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「杉田さん…目の隈ひどいですよ、皆も。どうしたんですか、このどんよりとした空気は」
いつもは熱気が籠もって暑苦しいくらいの愛でる会のミーティングも、今日はまるでお通夜だ。
「今日から、皆知ってるとは思うけど会の活動を停止します。理由は私たち自身が知らず知らずのうちに修司を傷付けてしまった事にあります」
悲痛な顔で杉田さんが告げる。そこに誰も反論を出さない。気まずい雰囲気があたりを支配する。
耐え切れず私が声を発する。いつもはアホの子であるのを弁えて「はい」としか言わない私が。
「そんなに思い詰めなくていいんじゃないですか?確かに殺虫剤事件は問題があったと思いますが、猿河君ももう今更蒸し返して怒ってなんていないと思いますよ」
私は全く気にする必要はないと思う。
猿河氏、別に機嫌悪くなかったし。むしろニッコニコしてたし。こっちが勘違いしてるだけなんじゃないかなぁ。
「お黙り、新入りあんたに修司の何が分かるっていうの」
「あんたはKYアホだからそんなにヘラヘラしていられるでしょうけど、私たちは修司に嫌われたら生きていけないの。存在意義を失うの」
鈴木さん高橋さんコンビが双子のように畳み掛け、二人とも全部言い終わって深く溜め息をついた。…KYアホって。私でも多少は空気を読むことはあるわ!ごく稀にだけど。
「しかも私たちより、クラスの女や実行委員を取るなんて…もう、私たち捨てられてしまうのかも」
石清水さんが頬に掌を当て、目を伏せた。
「まぁまぁ、私たちはなんせ草葉の陰から愛でる会ですから別に猿河君に目を向けてもらえなくてもこっそり活動しても大丈夫だと思いますよ。私たちの目的は、いかなるときも猿河修司の健康と心の安全を守り抜く、そうですよね?ね?」
ぐっと握り拳を作りわざわざ鬱陶しい笑顔で歯切れよく皆を励ましたにも関わらず、皆の表情は冴えないままだ。誰もが誰も屍人のような昏い目と土気色の顔。私ひとりぽつんと取り残され、立ちつくす。
「えと、もしもーし」
この意外と単純な人達なら、あっと言う間にノリ気になると思ったのに。
どうしよう。傷は思いの外深いようだ。
◆
「…で、僕にどうしろと?」
廊下で猿河君を捕まえ、周囲を警戒しながら空き教室に連れ込んだ。
「皆の落ち込みようがあまりにも見てられないんで、なんとか言ってもらえないですか?なんか優しい言葉のひとつや二つかけたらたぶんすぐ復活すると思うんで」
あの色んな意味で逞しかったメンバーがあんな豆腐メンタルだったとは…。このままだとしおしおになって溶けてしまいそうだ。しかも活動を停止するとか、これは会消滅フラグじゃないか。
「だからなんで僕がそれをやる必要があるの」
「なんでって、猿河君の親衛隊だからにきまってるじゃないか!じゃなきゃわざわざ猿河君に頼まんわ、ばかやろう」
「君、昨日はかわいかったのになんで今日はこんなに生意気になってるんだろうね~…いけないのはこの口かなぁ~」
おもむろに猿河氏が私の顎ごと鷲掴み、頬に長い指が食い込ませた。ぐぎぎ…と腕を押しのけて暫く格闘するが、完全に遊ばれて最終的に格闘技の絞め技みたいなのを掛けられていた。なぜ私はヘッドロックされているのだろう。いたたたたたたた…。
「別に僕があれを作ったわけじゃないし、作ってって頼んだ訳でもない。勝手にやって勝手に自滅しているだけでしょ?僕がどうこうする余地なくない?」
「でもそういうの嫌いじゃないって言ってたじゃん!ちやほやされるの好きなんでしょ!?このナルシストが!ぐ、ぐえええええ…」
最後の方が瀕死のダチョウみたいになったのは、ヘッドを文字通りロックされた上さらに絞められたからだ。
