第21章 工場排水路(4)
工場地区排水路最南部の分岐点に到達し、水路に沿って左に曲がったルシファーは、不意にその足を止めた。水路は、そこで行き止まりになっていた。壁に身を寄せて、肩で息を繰り返しながら、追いついてくる複数の足音に神経を集中させる。荒い呼吸をいくらか静めると、彼は腕に嵌めていた通信機に手を伸ばし、操作した。
「デル、俺だ。聞こえるか?」
イヤホンと一体になった通話マイク越しに低い声で囁きかけると、返答はすぐに戻ってきた。
「感度良好よ。ばっちし聞こえてるわ」
「OK。ディックもそこにいるな?」
「ちゃんといるわ。ついでに、さっき転送してもらった地下水路の図面も用意できてるわよ」
「よし、ディックに代われ」
通話機の向こうでは、ショッキング・ピンクのモヒカン少年が、ルシファーの言葉に当惑した表情で、すぐ横にいたレオを顧みる。励ますように肩に置かれた力強い手に勇気づけられて、ディックはおそるおそるまえへ進み出た。
「ビッグ・サムと仕掛けをした場所は憶えてるな?」
「あ、はっ、はいっ! 全部で13カ所、10分置きに起爆スイッチが入るようにセットしました」
それを聞いて、ルシファーは不意に苦笑を浮かべた。
「13――つくづく縁のある数字だな……」
「は? あの……?」
「いや、なんでもない。作動のさせかたは?」
「えっ…と、その、たぶん、いちおう……」
「そりゃ困るぜ、おまえしか頼りになる奴がいねえんだから」
不安げな返答に、ルシファーは再度苦笑した。相当なプレッシャーを感じているらしい相手の反応が可笑しかったのだ。
「いいか、3分間だけ時間をやる。俺の合図と同時に起爆源のメイン・スイッチを入れられる状態にしておけ。作動したら、地図を見ながら仕掛けをした場所を順に俺に教えろ」
ボスのムチャクチャな命令に、少年は悶絶して泡を吹きそうになった。
「ちょ…っ! 待ってくださいよっ!! そんなこと言われたってオレッ!」
「あと2分50秒」
容赦のない声がディックを窮地に追いやる。
「ボスなら大丈夫よ、いいから言われたとおりになさい」
デリンジャーが励ましの声をかけたが、少年はますます途方に暮れ、いまにも泣き出しそうな顔で《セレスト・ブルー》の幹部を顧みた。
「けどオレ、最後に仕掛けたいちばんでっかい爆破装置の位置、知らないんです」
「なんですって!?」
さすがのデリンジャーも、これには仰天して、ひっくりかえった叫声をあげた。
「そこだけは最後の大事な仕上げだからって、大将、オレにも作業させてくんなくて」
申し訳なさの極致にあるらしいディックの弁解を聞きながら、デリンジャーはあまりのことに眩暈をおぼえて天を仰いだ。
「もうっ、あのバカ! なんだってそう余計なマネすんのよっ。これじゃ、どうにもなんないじゃない!」
「いいから、早く言われたとおりにしろ」
焦れた声が、ディックに究極の命令を下す。
「でっ、でも……」
「ちょっとボス、このままじゃ、へたするとあなたまで吹っ飛んじゃうのよ? いくらなんだって危険すぎるわよ」
ディックに代わってデリンジャーが制止しようとしたが、ルシファーは強引にそれを押しきった。
「そのまえにカタをつければいいだけのことだろう。あと1分45秒」
抗しきれない命令に、デリンジャーは観念したように小さく首を振ってディックに指示に従うよう促した。当惑を隠せぬ様子ながらも、ディックはコンピュータを操作している少年に起爆源のメイン・スイッチにアクセスさせ、かけてあるロックを解除する操作手順を説明していった。刻々と時間が過ぎゆく中、ルシファーのほうでも、ついに追っ手がすぐ角の向こうまで追いついてきていた。
「追いかけっこに飽きて、今度はかくれんぼか? けど、尻尾がそこに見えてるぜ、ルシファーちゃんよ」
悪意だらけの揶揄に、複数の嘲笑が沸き起こる。ルシファーは、物音をたてぬようゆっくり壁ぎわを移動すると、息を殺して奥の様子を窺った。
「あと30秒。準備は?」
「でっ、できました」
「第7ルート8のB2。俺の現在地から最初の爆破装置までの距離は?」
「約100メートル北、えっ…と、第7ルート7。あっ、おなじB2フロアの地点です」
「OK、絶好のポイントだ。あと15秒」
言うと同時に銃を構えなおしたルシファーは、すばやく身を乗り出して銃を連射し、3人ほどを地面に沈めた。途端に勢いよく撃ち返される弾を避けて、壁に身を伏せる。
銃声を轟かせながら、足音がすぐ背後まで迫ってきていた。
「あと5秒」
息を呑んで迫りくる気配に全身を緊張させながら、ルシファーは心の中でゆっくりとカウントした。そして、
「押せっ!!」
命令と同時に、オペレーターを務めていた少年はビクッと身を竦ませ、思わず起爆源のスイッチを押していた。直後に通信機をとおして伝わってきた爆音。その威力の凄まじさを想像するのは、破壊音だけでもそう難しいことではなかった。
「あ……」
ボスの気迫に呑まれるかたちで、つい装置を作動させてしまった少年が、いまさらのように動揺して怯えた瞳をデリンジャーに向けた。グループのナンバー・スリーは、チラリとその顔を見やると、さりげない口調で追い打ちをかけた。
「よかったわね、シヴァがいなくて。じゃなきゃいまごろ、あんたの脳みそも思いきりよく吹っ飛ばされてたわよ」
恐ろしい仮定を提示してオペレーターを再起不能にしたデリンジャーは、すぐに真顔になって、音声のみを繋いでいる通信機と地下水路の地図を表示しているスクリーンとに注意を向けた。
スクリーン上でルシファーの現在地を示す光点がほどなく動き出す。どうやら、ひとつめは無事クリアしたようだと、デリンジャーはひとまず胸を撫でおろした。




