[extra26 夢のおわり]
ふわふわして、気持ちが良かった。
嬉しくて楽しくて、すべてがすべて私のものになってしまった気がした。
そういうことだったのだ。
最初からこうするべきだった。他人の幸せなんかどうでもいい。私は私の欲しいもの全部手に入れてもいいんだ。私は1人で生きなくてもいいのだ。
「……!」
聞こえない。他人の勝手なんか聞かない。
私は愛情しか要らない。この胸の穴を埋めることしか考えられない。
私は。
「……!……!!」
【この世界にひしめき合ってるどんな価値ある他人より私は私を一番大事に思ってる。守りたいよ、どんな手を使っても幸福にしてあげたい。】
そうだった。忘れていた。いや、見えないふりをしていた。封印していた。そんなことができない私でいたかった。
私は私が一番大事だった。私は結局自分のことしかできない。自分のことを守るために誰を犠牲にしても構わないとすら考えてしまう。
正体がむき出しになっているのに、嬉しかった。
自分が自分でいられることが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「……、……」
誰の言葉も、誰の顔も見えない。幸福のあまり思考がまとまらない。
でも、これでいい。これがいい。
苦しい現実なんか見たり聞いたりする必要なんかない。
…本当?あれ、本当に?
私はそう願っているの…??
「いい加減にしろ!!!クソバカ女が!!」
刹那、吹っ飛ばされた。
ものすごい衝撃で頭がゆらゆらする。あれ、ここはどこ。起き上がって見上げると、花巻先輩がいた。花巻先輩が泣いていた。
頬が痛い。私は花巻先輩に殴られたらしい。
なぜ?ていうか、ここは学校?
「嘘だっていいなよ、鬼丸」
「え…」
「犬塚とかいう奴と付き合ってるなんか嘘よね、まさかあんたが」
「そんな」
そんなわけない。そんなことするわけない。
え、ちょっと待って、あれ今日は何月何日?
「他の男を選ぶなら、最初から思わせぶりな態度するんじゃねーよ!!あいつの気持ちくらい少しは考えられないの!?」
呆然とするしかなかった。
なんでこんな状況になっているかわからない。花巻先輩は泣きながら走って行ってしまった。
携帯を見ると、もう三月のはじめだった。
信じられないが一ヶ月間のことを覚えていない。
犬塚君からLINEがきていた。
「明日から春休みだし、どっか行こうぜ」とメッセージが入っていた。
足や腕に、知らない歯型や痣が付いていた。誰にされたのか簡単に見当がついた。
まったく覚えていないが、心当たりはあった。
「ゼロ…」
初めて現実世界で彼女の名前を呼んだ。
彼女は最初からそこにいた。彼女は気がつくともう、顔も身体もある人型をしていた。濃厚なくらいの人の気配をまとっていた。彼女はすでに命を持ってしまっていた。
『それが貴女が望んでいることでしょう?』
「違う」
『じゃあ、お姉ちゃんみたいな邪魔者は消して欲しかった?大丈夫、眠ってていいよ。私がやっておく』
「やめて…」
私には姉がいた。いたらしい。
会った事がないから、実物は見た事がない。
彼女は私が記憶を無くした日に死んだ。
双子だったらしい。姉が彼女で、その妹が私だった。
彼女が私をどう思っていたのか、私が彼女にどんな感情を向けていたのか知らない。
姉の痕跡が多く残る家を、狂った母が燃やしてしまったし。姉を失った事を受け入れられずに、幼児のように振舞うようになった母。
私の事を子供だとは認識しているようだったが、なぜか話が通じなかった父。引き取ってくれると言ったのに、父の家からは遠く離れた部屋に住むように言われた。他の女ひとと再婚して家庭を作った。お腹の中には赤ちゃんがいるらしい。
小学校の最後の半年は地獄だった。凄まじい虐めで、担任の先生になぜ姉のようにできないのかと毎日怒られていた。虐めの首謀者は姉の友人たちだった。
お前のせいで姉は死んだんだ、と彼らと彼女達は言った。お前が死ねばよかったんだ、と畳針で私の爪を剥がした。
