旅立ちの前夜
「出る。明日」
ヒカルは即答した。
カウンターに座っているヒカルと、ジルの視線はほぼ同じ高さだった。
一瞬、ジルは顔を強ばらせるとヒカルの横に座った。
「……店員さん、この店でいちばん強いお酒を」
すでに目が据わっている。ヤバイとヒカルは感じた。
「お、おい」
「アタシがどこでどんなお酒を飲もうとヒカルくんには関係ないわよね?」
「えーっと……まあ……はい」
どうしたらいいかわからずラヴィアに視線で助けを求めようとしたが、そっと視線を外された。あとは自分でなんとかしなさい、ということらしい。
「ヒカル様も罪作りな冒険者ですねえ? ジルちゃんったらヒカル様が王都に行ってる間も毎日そわそわしていたんですよ?」
「そっ、そわそわなんてしてないわ! ヒカルくんはなんか危なっかしいからトラブルに巻き込まれたり死にかけたりしてないか心配だっただけよ! ——まあ、ずいぶん元気そうですけど?」
「おかげさまで」
ローレンスとやりあったときは一歩間違えたら死んだけどな、と内心では思うが。
「お待たせしました」
店員がグラスに入った琥珀色の液体を運んでくる。
見るからにウイスキー、蒸留酒の類だ。
「それでさっさとランクを上げて、ポーンドは卒業ですか。そうですか。——んっ、ぐ」
グラスをあおると一気に飲み干す。
「ぷっ、はぁ〜〜〜〜〜〜〜……おかわり」
「おいおい……」
「わたしはレッドジュースにしますねえ」
グロリアが頼んだのは「ジュース」と言いながらもカクテルだ。蒸留酒を、赤い、ザクロのような果実ジュースで割っている。サッパリして飲みやすいらしい。
「ヒカルくんは……そのうちポーンドを出て行く冒険者だってのはわかってたけど…………そんなに急いで出て行かなくたっていいじゃない……」
ぽつりと言われた。
だいぶジルが自分を構ってくれていることはヒカルにもわかっていたが、それほど愛着を持たれているとまでは思わなかった。
「……悪い。ダンジョンに行けると思ったらいてもたってもいられなくて」
「ランクの上げ方だってアタシに相談してくれたら、もっと安全なパターンを紹介できたのに……」
「安全は安全だった。納品物は買っただけだし」
一応そういうことになっている。
「お金いくら使ったの? レッドホーンラビットの代金、ほとんど消えちゃったでしょ? 冒険者にとってお金は大事なんだよ? それに、買い取りは……相手がどんな人か知らないけど、よほどうまくやらないと危ないの。そもそもモンスターを狩るだけの実力があるなら街に持ち込んで売却すれば、街での信用も得られるし冒険者ランクも上げられる。それをしないっていうことは、臑に傷があるのよ」
「そうですよお。東の湖近辺にそんな人物が紛れ込んでいるなら警戒を強めなきゃいけないってウンケンさんも言ってましたし」
「…………」
そういう考え方もあるのか、とヒカルは思った。
今回は最速でランクEに上がるためになるべく目立たない方法を選択したつもりだった。
今日、湖近辺で見た冒険者は、ヒカルが他の冒険者を襲ったりしていないかを確認する一方、ヒカルの話した「取引相手」——その人物の危険度測定も期待されていたのだろう。
「わかった。確かに、不用心だったかもしれない」
「……むう、素直なヒカルくんなんてらしくない。どーせもうポーンドに戻らないから、さっさと話を収めようとしてるんでしょう?」
「僕はどんな人物だと評価されているんだ……?」
「それにしても不思議ですよねえ。ヒカル様が今日も買い取った素材は見事なものですが、その買い取り相手、調査に向かった冒険者たちには見つけられなかったんですもの」
ちくりちくりと探りを入れてくるグロリア。
「彼らは腕利きの冒険者を警戒しているんじゃないかな」
「そうですねえ。そういうことになりますねえ。やっぱりどこか後ろ暗い人物なんでしょう。そんな人物が、大金を持っているヒカル様をそのまま帰すっていうのも不思議ですよね?」
運ばれてきたレッドジュースは金属製のタンブラーに入っていた。それを傾けてちびりと飲むグロリア。
「僕も気をつけているからね。調べを続ければそのうち会えるんじゃないか?」
ヒカルとてグロリアのカマかけに付き合うつもりもない。適当にあしらうと、グロリアは意味深に笑い、それ以上は言わなかった。
「……明日もう出発するの?」
