表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
善良な山羊より、親愛なる悪党どもへ  作者: 秋澤 えで


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/18

10

 異常な疲労感に見舞われていた。夜9時、二次会もなく、微妙な空気のまま元同期たちとの飲み会は終わった。もちろん原因は借金取りと思しき大男が俺に親し気に声をかけたことが原因だ。皆必要以上に関係を聞くことはない。ただそれは俺への気遣いではなく面倒ごとに関わりたくないという理由が一番だろう。当たり障りない声を掛け合って解散したときのどこか引いたような視線に胸が痛んだ。


 俺は何もしていない。周囲を反社に囲まれているだけで。思えばこの2か月で反社でない人と知り合ったのは客を除けばスーパーで出会う小柄な青年だけだ。もっとも会話はするが名前も聞いてないことを鑑みると知り合いというより顔見知りが近いのかもしれないが。



「ハイネ、」



 一人駅へと向かう途中、聞き慣れない声に足を止める。外国人のようなイントネーションから、どういった類の知り合いかは明白だ。無視もできず振り向くと、そこには先ほど店の前に立っていたトーマと呼ばれた男性がいた。ルドルフや他の仲間、クラタの姿はない。どうやら彼の仕事は終わったらしかった。



「ええと、トーマさん?」

「ああ、さっきは悪かったな、ルドルフがお前に声掛けちまって」



 厳めしい顔付きで眉を下げて謝る彼は、やはりまともな価値観をしているようだった。



「まさかあの店にお前がいるとは思わなかった」

「ここ、元いた会社の最寄り駅で。うっかり遭遇してしまったのはもう不運としか言いようがありませんよ。ルドルフも悪意があるわけじゃないのはわかりますし」



 以前会った時もそうだったが、ルドルフからは敵意も悪意も感じられない。まるで無垢な少年のような毒気のなさなのだ。まあ敵意も悪意もなければ、常識も倫理観もまるまるないのだが。



「元いた会社……会社辞めてあの喫茶店に?」

「ええ、テオドールが会社に圧力をかけたみたいで、週が明けたら無職になってました」



 乾いた笑いを零しながら経緯を一言で説明すると、トーマは心底可哀そうなものを見る目で俺の肩を叩いた。



「まあ、なんだ、苦労してるな」

「本当に人生何があるかわかりませんね」

「あー……飲みなおすか? ルドルフのせいで酔いも冷めただろ」



 そう言ってからハッとして気まずそうな顔をする。



「いや、もちろん、断って良い。気を遣わなくていい。お前が断っても俺は何もしないし、俺みたいなのといるところを見られることを警戒するのは普通のことだ」



 少し早口で行き場のない手を宙に浮かせて弁明する厳つい男に笑ってしまった。




 駅からほどないショットバーのカウンターに座りどこか落ち着かない気分であたりを見渡す。もともとアルコールが得意な蟒蛇でも酒にこだわりのあるタイプでもない。コミュニケーションの一環として飲むだけのためこういったバーへ行くことがあまりない。オーセンティックバーではないが、それでもバーというだけでどこか敷居が高い。



「何飲む。緊張しなくていい、好きなもの頼め」

「じゃあモヒートで。トーマさん、この辺よく来られるんですか?」

「いいや、この辺はうちのシマじゃない。今日はたまたま用があっただけだ。ルドルフが担いでいった奴だが、なかなか尻尾が掴めなくてな。偶然見つけたは良いが運搬できる輩もいなかったから近くにいたルドルフをテオドールに借りたんだ」



 うちのシマ、など日常生活では聞かないセリフだ、と内心感嘆する。周囲にいる反社会勢力と比べるとかなりまともな部類に入るため普通に話をしているが、彼も厳つい見た目の通りヤクザなのだ。モヒートとウイスキー、ナッツなどのつまみを頼む様子は手慣れている。



