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青い空。白い雲。砂浜にカモメに、サンサンと輝く太陽。そして波打つ塩水溜まり。
最悪だ。すべてが疎ましかった。大嫌いだ。私の胸中は、この世の全てを憎み忌む魔王と化していた。
「今日は絶好の海日和ねー!」
波打ち際で虹色のパレオを腰に巻いた石清水さんが大きく伸びをした。高橋さんと鈴木さんは海に入って微笑ましい水のかけっこをしていたし、杉田さん(巨乳)はおっかなびっくりといった感じに裸足を水に濡れた砂に突っ込んで、如月さんは顔を真っ赤にしながらビーチボールを膨らましていた。眼鏡を外したら何か物足りない印象が拭えない。
私は、ただ砂浜で、ギリギリ砂浜でその光景を妬ましく眺めていた。
砂でお城を作ろうとしたが、砂だけで作ってもまともに固まる訳が無く、だらしなく崩れてまさにミニチュアの砂丘になっていた。
楽しそうにしている皆が羨ましいのなら、混ざればいいという人もいるかもしれない。
それは出来ない。なぜなら、海コワイ。
NO MORE 波!NO MORE 海水!NO MORE 波音!NO MORE 砂浜!NO MORE 潮風!
逆になんで皆は怖くないのか不思議だ。泳げない上に、足を一歩踏み入れたらそのまま波に攫われて、漂流なんかしたらどうするつもりだ。シャークの格好の餌食に違いない。四方八方を海で囲まれて、万一丸太やなんかをゲットして水に浮けたとして船やヘリコプターが偶々通りかかるとは思えない。そのままずっと一人で海面を漂うなんて餓死より先に話し相手がいなくて孤独死してしまう。絶対に耐えられない。
私の主張はおかしいだろうか。同じ哺乳類である類人猿や犬猫は本能的に水を嫌うという。遺伝子的に彼らと遠くない我々人間の中にもそれに近い恐怖症の者がいて何が悪い。海に来たからといって海に入らない者がいて何が悪い。と、いうわけで私は海で遊びません。決して私を海に近づけないで下さい。
…と北条政子も真っ青な大演説をした結果、親衛隊の皆の反応はこうである。
杉田さん「わかったわかった。無理して海に入る事もないわよ」
高橋さん「なんなら部屋に戻っててもいいんじゃない?ここじゃ暑いでしょ」
鈴木さん「そうそう、別に強制してる訳じゃないんだから」
如月さん「まったく勿体無い、まぁ鬼丸らしいっちゃらしいけど」
石清水さん「自由行動してもいいけど、もし道路に出るのなら車には気をつけるのよ」
皆、引き際あっさりすぎるよ!!!
もっとなんかさぁ、こう…『えぇ~鬼丸がいないとつまんないし!』『折角の旅先でそういうノリ悪いの無し無し、ホラ一緒にビーチバレーしよ』とか腕を引っ張られたら、私だって吝かで無く「んも~、嫌だって言ってるのにぃ~。全くしょうがないなぁ」と仲間に加わったりくらいはするのに。
それに海ならまだ我慢出来る方なので、ちょっと我慢すれば何ら問題はないのに。
あ゛ああああああああ…あんなに気合入れて演説するんじゃなかった。何にも言わないでしれっと仲間に加わっていれば良かった。今更、「今のはちょっと言いすぎました~。私もまぜて☆」なんて宣うなんて無理だろう。後悔先にDON' T STAND UP。…あれ、今ルー佐伯が乗り移った?