そんなヒカルとグロリアの水面下の攻防には気づかずジルはしょんぼりした顔で言う。すでに2杯目も空になっている。
「おいおい……飲むペース考えろよ」
「お酒を飲みたい気分なの」
「わかったよ。じゃあ僕がおごる」
「えっ?」
「その代わり僕が選んだお酒を飲んで欲しい。キツイ酒をぱかぱか飲んで、身体にいいわけがない」
「……しょうがないわね。選んでいいわよ」
上から目線で言いながらもジルの口元がにやついている。心配されたことと、おごってもらえることがうれしいようだ。
「好きなお酒の種類とかは?」
「大体飲むけど、甘ったるいのはイヤかな」
そう言えばここの店主が以前、食べ放題にするのはいいが酒代はダメだとジルに念押ししていた気がする。
ジルの酒の好みは確かにガチの酒飲みだ。
「店員さん、こういうのは作れる?」
ジンとベルモットを3対1で合わせる。
付け合わせでオリーブを飾る。
ジンやベルモットはこちらの世界にも似たような酒が存在する。それらの酒の甘みが強いならレモン——によく似た果実を軽く搾ってほしいと依頼する。
魔法のある世界なので、冷蔵庫もある。ただ維持費が高い——魔法を使うか、精霊魔法石を買うしかない——ために客単価の高いレストランにしかなかった。
このパスタマジックには冷蔵庫がある。だから冷えたカクテルが出てくるだろう。
日本にいたころ、大人の世界に憧れて背伸びをしたがったヒカルは、カクテルについてもあれこれ調べていた。父のアカウントを使ってネットで酒を注文し、味見してみたこともある。まあ、すぐに酔っ払ったので自分に酒は合わないと実感したのだが。
カクテルの作り方はそのときの知識だ。
「へぇ……初めて見るお酒」
「飲んでみて」
こちらの世界にもカクテルはあるが、あまり種類が豊富ではない。基本的に酒は1種類で飲むか、柑橘類のジュースを加える程度が一般的だ。
ジルは、グラスを持ち上げると——カクテルグラスでないのが残念だが——一口すする。
「! 美味しい!」
口元を押さえてジルがヒカルを見る。
「カクテルの王様——と、僕の故郷では言われているんだけど。マティーニって言うんだ。さわやかだけど味わいは深い」
僕は一口で頭がくらくらしたけどね、と内心思うヒカルである。
「ジルさんの好みに合ったようでよかった」
「うん……ありがとう」
ほんのりと頬を染めたジルが、花開くようにふわりと笑った。
よかった。機嫌は直ったらしい……とヒカルが安心したところで、どすっ、と肘打ちが脇腹に刺さった。
(ちょっと、痛いよ!?)
(ごめんなさい。腕が当たってしまったわ)
反対側にいるラヴィアだった。
(……もしかして嫉妬した?)
(あら、気をつけないともう一度腕が当たってしまいそう)
(ごめんごめん)
ラヴィアが自分に焼き餅を焼いてくれるのだと思うと、なんだかうれしくなった。脇腹は痛いが。
「ヒカル様。わたしにもなにかお酒を注文してくれませんか?」
「グロリアはエール」
エールはビールの仲間である。
「……今、聞き間違いでしょうか? エール、と聞こえましたが」
あんなふうに探りを入れてくるグロリアに、カクテルをチョイスする必要性などまるでない。
ヒカルはにこやかに注文した。
「僕のおごり。――店員さん、彼女にエールを。いちばん大きなジョッキで」
「…………」
どん、とグロリアの顔より大きなジョッキが置かれた。にこにこしたグロリアの笑顔もひきつっている。
「よかったわね、グロリアもおごってもらえて」
「え、ええ……」
ジルに無邪気に言われてグロリアもうなずくしかなかった。
「それで——ヒカルくんは、ルートハバードに行くの?」
「ああ。ダンジョンに潜りたい」
「…………」
「心配そうな顔だな」
「そりゃ心配にもなるわよ。ダンジョンって危ないのよ。知ってる?」
「依頼をこなすにしたって危険はつきものだよ」
「それはそうだけど……ヒカルくんはランクEになるのに無理してるから、心配なのよ。生き急いでる感じがして」
そうか、周囲からはそう見えるのか——ヒカルは納得した。
むしろラヴィアのことがあるから「東方四星」から距離を置きたいのと、なるべく早めに出国したいと考えているのとで、割と安全策を選んでいるのだが。
「いい? ダンジョンに入るには下準備が必要なのよ。情報収集もそうだけどいざというときのためのアイテムも持っておかなきゃ」