「まぁ、不快ではないけど特別何か感情を持っているわけでもないよ。正直どうでもいい、勝手に失望でもなんでもすればいいよ。僕が君たちのために面倒な事をする意味もない。君も良かったじゃん、一年のこんな早くから解放されて。いやいや参加してたんでしょ?」
「冷血漢…」
「言ってれば?」
「言ってれば?っていう割に首絞めるのやめてよ!!大人げない、ぐぇえ~…」
なんだ、この何気なく行われる暴行は!しかもいたいけな少女に向かって!人の心を失くした悪魔か、貴様は。
いつもならもうこの時点で折れているが、なんだか今朝の愛でる会の皆を思い出して今日は食い下がった。
「でも猿河君、やっぱりどうしても駄目かな。皆本当に猿河君のこと好きなんだよ。猿河君だって好きな人できたことあるでしょ?」
「ないよ」
「でしょ?ならわかるよね……ってないの!?嘘だぁ!なにカッコつけて嘘ついてんだよ!」
「嘘じゃないって。別に誰にも告白したことないし、熱に浮かされて黒歴史作ったり、眠れる夜を過ごした事もないよ。その逆はあるけど。そんな事されても僕には全く理解できないし正直引いたね、あれは」
「えぇー」
「ていうか、僕以上に美しくて完璧な女なんているの?いないじゃん!特にこんな田舎じゃさぁ。女も男もイモばっかりで、そんな中で好きな人を探せって無理じゃない?まぁ例え、ミス日本のモデルだろうが、人気絶頂のアイドルだろうが僕の前じゃスッポンに成り果てるけどね」
「清々しいまでにすごい言いようだなぁ…ここまで言い切れるって逆にすごいよ」
ふふん、とふんぞり返るけど別に褒めてないから。猿河氏のナルシストは筋金入りなのは知ってたけどここまでだとは。
猿河氏の事をリア充とか勝ち組とか思っていたけど、もしかしたら案外そうではないのかもしれない。とりあえず恋愛面ではかなり苦労しそうである。
「…じゃあ好きな人がいないにしても友達とかいるじゃん。そういう人が落ち込んでいたら普通励まさないか。助けたりしない?それとも、体面だけ取り繕って面倒だから放置するんですか」
「その答え聞きたい?」
少しも声が揺れない猿河氏に、そうだとは言えなかった。聞いてしまったらもう坂道を転がるようにもう後には、たった数秒前にすら戻れなくなってしまいそうで。私は何もかも中途半端な、白黒付けるのが苦手な人間で、徹底的に人を嫌いになる事も嫌われる覚悟もない。そういう意味では、私と猿河氏は似ている思考回路なのかもしれない。
だけど、猿河氏。じゃあ、なんでポスター配りに行った時雨降ったなか傘を持ってきたりしたんだ。
なんであんなに人と話をしていて笑ったり、怒ったりできるんだ。
人に無関心でも無感動でもないだろうに。私は知っているんだぞ。
「猿河氏がこだわっているのは、本当は綺麗だとか美しさじゃないんじゃないの」
「何急に…」
ただの私の妄想だったら相当に恥ずかしい黒歴史の誕生で、たぶんずっと猿河氏に詰られ続けるだろうけど、それでも言わずにおれなかった。
「自分の気持ちがちゃんと期待通り相手に跳ね返ってくるか心配なんだよ。それが万が一、拒否されたり無視されたら致命傷を受けて絶対立ち直れない。って思いこんでて、ならば気持ちなんて誰にもあげないほうがいいって思ってる」
猿河君は無言だ。呆れているのか困惑しているのかどっちかは顔が見えないので分からないけど、さっきみたいに首を締めないあたり私が話すのを封じる気はなさそうだ。
「もしそうなら私も一緒だよ。よかったね、一人じゃない」
「それこそ嘘だろ」
「ほんとだって。あと、少なくとも私は仲間がいてくれてうれしいよ。おんなじ臆病者でも惨めに傷を舐め合えるし、一緒に戦えるから」