「…基本的にド痛い構ってちゃんなんだもんなぁ」
体育座りでいじいじと砂浜にのの字を描き、膝小僧の隙間から描きはしゃぐ若人たちをじっとりと観察する。誰かが気付いて、『何怨念を垂れながしてんのよ。もういいからこっちにおいで』と手招きでもしてくれないかなと思いながら。
そこまでお膳立てされなくても、少しでも此方に声をかけてくれたのなら大喜びで――猿河氏がよく言う表現をするなら、尻尾を振りながら飛びつくのに。
いっこうに見向きもされず心折れて息を吐いた。
それにしても暑い…。剥き出しの黒頭に熱が集中している。旋毛はハゲそうなくらい熱くなっていた。あ、これ日射病になるやつだ。
これで昏倒とかしたら誰か心配してくれるかな、と傍迷惑な事を考えて一人でフフッと笑った。
日焼け止めも一応塗ったが、こんなノースリーブのシャツじゃ大して意味が無い気がする。だって長袖は暑いし、かといって部屋で皆の帰りを待つだけなんて嫌だし。
やや朦朧とした頭で、そんな事をぐだぐだ考えていたら顔に突然冷たいものがかかった。
「!??」
何事かと思って顔を上げたら、でかい水鉄砲の銃口が目の前にあった。
「さるか…わぷ!」
この銃撃の理由も言わず、サーフパンツ姿の猿河氏が第二砲のトリガーを打つ。氏の表情はサングラスで目元が隠れているため全く無表情に見える。ていうか何だそのサングラス。顔の造り的にお忍びでやってきたハリウッド俳優みたいでやたら似合っていた。
「ねぇ、ちょっ!なにをっ」私の制止もなんのその、第三砲。
「何いきなり!タンマ!分かったから!一先ず砲撃は止めよう、話せば分かる!」
第四、第五、第六砲の水飛沫が飛ぶ。両手で顔をガードしてたら、今度はシャツにぶっかけられた。
「冷たっ!だから唐突になに!?ソレ玩具にしてはなんかちょっと威力強すぎない!?ほら、えーと、こんないたいけな少女に暴行なんてしたらイメージが壊れるよ?ほら、猿河王子~…と、とりあえず水鉄砲は置こうよ!!」
やっと水鉄砲を捕まえて、上に逸らさせる。
防がれた砲撃にとくに動揺した様子も無く、猿河氏はサングラスを頭の上にかけ直した。
露出したその爛々と光る翠の色に何となく萎縮してしまう。
「なんだ。ちゃんと着てるんだ、水着」
そう言われて自分の胸元を見ると水に濡れて透けて中に着ているものが透けていた。
妙に気恥ずかしさが湧き上がって、腕で体を隠して尻餅をついたまま後ずさる。
「は?別に隠す必要なくない?僕があげたやつなんだから柄も知ってるし」
「いや、そういう問題じゃない!そういう問題じゃないから!」
大事な事なので二回言いました。それでも猿河氏は不思議そうな顔で首を傾げているので、氏には人間社会の倫理観というものを教えてやりたい。あと乙女心。
「そもそも、着てるかどうか確かめるのはもっと紳士的な方法があると思うんですがそれは…」
これで下着だった場合、どんな修羅場が待っていた事か。
猿河氏のセクハラも慣れたものだが(毒されている)、これはちょっと洒落にならない。
「今回はまぁ、初犯と言う事で許しますが次はないからね。ていうか、狙ってやったんなら普通に最低だから。分かる?最も低いって事だよ、人間性が。って聞いて…ぬああっ!?」
何が起こったか簡潔に一言で言うと、すごく自然にショーパンも脱がされた。そりゃあもうスポーンと。イメージとしてはマグロの一本釣り。
「ほら、早く脱ご?また服濡らしちゃうから。ビショビショになっちゃうから」
と、両手を広げて寄って来るように促す猿河氏に今更誰が近づくと思っている。つーか、ビショビショって、また水鉄砲の的にさせる気か!?全然楽しくないよ、そんなもの。ならここでずっと砂遊びしてた方が何倍もマシだよ!
「ひぇえ…」と悲鳴が口から漏れてしまった。本格的にこの場から脱出しようとして、腰を上げて一歩踏み出した所を砂地に押し付けられた。太腿にのしかかられマウントを取られているせいで、移動がままならない。
「構ってもらってはしゃいじゃうのは分かるけど、その辺にして大人しく上も脱ごうね~…あれ?」
決して構われて喜んでいるわけじゃないと言い返そうとして、猿河氏が何かを気付いたような素振りを見せたのに気付いた。嫌な予感がした。
「ごめん、サイズ小さかった?おっかしいな…前触った時はこれくらいだと思ったんだけど」
猿河氏は私の臀部をしげしげと観察し、なんの躊躇いも見せずに見事に食い込んでいるゴム生地に指を掛け、そのまま上方向にゴムを引っ張り、そして離した。
「~~~~ッ!!!!」
声にならない悲鳴を上げて私はその場に悶え転げた。痛いというより音が。『ッパァンン!』という肉とゴムが激しく衝突して、衝撃でぶるんと尻肉がだらしなく揺れたのを感じて。しかもそれを50cmも離れてない至近距離で人(犯人)に目撃されていて。ものすごい羞恥心と屈辱感が襲ってきて死にそうになっていた。
さっき最低といったが、それのさらに下をいく所業だった。
怒鳴りたいのにあまりのショックで声が出ないでいると、代わりに猿河氏が口を開いた。
「これ、もう一回やってもいい?」
