盤外編:約束の履行② トン2のターン
「悪い、時間ぎりぎりになって。探すのに手間取った」
「それだけ上手に変装できているという事ですから構いませんよ」
クラシカルな灰色のワンピースに丸メガネとベレー帽。靴もクラシックで、長い髪を三つ編みにして纏めている。一見すればその雰囲気も含めて文学少女であり、それが国際的にも有名な金メダリストだと気づける者はいない。
今時すべてが電子化されるご時世で、読んでいた紙の書籍をパタンと閉じて肩掛けカバンにそっとしまう。必死になって自分を探し息を切らしたノートを見て、女性は柔らかな笑みを浮かべる。
その言葉、声音、動き、どれ一つとっても大人しめでありながらしっかりものの女性にしか見えない。
しかしそれが自分が先ほどまで探していた女性、トン2もとい沖田錬華であるとノートは知っている。
「擬態、というよりはもはや別人だよな。初見じゃ本当にわからん」
いつもは露奈が目印だったので見つけられたが、今回は露奈は同伴していない。ノートはそれを失念しており、待ち合わせ場所に待ち合わせの時間よりも早くついていたのにも関わらずなかなか錬華を見つけることができなかった。
前もって教えてくれよ、などと不満こそ口には出さないが、あえて伝えてなかった錬華は楽しそうにほほ笑むのみだ。
「貴方だって、テレビに出演する際は非常に丁寧な好青年の姿であろうとする。これもまたその延長線上の物でしかありません」
元からつかみどころのない女性ではあるが、錬華は未だノートが慣れない特技、むしろ悪癖といってもいいような習性があった。
それがこの擬態だ。
人目をごまかすためとかそんなレベルではない。まったくの別人に遊び半分で成り代わる。
ギャルだったり、メンヘラだったり、物静かであったり、OLだったり、スポコンから厨二病、お嬢様まで、なにかテーマを決めて服装から化粧や使う香水から装飾品、言葉、動きの一つまでをも変える。さらにそれが演技なのか素なのかもわからないほどのクオリティで、錬華とプライベートでの付き合いがある人物はこの悪癖に振り回され、余計に沖田錬華という人物がわからなくなるのだ。
「誰しも、自分でも気づいてはいない一面があるものです。その一面を見つけて過度にクローズアップし、それを起点に作ったモデルに沿って姿を成し動く。たったそれだけのことですよ」
くるりと回るようにステップを踏むとふわりと軽く膨らむワンピース。その軽やかな動きに気を取られ、気づけばノートの手は錬華に握られていた。
その手は女性にしては固い。当然だ、色々な武器をリアルでも振り回し日々鍛えているのだ。手にはタコができ、それすらなくなってやがて手は固く丈夫になっていく。
しかしあまりに完璧な擬態と握り方で、その手は荒事を知らない文学少女のような柔らかさがあるように錯覚してしまう。
「さあ、行きましょう。今日という一日は、きっといつもより格段に早く過ぎ去ってしまうから」
魅力的な笑みを浮かべながらノートの手を引く錬華。その軽い足取りに引っ張られながら、錬華とのデートが始まった。
◆
「ろーちゃんとのデートはどうでしたか?」
どこへ行くとも言わず、ノートと手を繋いで歩く錬華。まだ割と早い時間なので店も開いておらずのんびりと歩くのも悪くないが、チョイスされた話題はなかなか攻めた物だった。
「【VAEL】に初めていったよ。かなり楽しかったぞ」
「ええ、大変満足していたのはろーちゃんの反応を見てれば分かります。随分とよかったみたいですね」
そんな攻めた問いかけに当たり障りのない回答をするノート。それからは錬華が聞きたがったので【VAEL】の話題で盛り上がったが、それがひと段落すると錬華はいきなりぶっこんできた。
「そういえば、ヤッてはないんですね。てっきり折角の二人きりの時間を確保できたからヤるものかと予想していたんですが。まぁ私は3人でも一向に構わないのですが、ろーちゃんはバイ気質は薄いですし、基本的にはクール系ですが案外ロマンティックな面もありますので」
「…………あのな、もう少しぼかそうとする努力をだな」
朝っぱらからする話題じゃないだろ、と目頭を押さえるノート。見た目が見た目だけに違和感も凄まじいのだが、錬華はケロッとしている。
「下世話、ですか?男女間の深い関係構築の上で避けては通れない話だと思いますが」
わざとなのか素でやってるのか、その目からはノートでも読み取れない。ただふざけているわけではないことは確かだった。
