第10話 第一印象はバイオレンス・アンサー 3分の3
「……まあこんな事話しても、あなたは知らない振りをするだけだけど……」
将来の妻は、親指と人差し指で消しゴムをつまむと、夕日の射し込む窓辺にかざしながらそう語るのでした。
将来の夫は、将来の妻の想い出話に頬を赤らめながらも、……それでもからかうように話しかけます。
「その今手に持っているのが、件の消しゴム?」
「そんな訳無いでしょ。あれからどのくらい経ったと思っているのよ」
将来の妻は窓辺にかざした消しゴムを、将来の夫に向かって放り投げると、頭に音もなく当たり弾むように机に落ちました。
「いたいなぁ、怪我したらどうするの?」
「あなたが変な事言うからでしょ」
将来の妻は、自分の机にころころと戻って来た消しゴムを手に取ると、ノートに向かって擦り出し、書き損じた箇所を消し始めます。
「じゃあその時の消しゴムは、今どうしてるの?」
「そんな事、あなたが一番良く知ってるでしょ。今も大切――」
その時でした。窓の方から桜が咲いたような、元気一杯な声が聞こえてきたのは。将来、夫婦になるふたりは、ほぼ同時に窓の方を振り向きます。
「にゃー! バイオレンス先輩! 黒歴史先輩! お久し振りですにゃー!!」
そこには、満面の笑みで窓枠にしがみつく、鼓笛ちゃんの姿がありました。
「鼓笛ちゃん!」
「今日は、最初から覗いていなかったね」
鼓笛ちゃんはとても嬉しい事があったのか、両足で壁を蹴り、何時もより大きく飛び跳ねます。その姿は、今にも外に放り投げ出されそうな勢いです。
それを見た将来の妻は、その危険行為を止めようと席から立ち上がり、はらはらしながら鼓笛ちゃんに近づいていきます。
「あ、危ないわよ! 鼓笛ちゃん! 落ちたらどうするの!?」
ですが鼓笛ちゃんは聞く耳をもたず、将来の妻が側に来ても跳ねるのを止めようとはしません。
「大丈夫だにゃあ、これくらい。それよりも先輩方! 鼓笛ちゃんは今日、とても大切な事を伝えたくて馳せ参じたのにゃ!!」
将来の夫は小説から手を離す事なく、鼓笛ちゃんの弾んだ声に耳を傾けます。
「大切な事って?」
そこで鼓笛ちゃんは両足に力を入れ、ようやく壁に踏み止まります。
「よくぞ聞いていたくれたのにゃ! バイオレンス先輩! 実はこの鼓笛……」
鼓笛ちゃん、何故か一拍間を作ります。そして、重々しく口を開きます。
「……ここの高校……落ち」
「受かったんでしょ?」
「受かったんでしょ?」
鼓笛ちゃんの悪趣味な嘘を、声を合わせながらバッサリと切る将来、夫婦になるふたり。
「にゃにゃー!? どうしてわかったんだにゃあー!?」
「だって……桜の咲いたような良い笑顔だったし……」
「とても弾んだ、元気な声だったしね」
将来夫婦になるふたりは、慌てふためく鼓笛ちゃんに何故嘘が解ったのか、冷静に教えます。
「むむー。ばれてしまっては仕方がないにゃあ」
鼓笛ちゃんは、開き直ったかの様に語り始めました。
「そうだにゃあ。鼓笛ちゃん、合格する事ができたんだにゃあ。なので、4月からは新入生として、お二方の後輩として恥ずかしくない学校生活を送らせて頂きますので、よろしくお願いいたしますにゃあ」
「え?」
「え?」
鼓笛ちゃんの言葉に将来、夫婦になるふたりは、何か嫌な予感がしてしまいます。鼓笛ちゃんは、そんなふたりの気持ちを他所に、話を続けます。
「つきましては、先輩方が立ち上げた部活『帰宅部』に入部したいと考えておりますので、その時は御指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願いしますにゃあ」
「え……と、それはちょっと……」
「それは困るなあ」
鼓笛ちゃんのまさかの発言に、将来夫婦になるふたりは、ほぼ同時に本音を漏らしてしまいます。
その本音を聞き逃さなかった鼓笛ちゃん。薄ら笑いを浮かべながら、ふたりをおちょくるように話しかけます。
「にゃにゃあ? お二人とも、鼓笛ちゃんが入部するのに、なにか、不都合なことでもあるのかにゃー?」
「……それ……は……」
完全にしどろもどろになる将来の妻。そこへ、将来の夫が鼓笛ちゃんをなだめるように話しかけてきます。
「そのぐらいにしたら? 彼女も困ってる事だし」
しかし、鼓笛ちゃんの口は止まりません。
「にゃにゃー? バイオレンス先輩、黒歴史先輩を庇う所を見ると、鼓笛ちゃんが帰宅部に入部するのに、やはり不都合が」
と、その時でした。将来の夫は読んでいた小説をそっと机の上に置くと、鼓笛ちゃんの言葉を断ち切る様に椅子から立ち上がります。
「にゃ……? バイオレンス先輩……?」
そして、身体中にバイオレンス・オーラと、オノマトペを纏いながらゆっくりと窓の方に歩いて行きます。悪ふざけが過ぎた鼓笛ちゃん、額にだらだらと脂汗をかきます。
「にゃあ……鼓笛ちゃん、ちょっと……急用を思い出したのにゃー。だから、今日はこの辺でおさらばするのにゃ!」
鼓笛ちゃんはそう言うと、横に「とうっ!」と跳び移り、雨樋に掴まります。将来夫婦になるふたりは、後を追うように窓の外を覗きますが、鼓笛ちゃんは雨樋を逃げる様にずるずると降りていきます。
そして、地面に近づくと両足でぴょんと着地して、万歳の格好でこちらを振り向きます。
「ともあれ! 鼓笛ちゃんが帰宅部に入部する事は決定済みなので、これからもよろしくしてほしいにゃー!!」
鼓笛ちゃんはそう言うと、ふたりに背を向け、走り去って行きました。
夕日の射し込む部室では……溜め息をつきながら窓を閉める、将来の夫の姿がありました。
「だ、大丈夫……?」
将来の夫を心配し、声をかける将来の妻。
「……何が?」
将来の夫は、将来の妻に背を向けたまま答えます。
「……ちょっと……怖い顔してたから……」
将来の妻の言葉に、将来の夫は少し間を置いてから、努めて平静を装いながら振り向きます。
「……大丈夫だよ。それにしても……」
その顔はほんのり赤く染まっていました。
「鼓笛ちゃんも困ったものだよね」
「……そ、そうね」
将来の妻は、そんな将来の夫の顔に気付くこと無く、会話を続けます。
「……鼓笛ちゃんが入部したら、この部も騒がしくなるわね」
将来の妻が何気無く発した言葉に、将来の夫はからかうようにこう言いました。
「君は、ふたりきりの方が良かった?」
「そ……そんな訳……無いでしょう! あなたは、新入部員が入ってくるのが嬉しくないの!?」
将来の妻はその質問に赤面し、つい本音を隠してしまいました。それに対し、将来の夫は本音で答えを返します。
「僕は……君とふたりきりの方が良いな……」
その本音に、将来の妻は反射的に将来の夫の左脇腹に肘鉄を入れてしまうのでした。
次回は明日、5月4日(月)更新予定です。




