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地上に眠る蒼穹~Celeste blue~  作者: ZAKI
第1部 スラム編
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第19章 永遠(とわ)の祈り(1)

 ゾルフィン一党を単独で追ったシヴァは、途中、増援部隊としてつかわされた《シリウス》と合流を果たした。


 追っ手の存在を知りながら、敵は《旧世界ガイア》北東部に向け、悠然と撤退していく。彼らが向かうのは、港湾北第1ブロック――北東ゲート《東風門エウロス》を臨む領域であった。ゾルフィンは、現在の拠点をその一角に構え、さらなる勢力の拡大を図っていた。


 このまま、敵の懐に飛びこんでいいものか。


 誘いこむそぶりがあからさまなその動きに、シヴァは不審を抱いた。これ以上の追跡と進入は躊躇ためらわれる。咄嗟の判断で、彼は一時進行を見合わせる決意をした。ビッグ・サムとともに方針を立てなおすべく、味方を促し、引き上げにかかろうとする。事態は、まさにその瞬間に急変した。


 後方から突如現れた集団が、退路をはばむかたちで彼らのまえに立ちふさがった。夜襲組とは別に温存されていた、相当数の一団であった。

 気づいたときにはすでに、手遅れだった。構えるまもなく間合いを詰めた敵勢は、獰猛な牙を剥き出しにして、一気に襲いかかってきた。


 猛攻を仕掛けてくる敵に対抗すべく、ビッグ・サムはただちに迎撃体勢を整えた。しかし、麾下きか三十余名に対し、敵は軽くその倍をいく。前方から引き返してきた夜襲組も加わって、旗色は完全にゾルフィン側に優勢な方向へと傾いていた。


 いったい、いつのまにこれほどの勢力に膨れ上がっていたのか。


 前後左右の挟撃に加え、建物上方からの攻撃も苛烈を極め、仲間は次々に銃弾を浴びてたおれていった。激しい銃撃戦が展開される中、退路を断たれた彼らは前進を余儀なくされ、次第に敵中奥深くへと追いこまれていく。

 電波妨害により、いつしか後方との通信も断たれていた。

 自分たちの窮状と現在地を仲間に知らせることもできなければ、地理の詳細、敵の位置等、必要最低限の情報すら不足しているありさまだった。そのうえ、足代わりの車はことごとくが攻撃の的にされ、早い段階で乗り捨てざるを得なくなっていた。

 重なる悪条件の中で、援軍を望めない現実が士気の低下にさらなる拍車をかける。

 犠牲は刻々と増え、味方は削ぎ落とされていく一方となった。


 5人。気がつけば、それだけの人数しか残っていなかった。


 緊張の連続が集中力を衰えさせ、疲労も精神力も、そろそろ限界に達しつつあった。



「シヴァ、もう一度、後退を試みては」


 それまで黙って付き従ってきたビッグ・サムが、ついに重い口を開いた。奥へ奥へと誘いこむ敵のやり口が、不安でならなかった。連中が本当に捕らえようとしているのは、人質にとった新聞記者ではなく、目の前にいるこの青年なのだ。ゾルフィンの裏で手を引く人物がいるとすれば、その狙いはあきらかだった。

 だが、シヴァは応えようとしなかった。


「シヴァ」

「……無理だ。ここまで来たら、まえに進むよりほかない。退却が不可能ならば、せめて人質だけでも取り返さなければ」

「しかしこれでは、仮に人質を奪回することに成功したとしても、生きて戻ることなど不可能です!」

「ムチャは承知のうえだ。最悪、人質さえ無事ならそれでいい。奪回が無理なら、せめて情報の詳細だけでもボスに――」

「無理かどうか、やってみなければわかりません。私が盾になります。少しでも望みの残っているうちに、せめてあなただけでも逃げてください」


 硬質の美貌に、はじめて動揺の色が浮かんだ。


「なにをばかな……」

「生命に代えても、あなただけは逃がしてみせます。ですから、いまのうちに──」

「ダメだ、それだけは絶対に許さない」

「シヴァ!」

「そこまでの犠牲を払って、自分ひとり助かりたいものか! 余計な気遣いなど無用」

「そんなことを言っている場合ですかっ。ルシファーがあなたの帰りを待っています。いま、あなたが言われたとおり、彼にはあなたがここで得た情報が必要なはずです。記録したデータさえ残せばいいなどとは言わせない。ルシファーにとって、あなたはそんな軽い存在ではない。ご自身でも、それはよくわかっているはずです。あなたは、生きて還らねばなりません」