「私はろーちゃんとは違うので、ただ待ち続けることに耐えられません。自分の身で繋ぎとめられるならいくらでもその身を差し出します。安売りではありません。きちんと自分の価値観と天秤にかけたうえでの判断です。
精神的な繋がりも確かに大事ですが、肉体的な繋がりはわかりやすく尚且つ一般的には強固ですからね。特に私たちは直接リアルで簡単に会えませんから、そういった繋がりも大事にしていかなければなりません」
「…………それくらいはわかってる。錬華が勢いだけで動いたわけじゃないことくらいはわかってるよ」
怒涛の攻勢に押されつつもノートはなんとか言葉を返す。
普段からは考えられないが、これもまた錬華の一面。ある意味、ノートの周りにいる女性の中ではもっともリアリストで強かなのだ。
今日も二人きりで面と向かって真面目に話せると考え、コーデを文学少女スタイルに決めたのだ。錬華の仕込みはその時点からすでに始まっていた。
「私はろーちゃんとは違いますよ。絶対に逃がしません。どんな手を使ってでも逃がしません。ぞっこんラブです」
最後こそ茶化すような言葉を使ったが、その目は本気。本性がいまだにあやふやで不安定なところのある錬華だが、その瞳の奥にある強烈な執着気質は数少ない錬華の素であるとノートは知っている。
自分の手をより強く握る錬華が胸の内に抱えている強い感情に、その手を握り返すことでノートは飲み込まれない様に気をつける。
「確かに、貴方の様に私を受け入れられる人は他にもいるのかもしれません。世界には沢山の人がいますからね。しかし、“沖田錬華”の為に“私”を受け入れる人はいても、その様な損得を抜きにして当たり前の様に“私”を受け入れてくれる人は、私は貴方以外知らないのです。私を人並みに愛してくれる両親でさえも、私の事を不気味に感じる事があるのです。でも貴方からはそんな感情を感じ取れない。寧ろ楽しむ様な音さえ聞こえてくる」
沖田錬華という存在は、生まれた頃からとても浮世離れしていた存在だった。
よく言えば天才肌、悪く言えば人間らしさの欠如した化け物。
ボーッと空を見上げているだけかと思えば機敏に動き、何も見ていない様に見えるのに誰よりも周囲の変化に敏感で、相手の考えや感情を言い当ててしまう。
賢い少女は幼少の時点で自分が異端の部類であることを自覚し、そして周囲に合わせることを諦めた。
常に聞こえる雑音塗れの世界。何をしてもつまらない。自分を受け入れてくれる居場所が無い。錬華だけの感じるストレスに苛まれながらも錬華は成長し、最終的に人としては大きく歪んだ存在にとなってしまった。
それでも、怪物や化け物と評されようとも、錬華も1人の人間であり人並みの感情も持ち合わせている。人を愛するという機能がある。
その心の渇きは同じく世界からズレていた露奈により癒されたが、誰にも受け入れられなかった自分を受け入れてくれる同世代且つ異性の存在は錬華の中にあった様々な価値観を破壊し、変え、そして執着の対象となった。
その想いはネオンがノートに抱く感情に近しいものがあるが、まだ自分の想いを消化しつつある状態であり根が優しいネオンと違い、錬華の方が容赦なくストレートで重い。一度掴んだ奇跡を、錬華は決して自分から手放すことなど無い。
「さて、重めの話は一旦終わりです。折角のデートですから楽しみましょう!」
錬華は一方的にそう話を締め括ると、ノートの手を引いて図書館に入って行った。
◆
店が開く時間までは面白い本を探してのんびりと図書館をさまよい、早めの昼食を取った後は神社仏閣を、本格的に暖かくなってきたところで公園を散策する。
22世紀は多くの土地が開発され、自然が自然のままをとどめている場所は非常に少なくなった。
反面、都市部では緑化政策が進み大きな自然公園を作る運動が30年ほど前に活発化した。それにより都市部でもちょっとした森の様な規模の大きな公園があり、多くの人が遊んだり歩いたり談笑していたりした。
「古い本の香りも、神社仏閣に満ちる空気も、こういった自然あふれる公園も、不思議と心が落ち着きますよね」
大きな人工自然公園を30分程歩いたところでベンチに座りしばし休憩。自販機でノートに買ってもらったミネラルウォーターを飲みながら錬華は呟く。
「私はきっと人嫌いなのだと思います。しかし不思議と全くひと気のない場所よりは少々賑やかで、歴史を帯びた人工物を好むのはなぜなんでしょうね?自分のことなのによくわかりません」
「人を嫌う気持ちはあれど、それと同じくらい人間というものに興味を抱いているからじゃないか?」
「そうですかね?私が興味を持っている人間など簡単に数え切れる程度の筈なのですが」
