菊の花(白)
伊織になって初めての冬休みは、たった二週間の休みにも関わらず色々なことが起きた忘れられない冬休みになった。有意義な冬休みだったということは決してない。ただ、それらの経験を経て、この歳でほんの少しだけ成長出来た気もする。
ただ、この冬休み一番の収穫は俺の成長ではない。
橘さんに全ての事情を話して、味方に引き入れることが出来たこと。それがこの冬一番の収穫だったのではないだろうか。
橘さんに全ての事情を打ち明けた翌日から今日まで、前から橘さんは親密な友人だったが、それ以上に密に連絡を取るようになった。
連絡内容は、今月中に行うことになった俺の地元への帰省の計画が主だったが、時には勉強。時には雑談と、凝り固まる話ばかりをしてきたわけではなかった。
以前に比べて一層橘さんとの友情を深めた頃、久しぶりの登校日がやってきた。
この体になった頃には、丁度半袖に衣替えをするような季節だった。それが今や制服の上にダウンジャケットを羽織り、防寒対策をバッチリ施して俺は家を出ていた。あまりに理解に苦しむ状況に身を置かれたことも一因だろうが、時間の流れの早さをしみじみと感じてしまう。
「おはよう」
自宅最寄り駅から電車に乗ると、いつも通りの席に橘さんは座っていた。参考書を片手に勉強する彼女は、とても様になっていた。
「ん。どう? 体の調子は」
「もう大丈夫だよ」
三が日に熱を出して以来、あれから数日が経つと言うのに、橘さんは未だに俺の体の身を案じてくれた。そんな彼女の優しさが身に沁みて、頬が緩みそうになる思いだ。
ガタンゴトンと電車が揺れる。
橘さんの隣に座った俺は、香織に無理やりインストールさせられた家計簿アプリを開いていた。
気付けば、この家計簿アプリは俺の生活の一部になり、今では毎日の記帳も当たり前になっていた。近々、高校生にしては大金を支払うことが確定している事情もあり、このアプリを使いながら節制をする毎日を送っているのだ。
「経理の仕事、役に立った?」
「どうだろう。古書店の経営はまだわかりやすい好転は出来てないからね」
「そうじゃなくて、そんなアプリまで使っているから、きっと経営術が馴染んできた頃かなって」
そう言って橘さんは、俯いた。
「そう言えばあんた、中身は三十五歳なんだもんね」
「三十五歳でも、世の中知らないことばかりだよ。きっと年老いて死ぬまで……死んでも、知らないことの方が多いだろうさ」
我ながら確信めいたことを言った気がしたが、橘さんの反応は薄かった。
「……あたし、あんたに敬語とか使った方がいいのかな?」
しばらく思い悩む橘さんの反応を待っていたら、橘さんはそんなことを言い出した。
至って真面目な考えなんだろうが、前後の流れが滅茶苦茶だし、何より突然すぎるどうでも良い話だった。
「いいよ。今まで通りに接してよ」
俺は苦笑して答えた。
今更変に対応を変えられる方が、こっちも気を遣って嫌だった。
「そう? ……そう」
再び、橘さんは参考書に視線を落とした。
対する俺も、家計簿アプリに視線を戻した。
俺の家計簿アプリに記帳した内容は、全てアカウントを家族同期している香織に筒抜けだ。それ故か、この体に乗り移ってすぐにアルバイトを始めたいと言った頃に香織に抱かせた金銭的不安は取り除けたのか、最近ではお金のことに関して何かを言われることはなくなった。
ただ、こうして家計簿アプリをつけ始めて気付いたことは、このアプリを提案してきた割に、香織はこのアプリの扱いが随分とズボラだってことだった。
香織は、月に一回だけこのアプリを起動して支出と収入を記帳する。月末になると机の上に貯まったレシートや領収書とにらめっこする香織を見た回数は、両手に余る。
まあ、仕事の合間にしていることだから雑になることも仕方のないこと。
ただこういうのはこまめに記帳するから意味があるわけで、最終的に相談した結果、最近では香織の家計簿も俺が記帳するようになっていた。
……また、こうして家計簿をつけ始めて気付いたことだが、香織は随分と倹約家だった。まあ、仕事の都合であまり外に出れないからお金の使いどころに恵まれていないだけかもしれないが。
ただ、貯まる一方の家計簿をつけるのは、成果もわかりやすくて結構楽しいと思い始めていた。
そんなわけで最近では、この家計簿の記帳が俺の趣味の一つになりつつある。趣味が家計簿とはなんとも悲しい高校生だと思うが、中身三十五歳の独身と考えれば割と違和感は感じなかった。
まあそんなわけで、家計簿アプリを眺めることが趣味となった俺は今、スマホをスクロールしながら貯金額の遍歴を調べていた。
そして、お金貯まったなあ、とうっとりするわけだ。
「数字を眺めて笑えるなんて、あんた経営者にでもなったつもり?」
いつの間にか俺の肩に顔を乗せるくらいに迫っていた橘さんが、ジト目でそんなことを言った。
「まあ、我が家の手綱は俺が握っていると言ってもいいのは確かだね」
「そういうのはお金を家に収めるようになってから言うべきじゃないの?」
その通りだと思わされた。
橘さんに呆れられた結果、再び彼女は参考書に視線を落とした。
俺もそれを見送って、再び家計簿を眺めた。
順調に右肩上がりに増えていく貯金額のグラフを見ながら、俺はふと気付いた。
それは去年の四月頃のデータである。ほぼ一定のペースで増えていた貯金額が、その月だけ伸び悩みを見せていた。……というか、停滞していたと言っても過言ではなかった。
去年の四月の支出を調べて見ると、
『菊の花(白) 二基』
香織が打ち込んだであろう簡潔な文章が、真っ先に目に飛び込んだ。
誰かの不幸が続いたりでもしたのだろうか? それか、見舞いに使ったとか。
そう言えばこの翌月に、俺は伊織の姿になり目を覚ましたのだった。であれば、二基の内、一基は俺の見舞い用に当てたのだろうか?
もう一基は……わからない。もしかしたら、香織の夫の忌日が近くて、一緒に買ってしまったとか、だろうか?
とにかく、意外なところから新たな情報を一つ見つけた気がして、俺は少し興奮をしていた。伊織という少年の昏睡状態が始まった時期が特定出来れば、その時期の新聞を総ざらいするなど、調査範囲が飛躍的に広がっていくことになる。
もっと、何か情報はないだろうか。
香織がこのアプリを使い始めたのが、一昨年の八月。それからの情報を流し見程度で見てみるが、特に思い当たる新情報は見つからなかった。
「着いたよ」
「え? ああ、うん」
橘さんに教えられて、俺は電車を降りた。
評価、ブクマ、感想よろしくお願いします!!!




