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13話 辺境伯の意外な一面

あの夜の星空の下で交わした会話をきっかけに――

それから二人は、お互いを知る努力を始めた。


まずソフィアは、レオナルドの鍛錬を見学させてもらうことにした。


まだ陽も昇りきらぬ早朝、鍛錬場には鋭い号令が響きわたり、凍える空気がぴんと張り詰めていた。続いて、鋼の剣が風を裂く音が、乾いた雪上を渡ってソフィアの耳に届く。


「みんな、真剣な顔だわ……」


かつて王都で、レオンが令息たちと並んで稽古に励む姿を見たことがあった。だが、あの時とはまるで緊張の質が違う。辺境では魔物の脅威が身近にあるから当然だろう。

ソフィアは静かに石畳に立ち、騎士たちの列を眺めた。そして自然と、騎士団を指揮する一人の男、レオナルドに視線は吸い寄せられた。


「あっ、レオナルド様……」


彼は鋼の甲冑を身にまとい、長剣を軽やかに振るう。鋭い眼光で隊列を見渡し、声を上げると、騎士たちは正確に動きを合わせる。

その表情は隙がなく、ひたむきで、ただただ力強かった。ソフィアは無意識に息を詰めた。


やがて休息の声がかかり、張りつめていた空気がふっと緩む。

レオナルドは剣を下ろし、肩で静かに息を整えながら周囲を見渡した。黒い瞳がふとソフィアを捉える。


「ソフィア……見学に来ていたのか。こんなもの、見ていてもつまらないだろう?」


「そんなこと、ありません。……鍛錬しているレオナルド様、とても格好良かったです」


そう言った瞬間、レオナルドはたじろいで「そう……か」と言葉を詰まらせた。彼の頬はほんのりと赤く染まっている。

レオナルドの反応が可愛らしくて、ソフィアはくすりと笑みを零した。


***


そして、夕食の席では、ソフィアはレオナルドの好みを少しずつ覚えていった。

レオナルドは、食後にはコーヒーより紅茶を好むようだった。とりわけ、爽やかでありながら甘く気品のあるベルガモットのフレーバーを気に入っていた。


「……やはり、この香りが落ち着くな」


熱い湯気が立ちのぼるティーカップを片手に、ひと息をつくその姿は、戦場を駆け抜けてきた男であることを忘れさせるほど穏やかであった。


さらに彼がデザートを口にした瞬間、わずかに唇の端が緩むことにも気づいた。

鋭く整った面差しに浮かぶその小さな変化は、嵐の切れ間に覗く陽光のようで、ソフィアの視線は自然と吸い寄せられてしまう。


どうやら彼は、甘いものに目がないらしい。


そのことを知ってからというもの、彼の執務室に向かうときには、温かいお茶とともに小さな焼き菓子を添えるのが、ソフィアの日課になっていた。


「……これは?」


書類から顔を上げたレオナルドの低い声が、静かな室内に落ちる。鋭い眼差しが一瞬、机上の皿とソフィアの姿を往復した。


「お茶の差し入れです。差し出がましいかと思ったのですが……ずっと執務をしておられるご様子でしたので。それに、執事のクラウスにも、閣下に休憩を取るよう促して差し上げてほしい……とお願いされまして」


控えめながら、どこか心配を隠しきれない声音で言う。

レオナルドは一度瞬きをし、短い沈黙ののち低く息を吐く。


「……そうか。クラウスの奴め、余計なお節介を……いや、気を遣ってくれたのだな。ソフィア、ありがとう」


レオナルドはためらうように菓子へと手を伸ばし、ゆっくりと口に入れる。咀嚼の音が小さく響き、わずかに目を細める。


「ああ……悪くない。いや、……うまい、な」


その低い呟きと同時に、硬さを纏っていた彼の表情がほんの少し和らいだ。


――やっぱり、甘いものがお好きなのね。


ソフィアは顔をほころばせた。氷の獅子と呼ばれる男の、意外な一面に触れた気がして、胸がじんわりと満たされていった。


それからというもの、ソフィアは時折、彼の書斎を訪れるようになった。

報告書に視線を落とし、黙々とペンを走らせるレオナルドの背中は、かつて無骨で近寄りがたいと感じていたときとは違って見えた。


彼が眉間に深い皺を刻むとき、そっと温かい茶を差し出した。レオナルドは短く「助かる」とだけ言い、しかしその声は不思議なほど柔らかかった。


ある時、書斎に茶を運んだソフィアに、執事クラウスが声をかけた。


「ソフィア様。もしよろしければ、手仕事は書斎でなさってはいかがでしょう。旦那様は一度集中なさると、休憩をお取りになるのを忘れてしまわれます。ソフィア様がお側にいてくだされば、温かい茶をお出しする口実にもなります」


ソフィアは瞬きをした。

それは単なる提案ではなく、どこか気遣いが滲む声音だった。


「わたしがいてもよろしいのでしょうか? ご迷惑にならないかしら……」


「ええ、もちろんでございますとも。旦那様も奥さまがご一緒のほうが、お仕事がはかどりましょう。ですよね、レオナルド様?」


名を呼ばれたレオナルドは、羽根ペンを止め、気まずそうに咳払いした。


「……ああ。別に、構わない。仕事をするだけだしな」


その言葉はそっけなく聞こえたが、ソフィアと視線が一瞬重なったとき、彼の耳がわずかに赤く染まっているのが分かった。


「では……お邪魔にならない程度に、こちらで刺繍をさせていただきますね」


ソフィアが遠慮がちに微笑むと、クラウスは満足げに一礼して去っていった。


書斎はふたりきりになり、沈黙が落ちた。

ソフィアは窓際の小卓に腰を下ろし、刺繍枠をそっと手に取る。

針が布をすくう小さな音と、レオナルドが書類をめくる紙の擦れる音が、規則正しく同じ空間に重なった。


しばらくして、レオナルドがそっとペンを置く気配がした。


「……その、さっきのことだが」


ソフィアが顔を上げると、彼はまだ視線を机に落としたまま、わずかに声を低くして続けた。


「邪魔だなんて思わない。むしろ……君がここにいると、落ち着く」


ぶっきらぼうな言い方の奥に、隠しきれない照れと本心がにじんでいた。

ソフィアの胸に、じんわりと温かなものが満ちていく。


「おなじです。……わたしも、ここにいると落ち着きます。閣下が仕事している音が聞こえると、不思議と安心します」


「そうか……」


それだけしか言葉にしなかったレオナルドだったが、横顔にはかすかな安堵が浮かんでいた。

書斎の静けさは、もう孤独のためのものではない。

以前のソフィアなら、レオナルドが黙り込むたびに自分は嫌われているのでは、と胸の内でびくびくしていた。けれど今は、そうではないと知っている。


その日を境に、ソフィアは刺繍や手仕事を自然とこの書斎でするようになった。

同じ空間で過ごす時間が増えるほど、ふたりのあいだの言葉は少しずつ増え、静かで穏やかな距離が、確かなぬくもりへと変わっていった。


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