実際に指を折り曲げて数を数える錬華。そんな錬華に対してノートは微かに笑うと首を横に振る。
「嫌いな物って次第に遠ざけるようになるんだよ。関わることにストレスを感じ、遠ざけ、無視する。しかし錬華はかなり周りの事をよく見ている。確かに嫌いな物にあえて執着するアンチのような存在もいるが、錬華はそういうタイプではないだろ。
嫌いであるが故に興味を持っているのではなく、嫌いと好きが共存するんだろうな」
好悪は案外真反対の感情ではなく密接に結びついている感情だ。きっかけ一つで裏返ることもあり、不安定で、尚且つ自分自身でもコントロールの効かない部分だ。
好きな物はそれ以外の物よりハッキリと見える、しかし同時に人間は嫌いな物もよく目につく。
好悪の感情の不確実性と怖さをカウンセラーであるノートはよく知っているのだ。
「…………そう、ですかね。自分のことはよくわかっているつもりでも、自分では理解できないこともある物です。ですが、一つだけ分かっていることもあります」
しかし学術的な方面のアプローチから分析のできるノートと違い、その方面に関しては簡単に理解し難い。だが学術的な見地が無いからこそ直感的に理解できることもある。
「貴方が言うことが正しいのなら、私はきっと、大人になるまでに露奈と貴方に出会ってなかったら、人との繋がりを完全に絶っていたと思います。自分自身でも少々歪んだ存在だとは認識していますが、自分という物が完全に確立される高校生という時期に貴方に会えていなかったら、ここまで人生を楽しめることもなかったと思います」
その言葉はまだ年若い女性が吐く言葉にしてはあまりに重く、人によっては狂気すら感じられるだろう。ノートがカウンセリングしている人たちでもここまで拗らせているのは稀だ。
だがそこに相手に媚びるような気持ちも何もない。本当に心からの錬華の気持ち。
少し愁いを帯びたような、湿った声。錬華の強い感情に揺さぶられ、自分の体が熱くなるような感覚を覚える。
その熱にのぼせないように、冷たいミネラルウォーターをゴクゴクと飲み干しベンチによりかかると、ノートは体にこもった熱と共にため息を吐き出す。
しばらくお互いに無言の時間が続く。だがそれが居心地悪いというわけではない。
子供の楽しそうな声や老人の談笑する声、木々の揺れる音。それらの音を聞きながらいろいろなことを考えていると、何かが転がってくる音と共に子供の声と足音が大きくなる。
上を見上げていた体を起こし視線を向けると、ノート達の方にメロンサイズの青いゴムボールが勢いよく転がってきていた。
コロコロと転がったボールはそのまま止まることなく、錬華の足元までまっすぐに転がってきた。
そのボールをスッと拾い上げる錬華。ボールを追いかけていたのであろう5歳児程度の子供が少し離れた位置で立ち止まり困ったような表情をした。
その子供が人見知りなのか、あるいは古書店の奥の主の様な美しくどこか浮世離れした姿の錬華に気後れしたのか。どうする気なのかノートが錬華を見ると、錬華は普段からは考えられないような柔らかな笑みと穏やかな声で話しかけた。
「これ、君の?」
錬華に話しかけられ、コクリと頷く子供。錬華は静かに立ちあがり少し近づくと、下投げでボールを転がしてあげる。
「あ、ありがと、おねーさん」
「ふふふ、ほら、早く行きなさい。みんな待ってるよ」
そのボールを拾うとぺこりと頭を下げる子供。その顔は少し赤らんでおり、錬華に促されると小さく手を振って駆けていった。
「あーあ、あの子の初恋きまっちまったぞ」
一連のやり取りを見て軽く茶化すノート。錬華も小さく子供に手を振り返すと、そのノートの言葉に微笑み、ノートの横にピッタリとくっついて座った。
「子供って面白いですよね。とっても不安定で、でも可能性の塊でもある」
「それが子供というものだろ」
だからこそ、その時期に経験する出来事は非常に重要だ。その経験が複雑であればあるほど、性格は歪んだ形で形成されていく。それはネオンしかり、錬華しかり、そして―――――
「打算とかアピールとか一切なしでただ単純に興味本位の考えなんですけど、貴方と私の間に子供ができたらどんな子になると思います?」
ボール遊びを再開した子供たちをノートと錬華が眺めていると、錬華がそれを優しげな目で見守りながら聞いてくる。その質問に対しノートは少々考えた後に答えた。
「…………どうだろうなぁ。変人なのは確定じゃないか?……いや、案外しっかり者になるかもしれないな」
