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episode25 鬼の撹乱

猿河氏が恨めしげに私を睨んでいる。

でも、私にはどうにでもできない。私は、お父さんの決定に背くことは許さない。


「はぁ?君さぁ、誰のつもり?君のことは君にしか決められないんだよ。もう何も出来ない子どもじゃないんだから」


荷造りをする私の前に立ちはだかり、両手首を握って拘束した。


「生活費を出してもらってるとはいえ、勝手に住めって言われて一人暮らしさせられて、今度は再婚するから見知らぬ他人の家に住み込め?いくらなんでも身勝手すぎるでしょ。意味わかんない、ていうか狂ってる。あんたの父親って、娘をなんだと思ってんの」


「知らない、そんなこと」


知るべきことじゃない。

知ったところで私の望む答えはそこにない。


「僕のうちにおいでよ、哀ちゃん。その方が確実にマシだよ。安全なうえに、不愉快な目なんて遭わせない。しかも僕がいるし、この上なくいい話でしょ?乗らない?僕、本当に真面目に君にそうしてほしいんだけど、頼むから…」


「……」


「ほんと頼むよ…。なんで?なんで、君はいつも、楽で安全な道を選ばないの…?なんで、わざわざ自分が傷つくような選択をする?君の人生だよ?なんで自分を大切にできないの?」


翠の瞳に反射している光がゆらゆら揺れている。

私は宝石みたいなそれをじっと見返した。



お父さんが再婚するらしい。私の妹か弟にあたる子どもも生まれる予定らしい。

それにあたって、相手方の親戚の人に私は預けられることになった。

相手の方とはまだ挨拶もしていないし名前ま知らない、きっと会うことはないのだろう。私だってあまり積極的に関わりたくない。


「マインドコントロールだよ、こんなの」


猿河氏が吐き捨てるように言った。


「その親戚とやらが変態オヤジだったらどうすんの、それかドグサレた人間に執拗にイビられたらどうすんの。騙されてこき使われて、所有されたまま一生食い物にされる可能性だってあるんだよ?」


それでもいいの?という言葉に、私は迷わず頷いた。

私は家族のために生きたい。お父さんの望むように在れないなら、私に生きてる意味はない。


「馬鹿だよ…哀ちゃんって、救われないほど」


「そうだよ。だから、猿河氏手を離して。馬鹿な私が仕出かすことに、巻き込みたくない。不幸になるなら私一人でいい」


「いやだ」


掴んだままの手を、猿河氏はそのまま引張り自分の胸に私の身体を押し付けた。


「連れてけよ。哀ちゃんが行くなら、僕だって地獄に連れていけ」


そんな発言をする猿河氏だって決して賢くはない。

そもそも、そんなことができるわけが無い。


「僕が君みたいに記憶喪失にでもならない限り、君のことを離したりしない。そこに君の意志なんか関係ない。僕を道連れにしたいなら、勝手に不幸になればいい」


困ったことに猿河氏は、冗談だと笑い飛ばしてはくれなかった。私の首にひと噛みしたのを合図にして、痛みと苦しみと愉悦を強く味あわせるように私を抱いた。

まるで私に、自分が生身の人間だと思い知らせるみたいに。







家具家電やその他の荷物の処分が終わった。

本当に大事なものなどもボストンバックに収まるほどしかなかった。マンションを引き払った後は、すぐ最寄り駅に来るようにお父さんから連絡があった。


待ち合わせ場所にお父さんの姿はなく、かわりに見知った男の人が二人がいた。なんでこの人達がここに…。



「君、此方だ。ぐずぐずしないで来なさい」



桐谷先輩のお父さんと桐谷先輩だった。

かなり久しぶりにお目にかかる桐谷父は相変わらず尊大かつ冷酷そうで、なぜ私を呼び止めてきたのか意味が分からなかった。


「お父さん、待ってください。鬼丸君が戸惑っているようなので説明させてください」


桐谷先輩は私の前に歩み寄り、屈んで私と目線を同じ高さにして話しはじめた。


「何も説明を受けていないのだろう。単刀直入に言うと、君の父君の再婚相手は僕の叔母にあたる人になる。名前は美鈴さんという」


あまりにも驚いて言葉も出なかった。

桐谷先輩が嘘をつくとは思えなかったが、それにしても信じられない。


「これから君は彼女とは戸籍上親子関係になるのだが、彼女を母親だとは思わない方が良い。家族会議で僕の父が君を引き取ることになったことから分かるとは思うが、叔母も少し癖のある人で…」


「え…私が、桐谷先輩のうちに?」


そうだ、と苦々しい顔で隣の桐谷父が相槌をうった。


「君はこれから桐谷家の姻族になる。その為、君を今までのように放置して好きに暮らさせるわけにいかない。私は君の父親から、君の監督責任を託された。なので、成人するまでは目の届く所で管理させてもらう。その代わり、衣食住には苦労させない。桐谷家と縁を持つのだから大学くらいは行ってもらう」


「そんな…申し訳ないですよ。私なんか、このまま放り出してもいいくらいなのに…。あの、ほんと大丈夫なんで」


辞退するつもりの振りだったのに、桐谷父は冷たく低い声で言葉を遮った。


「何を見当違いなことを言っている。これは決定事項だ。未成年である君の意見の入る余地はない。君はただあの家に来るしかない。他に君の居場所などもう無い」


ためらうようにゆっくりと大きな手の平が私の頭に触れた。その手にそのまま頭の上を優しく撫でられた。


「勝手に全て決めてしまい、此方こそ申し訳ない。ただ、お父さんは君の現状や将来を考え、最善策を打ってくれたのだと思う。悪いようにはしない。僕だって協力する。だから少しでも安心して我が家に来て欲しい」


「……」


優しくは言ってくれたが、桐谷先輩だって私に選択を求めてはいない。この分だと、桐谷先輩も私のことについてある程度知ってしまっているのだろう。


「…よろしく、お願いします…」


深々と頭を下げたことで屈服したことを表明する。

フン、と桐谷父が鼻を鳴らした音が聞こえた。


「よろしい。車に乗りたまえ」


こんなことになるとは思わなかった。

ただ、桐谷父や桐谷先輩に申し訳ないとは思うが、少しだけ安堵してしまった自分がいた。そんな自分が浅ましいと思うから、戸惑っている演技をし続けた。

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