「で、お前の方はどうなんだ。無事生きてるか」

「辛うじて。それなりに慣れてきました」



 何に慣れてきた、とは言わないが言わんとするところはわかるらしく、トーマは眉を下げて苦笑した。



「肝が据わってるな。そういうところも奴は気に入ってるんだろう」

「肝は据わらされただけです。あの男は俺が怯えるのを見るが好きなようなのでポーカーフェイスに努めています」

「難儀なことだ」

「同情するなら助けてください」

「馬鹿言え。そこまで命知らずじゃねえよ」



 ダメもとのつもりではあったが一縷の望みはあっさりと笑い飛ばされる。命知らずなどと揶揄されるレベルなのかと乾いた笑いが口から零れるのをモヒートで流し込む。

 ふと彼の横顔を見て思い出す。トーマと会うのはこれが2度目であり、初対面のとき呆然自失としていた俺のフォローをしてくれていた礼を言っていなかった。



「そういえば先日はありがとうございました」

「先日? ああ、テオドールがマシューを殺した時のか。気にしなくていい。むしろあの状況で吐かなかっただけで上等だ。根性あるよお前」



 まるで嬉しくない誉め言葉には答えず笑っておく。もう二度とあのような場に立ち会いたくない。



「それでも這う這うの体の俺を2階の部屋まで連れて行ってくれたのがトーマさんだってルドルフから聞きました」

「まあ……俺以外誰も動かなかったからな。他の奴らはともかくテオドールはお前の様子がおかしいことにすら気づかなかったし。あれは本当にお前が悪いわけじゃねえんだ。気にするな。あいつも何もお前の前で殺るこたあなかったのに」

「イカレてるんですよあの人」

「違いない」



 トーマは「吸っても?」と胸ポケットから煙草を出した。禁煙ではないらしいと考えながら首肯する。うまそうに目を細めて吸うトーマを見ていると、先輩に影響されて煙草を吸い始める若者の気持ちがわかる気がした。だが煙草を吸うのがかっこいいわけじゃない。かっこよく吸えるからかっこいいのだ。気怠そうな姿がいちいち絵になる。


 あの夜、カプラには複数の男たちがいた。だがマシューと呼ばれた男が店内で射殺されて動揺しているのは俺だけだった。マシューがその日殺されるのは織り込み済みだったからなのか、人を殺すのが日常茶飯事であったからなのか、それはわからない。


 俺は今まで二度、テオドールが人を殺すところを見た。だがもう二度とは見たくない。決して慣れるわけではないのだ。彼らが人殺しに慣れるのに、どれほどの時間が、あるいはどれほどの死体が横たわっていたのだろう。紫煙越のトーマは今までどれほどの人を殺してきたのだろう。それはきっと聞くべきではない。少なくとも聞いたところで何かのためになるわけではない。


 俺のことを介抱して、憐み、飲みに誘う彼は、同時に人の死に無感動であるくらいの犯罪者ではあるのだ。



「そういや、名乗った覚えがないが、俺の名前はテオドールが教えたのか?」

「いいえ、あの日の次の日、ルドルフが掃除をしに来てて、その時に教えられました」

「ルドルフか。テオドールじゃねえだろうとは思ってた。あいつらの呼び方は緩いから、たまに外国人だと思われるんだよ。改めて、俺は岩路透真。所属は敢えては言わんが、テオドールたちとは別口だ。英語が話せるって理由だけであいつの相手をしてる」

「アーじゃあ岩路さんとお呼びした方が?」

「いや、別にお前は俺の部下でもなんでもない。好きに呼べ。そういうお前の名前は? 純日本人に見えるし、ハイネなんて顔じゃあねえ。奴が付けた名前か?」

「一応本名ですよ。ただトーマさん同様アクセントが違います。灰音啓治、でハイネです」



 最近はすっかりハイネ呼ばわりに慣れたというか、本来の発音で呼ぶ人間がいなかったため外国人のような名前にも馴染んでいたが、やはり当然30年近く使ってきた名前の方がずっとしっくりくる。



「灰音か。そっちの方が似合うな」

「ありがとうございます。でもどちらで呼んでいただいても構いませんよ。どちらでも反応できるので」

「適当に呼ぶさ。いや、俺みたいなろくでなしと日常のように名前を呼ぶような想定をしなくていい。知り合いの知り合いだ」

「ろくでなしと連むという点では今更過ぎます。ろくでなしに囲われているので」

「それはそうだが」



 呆れたように笑うトーマの上着から、シンプルな着信音が流れ出した。ぱっと手に取り画面を見ると心底面倒臭そうに舌打ちをした。



「悪い、外で電話してくる。待ってろ。飲みたいもんとか食いたいもんあれば好きに頼め」



 グラスに残っていたウイスキーを煽り、短くなった煙草を灰皿に押し付けると不機嫌な顔をしたまま店の外へと出て行った。

 ただのショットバーだが、慣れていないがゆえに場違いに感じられてそわそわする。ふとカウンター越しのバーテンが扉の外で通話をしているトーマを見て安堵していることに気が付いた。確かに、為人を知らずあの厳つい表情の壮年の男性の対応をするのはきついものがあるのだろう。絵にかいたような品の良いヤクザだ。粗相をしたら命がないとでも思っていたのかもしれない。