そんなのはお断りだ、と即座に猿河君が答えた。だよね、と少し噴き出して答えてしまった。想像通りの答えで笑ってしまったのだ。
「…今日実行委員の仕事の後、ちょっと手伝ってほしいからこの教室で待ってて。多分18時くらいになるけど」
「えぇ~」
「手伝ってくれたら、杉田さん達の事は考えるよ」
「まじで!?」
こうして謎の気まぐれが変わらぬうちに二つ返事で答えて、さっさとクラスに戻り出し物の手伝いをしたところ「むしろ邪魔だから」と、シッシッと追い出され沙耶ちゃん達と一緒にクラス展示の切り絵を制作して(紙を切る係)それすらすぐ終わって、暇なので延々としゃべり続けていたらうるさいからあっちいけと言われたので、犬塚君に話し相手をしてもらって(犬塚君は眠そうに「ああ」とか「おう」とか適当に答えていた)時間まで待った。
「おい、鬼丸」
空き教室についた頃、どこから付けていたのか如月さんが乱入してきた。猿河氏はまだ来ていない。
「親衛隊はそのまま解散させろ。余計な事を猿河に言うんじゃない」
また何を言い出すのやら、一方的にそれだけ言う。先輩だからといって偉そうだ。
なんでですか、と聞いたら、なんでもだ、と返すから全く納得できない。
「この件に関しては如月さんが口出す権利なんてないですけど」
「じゃあ、お前と猿河が人目から隠れてイチャイチャしている事を親衛隊に告げ口するまでだ。そうすればおのずと崩壊する。貴様も裏切り者としてボコボコに殴られるかもな」
「別にイチャイチャなんてしてないですよ!人聞きの悪い!」
「してるだろうがよ!自覚なしか、ならよっぽど性質が悪いぞ」
言いがかりにもほどがあるし、対等だと言ったその口で早くも私を駒と扱おうとしているのに不満がありすぎてとてもじゃないけど了承できない。
「じゃあこの際、猿河へのハニートラップは中断していいから親衛隊を解散させろ」
「はぁ?なにいってんですか」
「か・い・さ・ん、だッ!」
ドンと机を叩いた拍子にぽろりと如月さんのポケットの中から何かが落ちて散らばった。
「なんか落ちましたよ、生徒手帳?」
ぱらりと中から何かはみ出しているので何気なく見てしまった。
「あ゛…返せ、バカ者!見るんじゃない!」
ばっとすぐに生徒手帳は如月さんが取り返した。ものすごい速さだった。
「な、中身見たか?」
こくこく、と頷くしかなかった。もう見たものはそう簡単に忘れられない。
写っていたのは杉田さんだった。愛でる会会長の。
「まさか…杉田さんが好き、とか?だから親衛隊を無くしてしまいたいんですか?」
如月さんは真っ赤な顔で押し黙っていて、もう確実だった。
「ぎゃあああ、まじっすか!なら最初からそう言ってくれればいいのに!うわー、えー、いつからです?」
「うるさい、黙れ馬鹿!」
口を押さえようとする如月さんに抵抗し、ぎゃあぎゃあ喚き立て取っ組み合いになる。猿河氏とは圧倒的な力の差があるけれど、如月さんならまだ互角に渡りあえる。
思わぬネタに大興奮で騒いでいると、教室の戸ががらりと開いた。
「ごめん、ちょっと遅れた。…ってまだ来てないのかよ」
いいえ、ケフィアです。ちゃんと来ていますとも。
入ってきたのは猿河氏で、私と如月さんは間一髪とっさに真後ろのロッカーに隠れたのだった。
当然あのロッカーは人が身を隠すものではなく、そこに二人で入るなんて無茶な話だ。
居心地も当然悪く、小声でこそこそと如月さんに文句を言った。
「(ちょっと、もうちょっと詰めてくださいよ。完璧にお尻触ってるじゃないですか、セクハラですよ)」
「(不可抗力だ。こっちだってギリギリなんだよ。おい、足踏んでる。退けろ退けろ)」
無理だ。多分少しでも身動きしたら開いてしまう。
しかしよくよく考えたら隠れるのは如月さんだけで良かったはずだ。ほんとに選択を誤った。