 言い諭すように説いて聞かせられても、青年は頑として首を縦に振らなかった。

 直後に、銃声音が鳴り響く。それが熄んだとき、彼らはさらに、ふたりの仲間を失っていた。

 残ったのはシヴァ、ビッグ・サム、そしてその右腕のラムゼイのみ。

 もう、どうにもならないところまで追いこまれていた。


 ビッグ・サムとラムゼイが、なおも臨戦体制を解かず、次の攻撃に備えて周囲を警戒する。おそらく、生還は果たせまい。ビッグ・サムの説得にもかかわらず、シヴァは諦念をもっていっさいの抵抗を放棄した。だが、向後こうごの憂いだけは、残すわけにいかなかった。


 ――ゾルフィン。あの男だけは、刺し違えてでも、この手で始末しておかなければ。


 覚悟を決めた青年は、ふと、奇妙な感覚に襲われて顔を上げた。

 違和感の原因を突き止めようと、彼はあたりに注意を向けた。ビッグ・サムとラムゼイもまた、同様に戸惑いと不審の色を浮かべた。


「……気配が、消えた?」


 シヴァの呟きに、ラムゼイがハッとしてあたりを窺った。いまのいままで彼らを取り囲んでいた敵の気配、肌に痛いほどに感じられた殺意、嘲弄、悪意。そのすべてが、信じがたいことに、一瞬のうちに消え去っていた。

 なにが起こったのか、彼らには理解できなかった。罠かもしれない。新たな緊張で身を鎧いながら、シヴァはゆっくりと立ち上がった。近く、どこか別の場所で、叫び声や銃声、爆音のようなものが聞こえる。罠にしては、なにかが奇妙だった。

 シヴァの意識は、自然、そちらへと向けられた。と、そのとき、



「やっと見つけた」



 抑揚を欠いた、静かすぎるほど静かな声が、彼の鼓膜を振動させた。

 一片の感情さえ感じられない平淡な声。けれど、なぜかその声に、シヴァは全身の肌が粟立つほどの憎悪を感じて振り返った。


 ぶつかったのは、ねっとりと絡みつくように自分を捕らえていたロイヤル・ブルーの瞳。シヴァは、自分でも気づかぬうちに後退あとずさっていた。

 途端、青年を見つめる男の秀麗なかおに、凄絶せいぜつともいえる笑みがひろがった。


「会えて嬉しいですよ、《セレスト・ブルー》のシヴァ──いえ、本名でお呼びしましょう。エリス・マリエール・グレンフォード」


 男の言葉に、シヴァはビクッとその身をふるわせた。色を失った口唇くちびるが、声にならない驚愕を示して戦慄わななく。男はますます愉しげに笑って、1歩まえへ進み出た。


「失礼、自己紹介がまだでした。私はフィリス・マリンと申します。ご興味はないでしょうが、内務省地上保安維持局長主席秘書官を務めている者、とだけ申し添えておきましょう。局長命令により、たったいま、取材旅行中に不慮の事故に見舞われ、消息不明となっていた新聞記者1名を保護させていただきました。よろしければ、あなたもご一緒に保護して差し上げましょうか、エリス・マリエール?」


 秘書官が穏やかに言うと同時に、背後に影のように控えていた黒服の男たちが、獲物を取り囲む位置へと音もなく移動した。ビッグ・サムとラムゼイが、男たちを牽制するように身構える。

 シヴァは、そのさまを涼しげに見つめるマリンから、目を逸らすことができなかった。


 フィリス・マリンと名乗るこの男とは、一面識もないはずだった。だが、その見ず知らずの相手が、八つ裂きにしてなお余りある憎悪を自分に向けている。その事実に、言い知れぬ当惑と動揺をおぼえた。



 ――なぜ……。



「エリス様!」


 低く名を呼ばれて、シヴァはハッと我に返った。

 ビッグ・サムの上着がくうを舞うようにひろげられ、青年の頭に覆いかぶされた。直後、ビッグ・サムは上方めがけて銃を乱射する。ガラスの砕け散る音が響くと同時に、無数の破片が頭上から降り注いだ。

 男たちの注意が逸れた一瞬のその隙に、彼らは行く手を遮る男たちの壁を突き崩して、全速で走り出した。


 専門の養成所で特殊訓練を受けたらしき男たちが、半瞬の間を置いて彼らを追う。銃声が威嚇するように響いて逃亡者らの躰をかすめたが、仕留める気はないようであった。


「大事な獲物に、きずをつけないようにしろ」


 決して大きくはないマリンの声が男たちに命じる。シヴァの耳は、不思議とその声を、はっきり聞きとっていた。


 フィリス・マリン――のアドルフ・シュナウザーの主席秘書官を務める男。それがなぜ……。


 たぎるような憎しみを向けられる理由が、青年にはまるで思いあたらなかった。

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