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父親は死んだ。私が殺した。食べてしまった。
火葬場から出る煙を眺めて、ようやく実感が湧いた。
自宅で死亡しているのが発見され、変死のため多少時間がかかったがようやく父親の亡骸が燃やされた。父親には身寄りはいない。葬式なんてほんのささやかなものしかされなかった。
勿論、罪悪感なんてない。この男に私も哀も滅茶苦茶にされた。哀をこれ以上害しないために消した。それだけの事だ。
子どもの頃に、殺しておけばよかった。可能だったし、何度も頭をよぎった。でも、結局出来なかった。私は間抜けな愚か者だ。
あんな父親でも必要だなんて、ただの寝言だ。私がいなくなっても哀を苦しめた。守らなかった。結果、哀はまた壊れてしまった。
哀が喪服で火葬場から出てくる。目が合わないように遠くから見る。私は参列なんてできない。既にこの世にいない人間だから。
哀の表情は昏い。
私が手をかけたと知ったら哀はどう思うだろうか?きっと喜びはしないのは分かる。
今更、哀にどう思われたって構わない。
そもそも私のことなど覚えていないんだ。それでいい。
あと私がやる事はひとつだけだ。
哀の力を全て奪う。その為に私はこの世界に戻ってきた。
肉親、特に兄弟・姉妹間なら力を吸収と譲渡ができる。
あちらの世界で知った事だった。それならば、哀を普通の人間にする事ができる。
前回は失敗してしまった。
世界の時間を戻った時彼女から力を吸収したが、ほんの一部しか取れなかった。
能力者としてより強力な力がある方が吸収する方が上手くいくのだという。つまり哀の方が能力者としては格上だという事だ。この力は使えば使うほど成長する。
哀はどれほどあの力を使ったのか。他の並行世界に影響を与えるほど規模の大きい力を。
何回くり返したのか。彼女はどんな世界をつくりたかったのか分からない。
私が見る限り、彼女は愛されていた。危うい所も、周囲の人間が支えてくれた。これは哀が他人を大事に扱った結果だ。それは本人がいくら否定しようと、間違いなんかじゃない。
「…哀はどうしたいの?」
昔は手に取るように分かった双子のかたわれの気持ちが、今はあまりに遠い。
◆
その夜、久しぶりに昔の夢を見た。
あの川縁近くの土手に二人で遊んでいた。
まだ小さな哀が、不器用なのに必死に花冠を作っていた。私は絵本を読みながら、横目でそれを見ていた。
哀はやっと完成した花冠をにこにこしながら私にかけた。
「自分の頭に付けなよ、哀」
「零のために作ったんだもん」
そう言われては返せない。自分に似合わないのは分かっているから本当は恥ずかしくて外したい。でも哀を悲しませたくない。
「ね、零。私達ずっと一緒だよね、この先も。中学生や高校生になっても、大人になっても」
絵本の中の双子の結末は、そうじゃなかった。
結局違う人間だから別々に生きるしかない。きっと私と哀だってそうだ。
「そうしたいけど、きっと無理だよ」
「なんで?零は私が嫌い?」
本を閉じて哀の方を見る。哀はショックを受けた顔をしていた。
「哀はそのうち、私よりも他の男の子を選ぶから」
哀が縋り付いてきて、折角の花冠が草むらに落ちた。
「しないよ、そんな事。だから、零だって私を捨てないでよ。私のお姉ちゃんでいてよ、一人で別の世界に行かないで」
「私は哀の事を思って…」
「そんな事誰が頼んだ?」
は、と気付くと哀は大きくなって高校の制服を着ていた。
「零」
この姿で名前が呼ばれた事が、泣きたくなるほど嬉しかった。しかしこれは夢だ。こんな未来は存在しない。
桃園学園のあの教室、私と哀は二人きりだった。
「私は一人だったよ。零がいなくなったせいで」
哀は恨みの篭った目でそう告げた。
「哀はひとりぼっちじゃなかったよ。私がいなくても」
君はひとりで放っておかれる人間じゃない。私は知っている。君がいくら拒絶しても他人は哀が好きなんだ。
「鬼丸 零は死んだの」
「嘘だ」
「哀」
「だっている、ここに。現実に。私の記憶を消した事、勝手に一人で別の世界に行った事は許せない。だから」
哀はあの時みたいに力強く私の手を掴む。
「連れて行ってよ、零。そうしたら全部許すよ。私を零と同じ世界に連れていって。零はその為に戻ってきたんだよね?」
私は首を横に振る。目を瞑った。哀の啜り泣く声が聞こえたから。
「私は哀を普通の人間に戻すために来ただけ。哀の世界はここだよ。この世界にいなくてはならない存在なんだよ、貴女は」