酔って饒舌になってきているのか、先生モードになったジルが説明を始める。
「傷薬、薬草、お金はかかるけどポーションもあったほうがいいわ」
「ポーションか」
自分がケガをすることはまったく考えていなかった。だがラヴィアと別々の行動を取ることもあるかもしれない。そのときにラヴィアがケガをしたら——。
この世界には「傷薬」とは別に「ポーション」がある。すぐに傷を治せるものだ。
「錬金術師ギルドで買えるんだっけ」
「そうよ。1瓶で1,000ギランくらいするけど……でも致命傷を負ったときに、すぐに傷口をふさぐことができる」
「ふうむ……ポーションってどうやって造るんだ?」
「薬効成分の高い薬草を混ぜ込んだ丸薬を、神殿で祝福された聖水で溶くの。そこに回復魔法使いが魔法を染み渡らせる……というイメージかしら? 魔法の定着は数日で切れるから、ほとんど使い捨てなんだけど」
神殿と錬金術師ギルドでいい商売をやってるな、というのがヒカルの感想だった。
だけれど1,000ギランで多少の安心が買えるのなら買うべきだ。
「それにね——」
そこからジルはどんどん話を進めていく。ヒカルが納得顔で聞いているから興が乗ったのかもしれない。
「すぴ————」
で、寝た。
カウンターに突っ伏してジルが寝ている。
「あらあらぁ、わたしはそろそろ帰りますから、あとはヒカル様、よろしくお願いしますねえ」
「ちょっと待て。ジルを置いていく気か?」
「ジルちゃんがここまで油断して寝てるのなんて珍しいんですよ? ヒカル様がお相手だったからかもしれませんねえ」
グロリアは、姉が妹を見守るような目でジルを見ていた——とはいえ姉は妹を見捨てて先に帰るものではないが。
そのグロリアも酔ったようで、顔が赤らんでいた。
「ヒカル様は女たらしですねえ……ポーラたちもヒカル様のことを探していましたよ」
「ああ……」
田舎から出てきた3人娘。結局この店で食事をしてから、会っていない。ヒカルとしてはもう会うつもりもないし、会ったところでなにがあるわけでもないだろう。向こうは感謝しているようだったが、ヒカルは、彼女たちを信用できない。
「3人で冒険者を続けるみたいです」
「田舎に帰ればいいのにな」
「帰って、どうするんです?」
「どう、って——家があるだろう」
ぴくり、と隣でラヴィアが身じろぎするのがわかった。
ラヴィアには帰るべき家がない。ヒカルもそうだ。
グロリアから見えないところでヒカルはラヴィアの手を握った。驚いたようだったがラヴィアもすぐに握りかえしてくる。
幸い、もう時間が遅く、ヒカルたちより他に客はいない。
「田舎の寒村じゃあ帰ったところで仕事はねえし逆に邪魔ってこともあるぜ」
他に客がいないからだろう、クマのような店主が出てきたカウンターの向こうで酒を飲み出した。
「食い扶持減らすために街へ追いやる、なんてのもよくある話だ。——しかしこのカクテルは美味いな。ヒカル、お前の故郷のカクテルだって?」
「あ、ああ……気に入ったなら店で出したらいい」
「いいのか?」
「構わない。——店主は彼女たちがどこの出身なのか聞いたのか?」
「こないだ店にいた子たちだろ? たまたま聞こえたってだけだよ。あの子らの住んでるほうは土地も痩せているしなあ」
「なら、みんなで移住したらいいじゃないか」
「そうもいかねえよ。貴族ががっちり押さえてる」
ああ、そうか——ヒカルはローランドの記憶を探り当てる。
貴族は自領から農民が出て行くことを嫌がる。税の優遇や低利子での借金といったアメを与える一方、一家総出で逃げ出そうとしたヤツらを捕まえて叩いたりとムチも見せつける。
数人の若者が王都に働きに出てくる、といった程度ならお目こぼしがある。家族が村にいれば金を送るからだ。王都から地方に金が動くのである。
「……無茶な依頼を受けなければいいんですけどねえ」
ほう、とため息をつきながらグロリアはジョッキに残った最後のエールを飲み干した。
ヒカルがジルを背負って店を出た。冒険者ギルドの仮眠室に寝かせる、ということで、グロリアもついてくるのだという。
「筋力量」1のおかげで割と無理なく背負うことができる。
「あら、案外ヒカル様は力持ちですのね」
グロリアが驚いたように言った。
しかしヒカルとしてはそれどころではない。ジルの顔が自分の肩に乗っているのでやたら近いし——女の人特有の、甘い香りが漂ってくる。
