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その後の哀ちゃんは表面上はいつもと変わらなかった。
変わらないように見えるように全身全霊で気を張っているようには見えた。それをわざわざ指摘したりなんかしないが、そこまでして隠したいものがあるのは確実だろう。
秘密を僕相手にぶちまけたとして、どんな事だって「大した事じゃないじゃん」と笑い飛ばしてやれるくらいの事は出来るけれど、哀ちゃんはきっと死んでも言わないだろう。極端に、哀ちゃんは自分の情報を出すのを恐れている節がある。
そして、事態は単純でもお気楽でもないような予感がする。根拠は勘ではあるが、ふとした時に放つ不穏な雰囲気も気になっている。
このまま哀ちゃんの隠している事を知らずに何も繋ぎ止められなかったら、いつか跡形もなく消えてしまうような予感がする。
しかし、だからと言って真正面から迫るのはただの労力の無駄だ。だから今は待つしかない。哀ちゃんがボロを出して漏らした情報を少しずつ繋ぎ合わせていくしかない。そして、好機を待つ。人間誰でもずっと強がれはしない。どこかで隙が出来るし、脆く崩れ落ちる。それを絶対に逃してはいけないと肝に命じている。
「じゃあ、私もう生徒会行くから…なにその顔…」
放課後、まただらだらとくっつきながら雑談をしていたら事務的に哀ちゃんが切り上げようとしてきて、面白くない。
「また他の男の所に行くんだ…。悲しいなぁ、っていう顔」
いじらしさを演出する為に、ブレザーの裾を握ってみる。行って欲しくないのは本当。
「ご、ごめん。今日はミーティングだけだから、多分すぐ終わると思うから」
「え?僕がわざわざ待ってる前提?」
待つけど。よっぽど遅くならない限りは、待って一緒に帰るけども。
生徒会なんかサボって欲しい。そのせいで糾弾されて解任されればいい。まぁ、桐谷先輩はそんな事はしないのだろうけど。
「……まじでごめん」
お?申し訳なさそうな情けない顔で向き直った哀ちゃんが意外だった。てっきり先に帰って、とか可愛くない事を言われるのかと思った。もしかすると、前に絶交宣言した事が少しは効いているのかもしれない。
「じゃあ、哀ちゃんはお詫びに僕に何してくれんの」
それはそれで嬉しいが、もう一声。つけ入れられる隙はつけ入れとくに限る。
「えー…えーと、うーん…」
散々悩む哀ちゃんは、僕のして欲しい事なんて分かっているのだ。ただ、それをする事で何かが変わるという先の事を勘定しているんだろう。もう遅いのに無駄な足掻きをして。
「ラーメン、奢るよ。今一番好きな所」
そして、哀ちゃんが選んだのは色気ないものだった。此の期に及んでまた逃げる。嫌じゃないくせに。
「嫌だよ、女の子に奢られるなんて」
「猿河氏からそんなフェミ意見出るとは…」
いや、別にフェミってはないけどこんな美男子が同級生に食事の会計支払わせるって客観的にどうよ。あらゆる邪推を掻き立てられるだろう。結婚して財布を共同にしているとかなら話は別だろうけど。
「貸しプラス1でいいよ」
仕方ないから選択をツケ払いに回す。優しすぎるこの配慮を本当の意味で分かってんのかね、この子は。
「えー、あと残機1じゃん…」
とか言いながら、結局哀ちゃんはそれを許容して全てを後回しにする。残機がゼロになって、一体僕の要求が何割届くのか。全て聞き入れてくれる気なんて哀ちゃんには無いだろうし、僕だってこんな味気ない形で彼女を手に入れたくない。どうせなら僕以外の事は何の憂いもない状態で心ごと奪い取りたい。ラーメンは一緒に食べる。
「精々、覚悟してなよ」
「えぇー…」
ちゅ、お遊びみたいな軽いキスを唇に落とした。離れがたくて死にそうになのに、無情にも哀ちゃんはまた他の男の所へ行く。やっぱり縄つけて繋いどくべきか。
◆
ウチの両親は、子供の躾に対して緩い。
母親は基本的に仕事の事にしか関心を持っていないなし、父親は逆に甘すぎる。月数回しか帰れない事を申し訳ないと思っているのか、欲しいものはいくらでも買い与えられたし、やりたい事を訴えて拒否された事はなかった。例えば勉強など、したくない事を強制された事もない。そんな家庭環境でよくも性格が歪まずに育ったものだと我ながら感心する。