うるさい、と哀は怒鳴った。私の腕を掴んだまま。
「他人なんて、どうでもいい。私には零がいれば」
これは私の夢だ。私は哀にそんな事を言わせたくない、とそう思っていた。私は自分が思っている以上に愚かだ。
「それこそ嘘。私は知ってるよ、貴女の双子の姉だから」
哀は隠したかったに違いない。
彼女は恋をしていた。誰にも知られないようにずっと笑って誤魔化していた。他人なんてどうでも良くなんかない。哀だってこの世界にいたいと思っている。
「違う、なんで、零」
「哀が好きな男の子は…ー」
もしも。もしも、私が能力を発芽しなければ、普通に学生生活を送れていれば、こんなやり取りもできたかもしれない。そう思うと目頭が熱くなってきた。
「零!違う、違うよ」
哀が認めず、その先を遮ってしまった。
瞬間、ぐにゃとまた景色が変わる。
今度は火葬場だった。私が外側からしか見ていない光景だ。
私と哀は、お父さんの骨を二人で壺に詰めていた。
「見て、零。お父さんこんなに小さくなっちゃった。これじゃもう私達を遊びに連れてくれたり出来ないね」
もっと恨み事を言ってもいいのに、哀から出る父親の話は美化されたものばかりだった。
「なんで哀はそんなに自分の家族に拘るの?お父さんもお母さんも碌な人間じゃなかったのは分かっているよね」
「うん、でも私の家族だから。零だって」
「家族なら裏切らないって思ってる?そうだとしたら大間違いだよ。哀の手足を何十回も潰したのはお父さんだよ、哀に食事を与えず閉じ込めたままにしたのはお母さんだよ」
「裏切られてもいい、家族なら」
よっぽど哀の方が洗脳されている。私のことだって、もう死んだものとして割り切ってくれればいい。
「そんなに家族は絶対的なものじゃない」
「私にはそれしかないから」
哀はまだ嘘をついている。骨を淡々と拾いながら、私の方を見ないようにしている。私はため息をついた。もうてこでも動かない。
「零、私いいこと思いついた」
「何?」
哀はお父さんの頭蓋骨を拾い上げて壺に蓋をした。
「私と零がひとつになっちゃえばずっと一緒にいられるね」
哀は笑ってそう言った。彼女らしい太陽みたいにあたたかい笑顔だ。父親も昔はこんな顔で微笑んでいた。
「一緒にいようよ、零」
「哀」
行けない。私は哀とはもう一緒にいられない。同じ問答の繰り返し。答えは分かり切っている。
「本当に、なんで…そんなのになっちゃったわけ…」
哀は首を傾げる。それが白々しい演技なのは分かり切っている。
「哀の中には、本物と偽物がいる。本物の哀はちゃんと分かっている。自分には家族以外の居場所がある事と、未来に向かって前向きに生きなければいけないことや、自分の存在が大切で守るべきものだってこと」
れい、と私の名前をよびながら哀の顔が次第に崩れていく。
「もう哀には、私はいらない。私も哀の側にいる必要がない。私はこの世界でただの幽霊だから」
「…」
ぼとりと哀の目玉が落ちた。熱い鉄板の上にじゅうと音を立てて蒸発していく。
「哀は何をそんなに怯えているの?独りぼっちになるよりもそれは怖いの?」
「……」
「何にも出来なかった小さい哀はもういない。もう自分の道を自分で歩ける。私やお父さんやお母さんがいなくても」
哀は何も言わなくなり、歯が取れ、鼻も捥げて、頭が落ちて粘度のもったただの液体になった。液体はその場を満たし、私の身体を飲み込んだ。
零、一緒に、はやく
思念だけになった哀は私を自分のもとに誘おうとする。
「いない、私は哀とはもう一緒にいない!いられない!そう私が決めたから!これが運命だからッ」
必死にもがいて絡め取られないようにする。哀の為にも、絶対に負けてやらない。息ができない。私は精一杯足足掻いて、それでも段々と意識が遠のいていった。
◆
「オイ、コラ。やっと見つけた。お前ふざけるなよ」
ゆすられて目が覚めた。
どのくらい眠っていたのか。ひどい夢を見た。額を拭うと冷や汗をびっしょりかいていた。
そうしてふと自分体に違和感を感じて、指先に傷を作ってみても直せない。体が震えた。何度試しても以前のように修復できない。
「力が使えない…」
信じられないことに、自分の力が全く使えなくなってしまった。全身から血の気がひいた。
「無視すんな。モモ」
キャシーがなぜかいる。しかし、今はそんな事はどうでもいい。
あれはただの夢だった。まだ私から哀には接触していなかった。だけど哀の仕業に思えて仕方がない。
まさか哀が私の力を奪った…?
できれば勘違いであって欲しいけど。