それに背中だ。意識したくないが柔らかいふたつの塊が背中に押し当てられている。
両手で持った反発力のある太ももも温かい。
後ろからラヴィアが冷たい視線を送ってこなければヒカルとしても鼻の下が伸びそうなところだった。
「あなたはヒカル様と冒険をしているのですか? ええと——」
グロリアがすすすとラヴィアに近づいて声をかける。
「レンクロウ」
「レンクロウ様」
「様付けなんて要らない。ぼくは冒険者ではないから」
前のめりにグロリアがラヴィアに話しかけるが、ラヴィアは淡々と短く答えるだけだった。少年ならば女の声に似ていても違和感はないだろう。ヒカルは冷や冷やしたがラヴィアに任せた。
「着いたぞ。カギを」
「ああ、そうですね——レンクロウ様。ヒカル様が街を出られたら是非冒険者ギルドにも遊びに来てくださいね」
「そうする」
そんなつもりはないが、そうしておいた。ラヴィアだってヒカルとともに街を出るのだ。
ただふたりセットで出て行くとなるとどういう関係か、ということになる。あくまでも「レンクロウ」は街に留まるというふうにしておく。グロリアとて会わなければ、レンクロウのことなんてそのうち忘れるだろう。
「よっ、と」
「すぴ————」
「まったく、イヤになるくらい熟睡しているな」
ギルドの仮眠室には小さなベッドがひとつあるきりだ。
内側からカギをかけることができ、外からはカギを使えば開錠できる。
「ヒカル様、ジルにお土産を渡さなくてもいいのですか?」
お土産とは、王都土産のことだろう。
「うん……渡しておこうかな」
バッグに入れていた、ラヴィアの選んだアクセサリーケースをジルの枕元に置いた。「わたしのより高そう」などとグロリアが言ったが無視。
メッセージでもつけようかと思ったものの、止めておいた。
(……もう彼女と会うことはないかもな。会うにしてもずっと後……出国後だ)
ヒカルたちはギルドから出た。
一応「送ろうか」と問うと、グロリアは「ひとりで大丈夫ですよ、送り狼さん」と捨て台詞を残して去って行った。そんなつもりはないと言いたいところだったけれども、グロリアの全裸を盗み見してしまったことを思い出してしまい、ヒカルはなにも言えなかった。
「? どうしたの、ヒカル」
「な、なんでもない……帰って寝ようか。明日も早い」
「ええ」
こうしてポーンド最後の夜は更けていった。
翌日は朝から忙しかった。
ドドロノ工房に行って、30,700ギランを支払う。ドドロノは神妙な顔で金を受け取ると、「最高の外套を作ってやるぞい!」と決意を新たにしていた。
次にレニウッド工房に行って手入れを依頼していた「腕力の短刀」を引き取る。昨日買った「鋼鉄の短刀」とともに、背中側の腰にクロスするように斜めに差した。
それから長旅——5日の移動に備えて消耗品を調達する。朝食用にホットドッグを買えば、準備完了だ。
「……昨日、冒険者ランクBの女が来た」
ホットドッグ屋の店主が言った。
セリカのことだろう。昨日「も」だろうとは思ったが、それは言わないでおいた。
「このホットドッグを全面的に支援したいという……」
「お、おう。だいぶ気に入ったんだな」
「ありがとう。すべて坊やのおかげだ」
「感謝してるなら『坊や』は止めろよ」
「坊ちゃん」
「ふざけてるのか?」
「名前を聞いていいか?」
「…………」
名前を言えば、セリカに知られる可能性がある。
だけれど、それならそれでいいか、という気持ちにもなっていた。このホットドッグ屋にはだいぶ世話になった——世話をした。今までお互い名前を知らなかったのも不思議なくらいだ。
「ヒカル」
「ヒカル、か……俺はアーネストだ」
「そうか。それじゃあな」
「行ってこい。しばらく戻らないんだろう? そんな顔をしている」
「……ああ」
しんみりすることもなくホットドッグ屋——アーネストと別れた。しっかり60ギランは取られたが、ラヴィアは激辛ホットドッグを手に入れてうれしそうだった。
いつものようにヒカルだけがポーンドを出る形にして、「集団遮断」を使ってラヴィアが街を出る。
ルートハバード行きの馬車は、5日で1,000ギランかかるという。簡素な宿もついてくるというので、ふたりぶん、支払った。
ヒカルはポーンドを出た。
5日後の昼過ぎ、ルートハバードに着いた。
残:34,990ギラン(+200,000ギラン)
背伸びするけどお酒には弱いヒカルです。





