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「……この者の発言をお許しください。そして、止められないことも」
「貴女がこのダンジョンのボスなんでしょう?」
「そうです。ですが、正確には……この者の想いが、わたしを形作ったのです……」
イングリッドは立ち上がり、床に転がった仮面男に近づいて彼の傍らに膝をつく。
仮面男は仮面男でどこかうなだれた様子で、私たちは彼女たちの関係がよくわからなくなってしまった。
「イングリッドは聖女として〝始まりの聖女〟を封印することだけを望み、果たしました。そして一人の人間としては……それはエァンドゥラスに聞いてください。彼が貴女たちをここへ導いてくれたのでしょうから」
「気付いてたんだ?」
「いつか、イングリッドのことを伝えるべき人に出会ったら、託したいと……そう、生前彼にお願いしましたから」
イングリッドはそう言って穏やかに笑うと、彼女が身につけていたネックレスをイザベラに投げてよこした。
「たとえわたしがイザベラさんの体を奪えたとしても、それは聖女イングリッドがしてはならぬこと。そして……わたしはイングリッドであってイングリッドではないのです」
「イングリッドさま!? 何を……」
「貴方がわたしに対して崇拝に近い思いで仕え、そして最後まで〝始まりの聖女〟に抗ってくれた。その想いがダンジョンとして形になった。もう、それで良いではありませんか。私はイングリッドではないけれど、あなたのイングリッドです」
静かなイングリッドの言葉に、仮面男が体を起こしていやいやをする子供のように首を左右に振った。
イングリッドは、ただそれを見つめている。
「あまり時間がないと申し上げたことを覚えているかしら?」
「そんなこと言ってたね」
「ここはダンジョンとして生まれたはいいけれど、魔力が足らずに消えていく定めにありました。そしてもう、限界が近いのです。これまでは託けに相応しい人が現れなかったことからエァンドゥラスが隠してくれていたのでしょうが……もう、まもなく崩壊が始まりましょう」
「そう……」
崩壊する、それはこのダンジョンに生きる存在が消えるということ。
彼女たちは本来死んでいる人間なので、生きているというのはおかしな表現かもしれない。
だけれど、目の前でこうして言葉を交わし、静かに笑う彼女は生きているようにしか見えない。
(ダンジョンの、不思議か……)
イザベラが何かを言いかけて、口を閉ざした。
何を言っても、変らないことを察したのかもしれない。
「イザベラさん、渡したそのネックレスは聖女の力を高めてくれるものです。役に立つかはわかりませんが……持って行ってください。他にもここにある金銀財宝は本物ですから、ほしければどうぞ」
「図書館の本を一部もらったからいいよ」
「無欲な方たちですね。……他にはありますか?」
「あー、そうだね。私たち以外にダンジョンに侵入した人たちがいるのは気付いていると思うんだけど、彼らを地上に追い出しといてくれる?」
「承知しました」
イングリッドの周囲に薄い膜が張ったように見えたその後、彼女が笑う。
ダンジョンの主人ってのは便利なもんだと思う反面、この場に縛られ続ける彼女のことを初めて哀れに思った。
「……後のことは、お任せしてよろしいですか」
「自然に消えるのがいい? それとも人の手がいい?」
「踏破者の栄誉をお持ち帰りください」
笑う彼女に私は歩み寄る。
仮面男はもう、何もする気になれないらしい。
我が主人、そう呼んでいたけれど本当のダンジョンのボスはこいつで、こいつは自分が生み出した理想のイングリッドに全ての力を注ぎ、権力を譲渡したってことなんだろう。
私が知る情報の中で、ダンジョンの主人ってのは複数存在することも可能だって話だったから……おそらくはそれに類似した何かなんだと思う。
合っているかは知らないけどね。
「それじゃ」
仮面男からやや乱暴に仮面を剥ぎ取る。
その下には意外と綺麗な顔があった。
「あら、思ったよりはイイオトコじゃない」
「……うるさい」
「イングリッドの気持ちも、アンタの気持ちも私が覚えておくよ。……それじゃあね」
掴んだ仮面に、魔力を注ぐ。
これ自体がダンジョンを形成する核だったなら、普通に叩きつけるだけじゃ壊れないからね。
ピシッと小さな音と共に、砂のように崩れていった仮面を見て、イングリッドが笑った。
そして光が弾けて――私たちは、外へと放り出されたのだった。