…話が逸れた。とにかく、そういう家族のもとだから、僕が暇にかまけて深夜まで外出しようとも全く障害にならない。
何の事はない、ただ深夜まで父親の知人の経営するバーでギャルソンの真似事をしてるだけ。高校生とバレればただではすまないだろうが、僕は一般的な高校生よりかは見た目が早熟らしく髪型を変えてカラコンを入れればそうそう未成年とは気付かれない。酒が入れば尚更だ。
「Salut、シュウ。早くオフィスに」
僕が入るや否や、目敏い黒人のバーテンダーが店奥に入るよう急かした。
いつもは静かな雰囲気なのに、今日は随分と人が多い。これはジャン(さっきのバーテンダー)だけでは間に合わない。僕がわざわざ急遽呼ばれただけの事はある。
「なにこれ、何かのイベント?」
「今日はパーティだよ!ボクのアムールの女神、フジコのボナニヴェルセールなんだ!」
…そうだっけ?忘れてた。
派手な真紅のドレスとファーを首に巻きつけたフジコちゃんがいるのはだからか。そういえばフジコちゃんの友人達も多い。
「おめでと、フジコちゃん。もう四十路だっけ」
「女に年齢聞くなんて野暮よ。修ちゃん」
ユニフォームに着替えて今回のイベントの主役であるフジコちゃんにワインを注ぎに行った。サービスでフジコちゃんの好きなピスタチオもテーブルに並べる。
「なんか欲しいものとかないの?生憎、なんも用意してないけど」
「そうねぇ。欲しいもの…」
「っゔあ!?」
とか迷う振りをしながら、このオカマは僕の股間を握りしめてきた。
「あらやだ。まだ童貞なの?この子は…。宝の持ち腐れヨォ、勿体無い…」
とか言って、フジコちゃんは物憂げにワイングラスを傾けた。反対の手で友人の息子の息子を揉みしだきながら。こんなあからさまなセクハラってある?
「触るだけで分かるわけ?つーか、そろそろやめてくんない?減るから。僕の何か大切なものがゴリゴリ減ってる気がするから」
「あーっ、フジコちゃんだけずるいぃ!あたしもあたしも!シュウ君のプレシャスが欲しいぃ〜」
「ユリちゃん先生も来てたんだ。久しぶり」
一升瓶片手に飛びついてきたこの爆乳の女性はユリちゃん先生。こんなゆるふわ〜甘い見た目だけど、中身は割と漢的というかおっさんぽいのでフジコちゃんのマブダチである。あと、桃園ではないけれどガチで現役高校教諭だ。だから、僕はフランスから来日したはいいが芽が出ず夜のバイトで食いつないでる若き美貌のアーティストという設定でユリちゃん先生に認識されてる。
「ごめんね、ジャンが呼んでるから」
ポンコツかつ酒が入っているとはいえ、若く見えるが自分の倍ほど生きているユリちゃん先生にいつ嘘が露呈してしまうかも分からないのであまり深入りはしない。仲良くなれば面白そうな人だとは思うけど。
慌ただしいのは本当だ。
多少、僕がカクテルやちょっとしたツマミを作る心得があったり効率的にホールを回れたりするから良いものを、いつもより倍は客が多い上にジャンがいい気になってサックスを吹き出すわ歌い出すわで余計忙しい。他に店員も雇ってないのに、自由人か。
「すいませーん、シャンパンお代わりぃ」
間抜けにへべれけになっていいご身分だな、と思いながら笑顔で見た感じ幼い女性客にグラスを渡す。
「あ」
目が合って、指をさされた。
そういえば何か見覚えがある。名前は確か…いや、名前なんか知らないんだった。
「君何やってんの、こんなところで」
「それ、こっちのセリフだけど」
いつか偶然遭遇した、哀ちゃんの中学の同級生とかいう女の子だった。
今は私服を着ているが間違いなく未成年だ。こんな店にきていい人間じゃない。相席の男は大人ではありそうだがあまり感じの良さそうな人種ではなさそうだ。援交?いや、騙されて?知らんけど。
…たまにいるんだよね、こういう変なのが紛れ込んでくると対処に困る。ジャンはその辺適当だからなぁ。迷惑かけられなきゃ放置しても別にいいか。
「ねぇ」
目の前の僕にしか聞こえないような小声で、その子が僕を呼んだ。
助けて、とその後に言葉が続いたから、また面倒な事に巻き込まれたんだなと分かった。