「(あ、だめだ。くしゃみでそう…)」
ホコリが鼻に入ったのか、さっきからどうもムズムズする。
「(はぁ?ふざけんな!押さえろ押さえろ)」
こんな状況じゃ口も抑えられないし、多分ばれる。そうすれば如月さんの存在が猿河氏にばれて作戦は実行不可になてしまう。
「(む、むりぃ…)」
「(わかった、俺の肩に頭を付けていいからそこでくしゃみしろ)」
「(お、おう)」
なんとか頭だけは動かせるのでお言葉に甘えて、そのままヴぇくし!!とくしゃみをした。
猿河氏にバレるのかと思ったら、何の音沙汰もなかったのでセーフだった。
とりあえずホーッと静かに息を吐いた。
「(うええ、そんな思いっきりくしゃみすんなよ。なぜ遠慮しない)」
「(はぁ?器小さいっすね~、だから杉田さんに見向きもされないんですよ)」
「(おま、ここでその話を出すか?それに見向きもされないんんではなく、まだ名前を名乗ってないだけだ。杉田さんが俺を知らなくて当然だろう)」
「(え、なのに写真持ち歩いているんですか?きもい)」
「(うるさい。わかった、貴様表に出ろ。折檻してやる)」
「(はいはい、わかったので大人しくお口チャックしましょうね~)」
ロッカーの隙間から外の様子が見えて、猿河氏の様子を観察している。椅子に片膝に足を置き、例のシャンパンゴールドのスマホをいじっている。
てっきり私が時間通りに来なかったらすぐ帰ると思っていたのに。なんだか罪悪感がちくちくと胸にささる。
「(猿河はまだ帰らないのか)」
チッと如月さんが舌打ちした。事の元凶がなにを言っている。
「僕を待たせるなんて生意気なんだけど」
ちょうど同じくらい猿河氏も一人言を言った。たぶん生意気は私の事だ。
「もうしらない、電話出なかったら即監禁する」
暫くして、痺れをきらしたらしく猿河君がなんか恐ろしいことを言ってスマホを操作しだした。
「(如月さん、どうしよう。やばい)」
「(なんだ、どうした…)」
プルルルルル…
電話が高らかにロッカー内に響き渡った。音源は私のスカートのポケットだ。
携帯をマナーモードにするの忘れていた。一気に体温が下がっていく。
止めようとして肘がドアにぶつかった。
ゆっくりとロッカーが開いた。ドアの前に猿河氏が立っていた。
「……なにこれ?なにしてんの」
二人でロッカーにぎゅうぎゅう詰めで入って、私は如月さんの肩に顔を埋めてまるで抱きついている体勢を取っているだけですが、何か。
「え、あと猿河氏を、驚かせようと思って…ね?タイミングうかがってたんだよ、ちゃんと時間通りに来てたし。か、顔怖いよ?大丈夫?ごめんね、やりすぎた」
「誰そいつ、そのメガネ」
メガネ=如月さんがぎょっとして体をぶるりと大きく震わせた。それからずっと小刻みに体が震えている。理由は猿河氏の顔や雰囲気が尋常ではなくいつもとはくらべものにならないほど邪悪だからだ。
「この人はえーっと、あの…なんか芸人で言う、私の相方的な…」
「そうそう!一緒にロッカーでネタ作りしてたんだよな!」
へぇ、と相槌をうったあとに低くて小さな声で「死ねよ、糞ビッチが」と猿河君が言っていたのを聞いてしまい失禁するかと思った。
「君たちそろって僕をコケにすんのも止めてくれない?そういうのマジで嫌いだから、それともやり返してほしい?あんたらの精神に一生消えない傷を残してやってもいいんだよ。どう?」
「わ、わかりました。以後気をつけます…」
「そう、分かったらさっさと失せて。別に大した手伝いじゃなかったし、目の前ウロウロされても迷惑だし」
「は、はい…」
これからどうするよ…と私と如月さんがお互い目配せすると、舌打ちをした猿河君にそのまま教室から無理矢理追い出された。




