農民が完敗する。それがチームだとしても。ただの敗北ではない。完敗だ。
ALLFOで言えば、タナトスとメギドを戦わせるようなものだ。
いくらタナトスに攻撃手段がないわけではないにしても、純戦闘仕様のメギドとぶつけたら100戦やっても100戦負ける。
ならどうするか。逃げるのだ。武士に対して常人の未強化農民1人で挑むのは蛮勇どころではなく単なる馬鹿である。
リスナーが序盤で死ぬのを嫌ったラノ姉はリスナーを切り離す決断をして一心不乱に走る。
「そぅっ、れい!」
「まっ、このっ!?」
けれど、キャラ性能的にも単純なフィジカルに差があるのでチェイスでも農民に分が悪い。なのでラノ姉は煙を上げる松ぼっくりを後ろに放り投げる。地面に落ちた松ぼっくりはパンッと乾いた音を鳴らして破裂。タネを周囲に飛ばしながら大量の煙を周囲に散らす。
思わずたたらを踏むメルセデス。咄嗟に煙の中に消えていく影に向かって太刀を投擲しようとするも理性がギリギリで止めた。
農民に対して、武士はパークもキャラ性能も圧倒的に優位にある。ではどこに農民のアドバンテージがあるか。その1つに小道具の多さが挙げられる。
武士は1つのキャラにつき1つの固有武器が与えられている。この武器は強力で、持っているだけでかなりの効果を発揮する。
対して農民の持つ武器はスキやクワ、えぶり(野球のグラウンドの整地で使われるトンボの様なもの)や箒など江戸時代に使われていた道具。その上なにか特殊な効果もない。代わりにマップ上には似たようなものが大量にあるので武器を投げたり別の用途に使っても惜しくない。加えて追加で色々な小道具を持ち込むこともできる。ラノ姉が投げた煙幕松ぼっくりもそうだ。
対して、下々の武器を使う事は武士のプライドが許さないので、武士は小道具関係の使用や装備ができない。使えるのは基本的に自分の固有武器のみ。最初から持っている固有武器を失ったら戦力は激減する。故に迂闊に自分の武器を投げたりできない。
ラノ姉が選んだ農民の種類はトラッパー×コマンダーのダブルビルド。武器の取り扱いが更に弱体化する代わりに小道具関係の取り扱いに大きな補正をつけ、加えて味方に対して指示した際に周囲にバフをつける代わりに自分の基本性能を下げるかなり尖った能力を持っている。使いこなせればかなり強いが、それにはプレイヤーの頭脳が問われる。
対して追跡者のメルセデスのビルドは『将軍』。メインは太刀と指揮能力で、武士の本陣である屋敷にて大きな補正が乗るガーディアンリーダーだ。
基本的に欲しい性能は一通り揃っているが、遠距離攻撃手段が非常に乏しいという弱点を抱えている。
それを理解しているからラノ姉は躊躇いもなく背を向けて逃げた。
ここでもし、メルセデスが考え無しに太刀を投げたら?
それは考えない。
一見してメルセデスは激情家だが、同時にプロゲーマーでもある。その行動を取るかどうかの判断の最終地点には合理性がある。
————————今、この時、確実に仕留められるかわからない状態でメイン武器を放棄できない。
投擲する寸前でメルセデスの理性がそう囁いた。
加えて、相手のビルドを見抜き切れず、尚且つ『得体の知れない動きをする奇妙な女』という潜在的評価が賭けに出ることを躊躇わされた。
武士陣営のキャラは農民がしょぼく見えるほど力が入っている。それは将軍だったり、忍者だったり、陰陽師だったり、弓取だったりと遠くから見てもどのキャラを選択したかわかる程度にはハッキリとした個性がある。けれど農民はどれも似たような格好をしているので、相手の農民がどんなビルドを採用しているのか武士側からは判断しにくい。
つまり強烈なカウンター系の能力を持っている可能性も0ではないのだ。特に武士にとって厄介なのは自爆系能力。農民は基本的に何度も死にながら戦うゾンビ戦法を想定されたキャラ性能なので命が軽い。自分の命と引き換えに武士にダメージを入れられればチームの勝率は上がる。
戦闘開始の宣言をしながら、あまりにも堂々とした逃げ足に罠ではないかとメルセデスは思ってしまった。
結果、最初の読み合いはラノ姉の勝ち。
将軍が大きな能力を発揮する屋敷のフィールドから出て通常の街マップに出る。
Ikkiのステージは基本的に江戸時代の撮影スタジオのような作りになっており、全ての建物の中に入ることができる。今このフィールドは幾つかのフィールドの中でも最もスタンダードなステージ。街と屋敷はハッキリと分かれている。加えて、街中には狭い路地が幾つか用意されており、この小道は街をメインに生きている農民達だけが使える様になっている。いわば一種の安全地帯だ。
ただ小道にいる累積時間が一定時間を超えると大きなスリップダメージが入るのでむやみやたらに使えるものでもない。
メルセデスは少し立ち止まりかけたが、初志貫徹と煙幕の中に突撃した。
将軍は味方と屋敷にいて一番の性能を発揮する。今の行動はビルドを考慮すると既に非効率であり、味方から歓迎されるムーブではない。それでも突撃を決断したのは何をしでかすかわからないラノ姉を事前に抑えに走ったと言い訳すればまだ建前としては成立するか。
「(裏口襲撃を見抜いていた辺り、ハトが飛んでる?)」
ラノ姉は逃走をしながら現状の把握に努める。
ラノ姉視点では今回の襲撃は完全に予定外。
AMMⅢの例の戦闘で、自分が最後に下した相手がプロゲーマーだというのは薄っすらと把握していた。負けた側がかなり騒ぎ立てたせいでちょっとしたネットニュースにもなっていた。
ただ、ラノ姉の興味関心は下したプロゲーマーではなく、そのネットニュースなどのコメント欄。人様が頭を捻って考えたビルドを『あまりにもキモすぎる挙動』『日常生活から四つん這いで動いてるとしか思えない挙動』『お姉様の戦い方じゃない……』とかなりの勢いで貶されていた。
プロゲーマーの使う採用率トップの汎用ケンタウロス型にも勝ったビルドとしてクモ型が注目されたが、ラノ姉が組んだビルドで動かそうとするとまともに動かせる人がほぼいなかったのもラノ姉の変態性を裏付けていた。
凄いには凄いけど、凄いの方向性がパルクールのようなカッコいい感じではなく、何も道具や手などを使わなくても目玉を飛び出させることができます、みたいな凄いは凄いけどうわぁと軽く引かれるような技能的な評価なのだ。
そのコメントをしたヤツらをいつか処すリストに書き込む方にラノ姉は熱心だったので、プロゲーマーには興味がなかった。相手がガチの大会で戦った相手ならまだしも、調整期間中の野良マッチだ。勝ち誇ったところで角が立つだけなのだし、それこそ自分の周囲にはもっと人外寄りの連中がいるので感覚が少し麻痺しているというのもある。
あの時もう少し興味を持っておけば、と思うも後の祭り。
さてどうするか。
ただ逃げてれば良いわけではない。配信しているならしょっぱい画面を流し続けるのは御法度だ。それが案件放送なら尚更。
「(やるっきゃない)」
そう。恐るべきは死ではない。大事なのは死んでもいいから盛り上げること。
ラノ姉は覚悟を決めると逃走からその足取りを変えた。