 無害な連れであることを主張しておこうとチェイサーを頼むべくバーテンに声を掛けようとすると突然視界に見知らぬ男が現れた。



「やあお兄さん、一人で飲んでる?」

「いや、連れがいる」

「ああ、ああ見てたよ。おっかないおっさん。お兄さん可愛いから靡いてくれないかと思って」



 言外にお呼びでないと伝えたつもりだったが、男は図々しくも隣の椅子に腰かける。一人ならもう店を出ることにしているが、トーマがいる以上それもできればしたくない。追っ払うためのセリフを探すが、なかなかこのようなシチュエーションに陥ったことがなく、なんというべきか逡巡する。その無言を靡く余地があると判断したのか、軽薄な笑顔で勝手に話始める。



「さっきのおっさん、良い男だけどおっかないな。お兄さんとも年が離れてないか?」

「ただの知人だ。年は関係ない。あんたとおしゃべりするためにここに来てるんじゃない」

「ふうん、お兄さんのパパじゃないのか。でも狙われてそうだな。お兄さん、年上の男からモテるだろ。どうしたら可愛がってもらえるか、よくわかってる擦り寄り方してる」

「不快だ。これ以上あんたと話すことはない」

「なあ5万でどうだ?」



 一瞬なんの話か分からず困惑する。だがすぐに理解して腸が煮えくりかえった。野卑で下卑たその横っ面を殴打したくなった。



「お兄さん年上の枯れ専かもしれないけど、そういうおっさんよりかは満足させられる自信はあるぜ」

「失せろ、これ以上下らん戯言を聞いてやる気にならない」

「まあそう言うなよ」



 まるで堪えた様子もない男はニヤニヤといながらカウンターの上に出したままの右手に手を重ねた。そしてビニールに包まれた小さな小袋を俺の手に握らせた。



「これ、ヤる前に飲むと最高なんだよ。感じやすくなるし、普通にヤるより数倍は良い。トぶぜ?」

「離せ気色悪い!」

「なんだ、こういうのは初めて? いい子ぶるなよ。誰だって、愉しいことも気持ちいいことも好きだろう? お兄さんもすぐに気に入るさ」



 顔を近づけた男の唇の間から、銀色のピアスのついた舌が見えた。

 反射的に男を怒鳴ろうとしたとき、目の前の男が吹き飛んだ。



「は、」

「悪い、待たせたな。不快だったからどかしたが、楽しく話してるところだったか?」

「まさか。助かりました」



 つい先ほどまで怒りと屈辱で腸が煮えくり返っていたが、口の端で笑いながら青筋を立てるヤクザを見れば一瞬で鎮静した。自分より怖がっている人がいると怖くなくなると聞くが、自分より怒っている人間を見ても怒りがなくなるのだと初めて知った。

 トーマは男を殴ったわけではない、彼が言った通り、肩を押して退けただけだ。ただ少々力が強かったようで、細身の男はカウンター後ろのローテーブルのボックス席に突っ込んでいた。幸いにもボックス席に客の姿はなく、男が無様に転がっているだけだった。



「いってぇ……邪魔すんなよおっさん」

「邪魔なのはお前の方だよ。餓鬼に構うほど酔狂でもねえ。転がってろ」



 トーマは睨み上げる男を一瞥だけすると、さっさと支払いを済ませ店の外へと俺を連れ出した。男も文句ありげににらむだけでそれ以上トーマに絡むことはなかった。見るからに筋ものという様相のトーマに突っかかるほどの勇気がなかったのか、わからないがおそらく賢明な選択だったろう。ただ肩を掴み押し退けただけで、吹き飛んだと錯覚させるほどの膂力だ。万が一にも殴られれば骨折すらしかねない。



「お前は本当に災難だな。イカレ野郎ほいほいか」

「そんなものになった覚えはないのですが、テオドールに捕まってから不運が続いているのは事実ですね。厄年ではないはずですが」

「厄年じゃなくとも、疫病神に憑かれてるのは確かだろ」



 何一つとして反論できない。あの夜から俺は間違いなく疫病神に憑かれている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