『だから、姉が憎かった』
「えっ」
『嫌いだったんでしょう?なんで今更良い子ぶってんの』
嘘をついた私を責めるように彼女は言った。
『覚えてなくたって分かるよ。あの子が嫌で、憎くて、妬ましい。今も昔もそうだった。だって自分には何も無いから。自分が自分であった瞬間から、何も無かった自分は、誰にも愛されたりしなかったから』
「止めて…」
泣いたってどうしようも無い事なのに、嗚咽の前兆で喉が熱い。
このまま、現実を受け止めるには私が脆すぎた。
『かわいそうな哀、空気を読まずに生まれてきてしまったばっかりに、こんな辛いだけの、誰かの神経を逆撫でするしかない存在にしかなれなくて』
「止めて、お願い」
『いいのよ?気にしないで。貴女は悪くない。悪いのは、自分を遺して死んだ姉。自分が受け取るべきだったものを全部奪って勝手に消えてしまった姉』
「違う」
『あれ、違うか。だって姉を殺したのは哀だもんねぇ』
「違う」
『考えてみたら、そうとしか思えないよね?あんな雨の日にあそこにいたわけ?洪水で氾濫している川になんで落ちるわけ?なんで、自分だけ生きてるわけ?』
「違う、私じゃない」
『死体が、ぐちゃぐちゃになって、判別不明な状態で良かったねぇ。だって首を絞めた痕がバレなくて済むもんね』
「ち、違う…聞きたくない」
『別に気に病まなくていいの。だって都合よく何にも覚えてないのだから、仕方がないわ。罪悪感なんて覚えようがないの』
「違う、違う違う違う!違う違う違う違う」
『人間の首を絞めた感触ってどう?どんな声で叫んでいた?どんな無様なようすで命乞いをした?ねぇ、ねぇねぇ…ざーんねん、覚えてないのか』
何度否定しても、ゼロの口は止まらない。
自分の心の中の、厳重に封印し続けていたものばかりを、着せ替えするように次々と私に充てがってくる。
『全部貴女のためだったのに。貴女が望んだことなのに』
「違う、私は違う、そんなことしない、私は私は私は私は私は私は私は」
『そう、貴女の世界にはいつも貴女ひとり』
「終わりだ。全部、もう全部、おまえのせいだ」
『始まりだよ。これから貴女は生まれ変わるの』
『鬼丸哀、世界一かわいそうな、さみしい、愚かで、醜い女の子。どうしようもなく愛情に飢えていて、その為だけに世界を壊している』
「あぁぁ…」
『だから早く選びなさいって言ったのに。ぐずぐずするから、もう手遅れになっちゃったじゃない。信頼出来るかどうかなんて貴女が判断する事じゃなくて向こうがする事なのに』
「ぁ………」
『殺人鬼の哀ちゃん。まだ人並みにいつか自分が誰かに愛されると思っているの、利用価値があると勘違いさせている内にさっさと取り込んでしまえば良かったのに。だからこうなる、さぁこれを持って』
ゼロが私に鈍く光る刃物を渡して、美しく微笑んだ。
『これで敵を殺せばいい。邪魔者なんか貴女の世界にはいらない。貴女を愛してくれる人だけこの世にいればいい』
私の掌を包んで刃物を握らせる。
刃物に柄は無く、握ったそばから血が滴る。
『さぁ、貴女の答えは?』
そんなことは決まっている。おまえの好きにはさせない。おまえは存在すべきではない。
私の前に立ちはだかったゼロが、そのまま刃に貫かれて、事切れていく。
声も出ない。真っ赤に染まる視界に、絶望が降って湧き出した。
『貴女に呪いをあげる』
『本当の意味でひとりぼっちになるように。大事な貴女が苦しんで苦しんで死ねるように』
『私はね、あなただよ。全ての因果を断ち切って幸福を手に入れた時に、あまりの喜びにオーバーフローをおこして混乱せずに順応できるように大切に保護していた心の一部』
『でも、もう私は要らない。貴女は一生幸せになれないから。破滅の道しか、貴女には残っていない』
『さよなら、哀。次に目を開けた時、大いなる力を手にする代償に、多くの人を不幸にするでしょうね』
ちがう。おまえは死んだんだ。だから、もう大丈夫。ひとりになる覚悟は最初からある。