なんでちょっと面白味を見出しそうになってんだよ。
これには「止めて下さい。次やられたら、私もうお嫁に行けない…」と、恥やプライドを殴り捨てて半泣きで懇願するしかなかった。
昨日、自販機の前で猿河氏と和解した時に「そういえば、まだ罰ゲームしてもらってないよね」と猿河氏が言い出した。
最初は何の事が全く分からなかったが、電車の中で負けた大富豪の事だと思い当たった。
いや、正確にはまだ勝敗は決まってなかった。大貧民になりそうなのが確定しそうになり、電車が駅に着きそうなのを理由にゲームを強制終了させたからだ。罰ゲームなんてどう考えても恐ろしい。だから回避した。
猿河氏は言った。「ゲーム終了時点で僕は既に上がって都落ちも免れた。だから、哀ちゃんが僕のお願いを聞くって事でいいよね?」と。そして、私にビニール製のナップ袋を渡してきた。中身は水着だった。特に過激なデザインでもなく、腰周りがフリル調のミニスカになっている普通に可愛らしいデザインのワンピースタイプだった。
曰く「それ、受けとってくれたらいいよ。企み?別にないよ?ただ、折角哀ちゃんを思って買ったから貰って欲しかっただけだし」。その台詞を聞いて猿河氏も丸くなったなぁなんて思った私が阿呆だった。そういえば一緒に水着買いに行こうとか誘ってくれていたなぁ、わざわざ私の分まで購入してくれていたなんてと感激した大馬鹿野郎だった。
「まさか着てくれるとは思ってなかった。今日は泳がないって聞いてたし」
晴れて(?)水着だけになって立ち上がり、尻を両手で押さえながら猿河氏の方へ振り返った。
「いや、だって担がれて海にダイブとかされると思ったんだもん…。よくあるじゃん、こう…グループのいじられキャラが御神輿みたいにワッショイワッショイ運ばれて水中に落とされるやつ。ああいう事が万が一起きた時の為に…ね?」
実際はそんな事は全然起きなかったので、ただただ虚しいだけだった。
「なに?それやって欲しいの?」
言うやいなや、私の体はお腹を上にしてグァッと持ち上がった。よいしょ、と人の体を荷物みたいに肩の上に担ぐものじゃない。何、この体験したことのない高さ!何この数多の絶叫マシンも超越する不安定さ!怖い怖い!
「違うから!猿河氏、これ私が望んでいるものとは違う!大幅に違う!ねぇ、ちょっあっ…ああああああああああああああ!!!」
それは、私のこれまでの人生(約4年間)でトップ3には輝くであろうトラウマになったのであった。
◆
「…肝試し??」
もうそろそろ夕方になったので引き上げようという頃、猿河氏がある提案をした。
「うん、そこ裏山の方探索してたら石祠のようなもの見つけたんだよね」
猿河氏が施設の西側にある鬱蒼とした雑木林を指差した。なるほど、それで最初の方姿が見えなかったのか。どこまでが私有林かも分からないのにウロウロ歩き回るとか一体何をやっているのか。しかも、謎の祠とか見つけるとかマジ有り得ないんですけど。
あげくの果てに肝試しとか。なにを言い出すと思えば…。
「そ、そういうのヤバいんじゃないですか?ほら、夜の外出は禁止されているし」
規則に厳しい石清水さんの方を向いて、彼女の同意を求めた。
「鬼丸?夜の遊泳は禁止されているけど、22時までの外出は管理人さんに届けを出せば可能なはずよ」
あえなく撃沈したのを横に首を振って誤魔化した。
「大体、いい年して肝試しなんてダサくないですか?マジでウケるんですけど~」
「鬼丸、なんか声変わりしてないか?」
如月さんが不審げな視線を寄越してくるのに、「べぇぇつにぃぃ?」と我ながらウザさ満点に答えた。虚勢くらいはってなければやっていけなかった。
「あそこ、昼間でも薄暗くてなかなか雰囲気あったしそんなにつまらないものにはならないと思うんだけどな。鬼丸さんがそこまで言うのなら止めとこうか?」
さも申し訳なさそうに目を伏せた猿河氏を見て、確信した。
貴奴は絶対に企画を取り下げる気など更々無いのだと。
「いえ、やりましょう!」と予想に違わず杉田さんの力強い一言がすぐかかった。
「別にダサくないってか、キャンプとか行ったときの定番中の定番でしょ?折角修司が見つけてくれたのに」
と鈴木さんが被せるように言い、高橋さんが私の顔を覗き込んで髪の生え際あたりの額をなぞった。
「というか、さっきから汗すごいけどどうしたの。気温さっきより下がっているはずだけど」
彼女達が猿河氏の言う事を逆らうはずが無かった。
最初から全部予定調和だったのだ。こっそり恨みを込めた目で睨んでみても、猿河氏は平気な顔で此方を見下ろしていた。
「じゃあ、今日の21時にやりましょう。鬼丸もそれでいいわよね?それともなにか異論はある?」
「…………ないです…。」
この状況で異議なんて唱えられるものか。
ほんともう、私は知らないぞ。幽霊が出たって、呪われたって、私は知らないからな。
こういう軽率な行動が悪霊を呼び寄せるって怪談のテンプレートなんだぞ。
ほんと、幽霊が…出ちゃったらどうするんだ……私、寺生まれのTさんの連絡先なんて知らんぞ…。




