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「また不思議なことを聞きに来たものだ。人の世にも記録が残されていたはずだが……誰も覚えておらんのかね?」
「はい……はい、申し訳ございません。わたくしは、黒竜帝様が仰る通り、かつて聖女として暮らしておりました」
イザベラが聖女として生活していたこと、それは一人の貴族として民を導く立場もあって違和感なく受け入れていたが他の聖女たちは違うこと。
他の国にも聖女が存在していることは耳にしたことがあるが、その役割が母国と他国では大きく違うこと。
年若い少女ばかりが聖属性に目覚めること、成人するくらいにはその力も消えてしまうこと、結界を張るためだけに選ばれる自分たちは一体何なのか、力が消えたその先はどうなるのか……。
イザベラは、婚約破棄されてすべてから解放されてようやく疑問に思うことができたのだ、と言葉を結んだ。
「なるほどのう」
家庭的な雰囲気のある部屋で、湯気の立つ良い香りがするお茶を飲みながらするような話でもない気がするけど、黒竜帝は気にする様子もなかった。
ただ顎を撫でさするようにして考えているようだ。
「どこから話すか。わしも竜族がまた多く存在していた頃の長老に話を聞いただけじゃからな、どこまで正確かはわからんが……」
黒竜帝は語ってくれた。
それはまるで、夢物語。
かつて、この世界はそれほど種族が多様ではなかった。
そして、この世界を作り出した神とその子供である神々と、距離がとても近かった。
生きとし生けるものが手を取り合い助け合う、そんな世界を見て、ある時神々はこの世界から去ることを決める。
あらゆる種族が別れを惜しみ、このまま世界に留まってくれるよう懇願した。
だが、助け合えるお前たちならば大丈夫だと神々は去ったのだ。
ここまではオリアクスが語ってくれたものとほぼ同じだ。
でも違った点は、困った時に使うようにといくつかの魔法を残したということか。
「そして月日が流れ、種族同士の交流は続き……種族が増え、大陸は知恵ある種族で満たされると諍いが起き始めた」
互いを助け合う手はお互いを殴り合うものに、互いを支える言葉は裏切りの言葉に成り果てた。
それでも決して全ての種族がそうではなく、お互いを支え合う気持ちを忘れない者たちがいたのも事実だ。
しかし、争いが増えれば増えるほど、世界が暗闇に呑まれていったのだという。
そして人々はそれらを恐れ、互いに責任をなすりつけあい……繰り返されるそれに、とうとうそれは形を成してしまった。
「それが瘴気の始まりとわしは聞いた。負の感情が充ちて形を成したものであり、それはありとあらゆる負と共にある。呑まれてはならぬとな」
「瘴気の、始まり……」
「そして、手を取り合う者たちが神々が残した救いに縋った。そうして現れたのが〝始まりの聖女〟じゃ」
なんだそれ。
思わずツッコみそうになる私だけど、そこはぐっと堪えてみせた。
いやそれにしても突然登場したな?
(……いや、待てよ)
神々の置いていった希望に縋った、つまり残された神々の魔法を行使したってことだよね。
その行使の結果、聖女が現れた?
私が至ったその結論に、同じようにイザベラも達したらしい。
ハッとしたように私を見た彼女の顔は、少し青かった。
確かに、オリアクスも言っていた。異世界から招かれた聖女の話。
「その様子じゃと知っておるようじゃな、そう……〝始まりの聖女〟は異世界より招かれた人物じゃ。そして彼女は人々に請われるままに瘴気を消すための旅をすることとなる」
聖女の伝説は、確かに各地にある。
それが同じ人物を示すものなのか、違うものなのかは研究者の間でも論争が起きているのだけれど……黒竜帝の言葉通りならば、始まりの聖女についてなのだろう。
でも巡礼をした聖女について何故論争が起きたのかっていえば、似たような記述の聖女の出現が、数百年に及ぶからだ。
けれど、その謎も黒竜帝が語ってくれたことで理解できた。




