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09:


「大丈夫ですか?少し横になりますか」


目の前の眼鏡をかけた青年は、心配そうにペケに声をかけた。


青年…桐谷雪路は待ち伏せて話しかけると、その取っ付きにくそうな風貌とは裏腹に自宅に招き入れた。


自宅には使用人がいて、かなり裕福な家庭なように見えた。

いきなり自宅に招くとかどういうつもりだ?と不審に思ってペケも連れてきた。ペケならば悪意や企みが分かれば、回避するよう動けるだろう。…ま、近頃のペケは日に日に状態が悪くなっている。動く事もままならなくて、呼びかけても反応しなくて顔を見てみると気絶している事があった。よっぽど異界渡りが身体にこたえているらしい。死にはしないだろうが、ここまでくるとペケの体力が回復する見込みはない。


「…」


ペケはゆらゆら小さく上半身を揺らしながら頷いた。


「こいつは口が聞けない。体も弱い、特にあまり人が多い所も得意じゃない。悪いが、部屋のすぐ外に控えている使用人を下がらせてくれないか」


本当に聞き入れてくれるとは思わなかったが、桐谷雪路がドアを少し開けて「千津子さん」とおそらく使用人の名前を呼んだ。


「悪いな」


桐谷は怜悧な目線をこちらに向けて、カップに口をつけた。


「でも、良かったのか?素性も分からないオレらに近付いて。オレが言うのもなんだが不用心すぎないか」


落ち着き払って眉一つ動かさない桐谷は、とても高校生に見えなかった。


「桃園 零…いや、鬼丸 零さんから貴方達の話は聞いていたので」


「お前、まだモモと連絡を取っているのか?!」


桐谷は首を振った。ペケが反応しないから間違ってはいないだろう。

だとしたら記憶があるのか?

これまで無数に繰り返していたが、誰にも記憶は無かったはずだった。モモからはそう報告を受けていた。オレも独自にこの世界についてやNo.111について調べていたし、その認識は間違っていなかったはすだ。


「覚えているんです。なぜこの時間の巻き戻しが起きたかも、全部以前零君に聞いています。しかし、今は居場所すら分からないです」


桐谷は淡々と話し続けた。


「あの時、まさに鬼丸君が力を使う時、僕も立ち会っていました。零君が鬼丸君の手を握って一瞬歪んだ空気が変化した気がします。僕には力についての情報はないですが、あれがもしかして今までと違う原因なのかもしれないと思っています」


一体モモはどこまでこいつに話したんだ?

ブレイカーや組織の話もどこまで話しているか知らないが、大分真実に近い。前提として、一般人にオレ達のことを知られるのは望ましくはない。モモは記憶を消す事ができるから安心していたのだろうか。


「…なぜ、モモはお前に近付いて正体を話した?」


頭を抱えたくなる。一般人に我々の内情が漏れる事は厳罰処分ものだ。


「ある調べ物をして欲しいと頼まれました。たまたま僕の家に関わる事だったので調べるのは比較的容易だったので」


その冷え冷えとした目つきからは、目の前の青年が何を考えているか分からない。俺らが恐ろしくはないのだろうか?組織やブレイカーの存在は、まったく未知の存在だろうに。


「キャシーさん達は、零君を探しているんですね」


「そうだ。だが、お前は知らないんだろう?」


「知りません。ですが、想像はつきます」


ほんとか、とサングラスを思わず外した。桐谷はオレの目を見てピタリと一瞬止まったが、それについて何も言及しなかった。


「教えろ、そこまで言って終わりって事はないだろ」


我ながらパンチきいていると思う素顔で凄んでも、桐谷は動じた様子は見られない。機械か人形みたいに抑揚のない言葉を続けるだけだった。


「条件があります。鬼丸君や零君のような能力者について、全て教えてください。勿論、この事は絶対に他言しません」


チラッと隣のペケを見た。既に意識が朦朧としているようで、桐谷の思考を読み取ることも操る体力も残っていないようだ。あまり長い時間もないようだ。見知らぬ客人を警戒して、近くに人が集まっている気配がする。


「…わ、わかった。その条件を呑む、ペケ。それくらいはできるだろ」


ハッキングなどの洗脳を伴わない思念の出力は、まだ負担も少ないらしい。ペケはひょろい腕を桐谷に差し出した。


「…?」


躊躇いながら桐谷はその手を取った。

瞬間、静電気がそこに走ったように桐谷が身体を硬直させた。そして、ペケがふらりとその場に崩れ落ちた。完全に気絶したようだ。


「だ、大丈夫ですか」


「命に別状はねーよ。少し寝れば回復するだろう。それより、情報は過不足無く伝わっただろ?」


頷いてまじまじと俺が抱えているペケを見ている。その能力を間近で見て奴なりに驚いているのだろう。表情にはあまり動きは無いが。


「それで、モモの居場所の手掛かりとはなんだ?」


父親です、と桐谷は淀みなく答えた。


「鬼丸 千萱(ちがや)。鬼丸君と零君の父親。零君に調べて貰うよう頼まれたのは、その父親の事についてです。思うに彼女はまた時間が繰り返す事を想定して、僕に調査を持ちかけたのだと思います」


この世界の実の父親?

ブレイカーは組織に属した時点で家族とは絶縁させられる。家族も本人についての記憶を消される。…異界生まれのモモの場合はどんな処理をしたか知らないが。


「親父でも恋しくなったか?そんなタマかねぇ」


少なくともモモがあっちの世界で家族を恋しがっている所など見たことがない。強がっているようにも見えないし。


「寧ろその逆だと思います」


桐谷はすっかり冷めたにもかかわらず、コーヒーを口に含んだ。





親父ねぇ…。

人間にとって親子関係は大事なもの、らしい。オレには親などそもそも存在しないから良く分からない。


「ペケ、いい所で桐谷の思考を乗っ取るか、意識を失わせろ。一般人が知っていていい事じゃない」


目を覚ましたペケに声をかけた。

しかし、様子が少し変だ。いつもより目つきが変だ。眠そうという訳ではない。


「おい」


軽く揺すっても反応が無い。言葉がないのはいつもの事だが。ついに限界がきたのか?

しかし、おかしい。

ペケはその危険な能力故に、組織を裏切ったり本当に心身が使い物にならなくなった場合は体内に埋め込まれた爆弾で自爆するようになっている。だからまだ生きているという事は、もう取り返しのつかないほど壊れていないはずだ。


「…」


かと思えば突然立ち上がった。

あまりに軽快な身のこなしに驚いていると、突然目の前が真っ暗になった。


…あー、やっちまった。


激しい目眩がして立てなくなった。見えなくなった視界を諦めて、聴覚と気配を頼りにペケを手繰り寄せようとするが掴めない。

にわかに信じがたい事だった。ペケが勝手に動くなど、しかもオレの動きを封じてまで。どう考えてもあり得ない。ペケほど組織の存在無しに生きれない奴はいないはずだ。恋人だって人質に取られているのに、切り捨てられるはずがない。

だとしたら、モモの仕業か?ふざけるなよ、あの小娘が。


舌打ちをしてみたが、それはモモは勿論ペケにだって聞こえないのだろう。

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