「ふふふ、しっかり者ですか。少し変わった子になるのは私も思いました。もしかすると周囲に過敏な上にやたら口達者な子かもしれませんよ。育てるのに四苦八苦しそうですね」
「確かに大人からするとめちゃくちゃ扱いづらい子だろうな。まぁ自分の子供だとかわいらしく感じるんだろうけど」
「貴方とその子がくだらないことでやたら高度なレベルで言い争ってるのが簡単に想像できます」
その想像が本当に面白かったのか、口元を抑えて笑いをこらえる錬華。ツボにはいったのか暫く笑った後に息を吐き出すと、そっとつぶやく。
「いつかは私も、子供を産みたいです。きっと自分が想像しているよりも何倍も大変なことだろうとは知っていても、まだ早いと思っていても」
熱い視線を感じ思わず目をそらすノート。ノートの腕を抱き込み錬華は非常にストレートなアピールをする。
「『自分からは決してモーションをかけない』。リントさんの為とはいえ、貴方は本当に律儀ですね」
「…………」
錬華の言葉にノートは否定も肯定もせず、普段はよく回る口を噤む。
「その変に律儀なところも含めて好きですから、責める気はありません。ですが、貴方の傍に何人いようとも私は貴方を手放すことはありません。
悔しくは思いますよ、貴方とリントさんの絆は本当に強い。リントさんの問題に自分も向き合い続けるという茨の道を敢えて進む。それほどまでに貴方に想われるリントさんが心底羨ましい。
でもその問題に決着が着くまでは貴方は結論を保留することはわかっているわけですから、それまでにこちらも頑張らせていただきます」
「はぁ…………どうしたもんかなぁ」
想いを向けられるほど膨れ上がる申し訳なさと不甲斐なさ。
実のところ、ノートは昔からモテていたわけではない。経験と努力で大人になるころにはそれなりに整った容姿になったが、学生の頃は女子とはよく会話しても破天荒で変人枠だったのであくまで友達の範疇に収まっていたのだ。
そんなノートを好くのはそれと同等レベルの変人奇人な存在なのだが、その稀有な人が偶然にも周囲に集まってしまった。友人関係としての男女の付き合いに長けていても、恋愛的な意味での男女の付き合いに秀でているわけではないノートに、そんな状況をうまく乗り切ることはなかなか困難であり悩みの種であった。
故に安易に受け入れることもできなければ突き放すこともできず、ベストな対処方法もわからない。
思わず頭を抱えてかきむしるノートに、錬華は更に追い打ちをかける。
「私はろーちゃんと一緒でも、リントさんがいても、ほかの人がいても構いませんよ。国で重婚が認められているのですから、どんな結論になろうと恥じることはありません」
22世紀現在、世界はより大きな経済格差に見舞われている。更に、日本では第二開国と言われた外国人の大規模流入により一時的に出生率を微上昇させたが、そのブームも収束し再び少子高齢化が深刻なレベルとなりつつある。
しかし結婚しようにも出産しようにも経済的な余裕がなければ難しい。国で色々と補助は行われているがそれで人間が素直に納得できるかというとそうでもない。
結果、日本では制度が一部改正し、複数人との婚姻が一応認められている。金のある男性が多数の女性と結婚して出生率に貢献してくれるならそれに越したことはない。現在の日本は割と体面も保っていられないほど、そんな制度を許さざるを得ないほどに経済格差と少子高齢化が進んでいるのだ。
もちろん、制度としては存在しているがそれが適用されることは少ない。相続権などの様々な面で面倒なことになるし色々な手続きも必要だし男側の甲斐性も必要だ。なにより女性陣が納得していないと成立しない。
そんなことができるのは余程大きな企業の社長か、海外の血を色濃く引いた2世日本人か、有名な芸能人か。2代前の総理大臣が複数の女性と結婚していたことは有名だ。
名目的には自分から先陣を切って重婚したようだが、正直自分が重婚したくて制度の改正を進めたのではないかと叩かれている色々とお騒がせな元総理である。
しかし日本人はある程度確立された制度を変更したり廃止したりするのをなぜかためらう気質がある。その気質によりまだ重婚制度は生きながらえているのだ。
「資金面に関しては安心してください。私もろーちゃんも一般的な家庭の数十倍は軽く稼いでいるので」
邪気の無い明るい笑みで最後の追い打ちをかける錬華。
ノートは「そういう事じゃないんだよな~…………」と呻きながら両手で顔を覆うのだった。
(´・ω・`)1番頭のネジが飛んでるけど妥協点を探して1番現実的に動いてるのが錬華




