第18章 敵襲(3)
捕らえたゾルフィンの手勢は、十数名に及んだ。
追っ手をかけた悉くが追撃に失敗し、現在、シヴァと《シリウス》のメンバーのみが人質奪回のため、ゾルフィンらの拠点に潜入していた。ただし、その彼らとも、完全に音信が途絶えてほぼ半日が過ぎようとしていた。
その間、ルシファーは捕らえた賊の配下に強力な自白剤を数度にわたり投与し、敵方の内部事情について探りを入れた。だが、いずれも捗々しい情報は得られなかった。その用心深さを証明するがごとく、ゾルフィンは必要最低限とも思える情報すら、ごく一部の者を除いて仲間内にも隠匿しているようであった。
短時間のうちに副作用の大きな劇薬を乱用したため、捕虜はすべて精神崩壊を引き起こして廃人同然と化したが、そのまま捨て置かれた。手心を加える余裕など、いまのルシファーにはなかった。
難しい顔で心思するボスを、少年たちは固唾を呑んで見守っている。中空に据えられていたその視線が、不意に部屋の片隅へと向けられた。
「レオ」
呼ばれて、壁に寄りかかり、腕を組んでいた女傑がゆったりと身を起こした。
「病室付近で、不審な奴を見かけなかったか?」
ルシファーの問いかけに、レオは眉宇を顰めた。
「翼の容態が山を越したことや、この建物の構造と見取り図、部屋の位置関係等の概要が向こうに筒抜けになっていたとしか考えられない。そうでなければ、ああまで手際よく、あの戦乱に乗じて人間ひとり攫うことなどできるわけがない。奇襲のしかたこそ派手だったが、あくまでそれは陽動にすぎない。ゾルフィンの目的は、はじめからそっちにあったと見るべきだろう。そして、そうさせるべく、奴に情報を漏らし、警備システムを解除した人間がいる」
氷のように冷ややかな表情で、ルシファーは断定した。
内部に裏切り者がいる。ボスの言葉に、配下の少年たちは動揺を露わにした。少しでも嫌疑をかけられれば、おそらく生きてはおれまい。ジャスパーの一件も含め、加減のまるでないボスのやりようを目の当たりにしているだけに、彼らの反応は顕著であった。
それらの空気がわかりすぎるだけに、レオは開きかけた口を噤みなおした。
「どうだ、レオ、それらしき奴を見なかったか?」
「──いや」
答えを促され、言葉少なにレオはかぶりを振った。ルシファーの口許が、わずかに歪む。なにもかも見通したうえで、浮かべた嗤いだった。
「《セレスト・ブルー》の存続に関わることだ。むろん、翼の生命にもな。庇う必要はない。思いあたるふしがあるなら、名を挙げてもらおう」
自分に据えられた勁い光を放つ視線を、レオは臆すことなく真正面から受け止めた。そして、ややあってからきっぱりと首を振った。
「いや、本当に見てない。それらしい奴には出くわさなかったよ」
レオの回答に満足したわけではなかろうが、ルシファーは冷笑を浮かべたのみで、それ以上追及しようとはしなかった。
「──ボス」
そのとき、決然と声をあげた者がいた。自然、皆の視線はそちらへ集中する。1歩まえに進み出た人物は、自身の勇気を総動員したと思われる硬い表情で、みずからのボスを敢然と見据えた。
「なんだ、アレン」
「不興を買うの承知で、あえて言わしてもらいますけど、なんでゾルフィンの側に通じた奴が、ここにいる連中にかぎられなきゃいけないんですか?」
ルシファーの片眉が、おもしろいことでも耳にしたように上下した。周囲にいた仲間たちが、アレンと呼ばれた少年の言わんとしていることを察してあわてて止めに入る。しかしアレンは、それらの制止を振り払ってルシファーに対峙した。
「かまわん、つづきを言ってみろ。ここにいる人間にかぎらないなら、だれだというんだ」
「―─シヴァです」
挑むようにアレンは明言した。少年たちの動揺は、さらに大きくひろがり、それはざわめきへと変貌を遂げて室内を満たした。
アレンを見つめるルシファーの表情に変化はない。わずかな感情の揺れさえ見せることなく、彼はその意図するところの理由を尋ねた。
「根拠は? そう言うからには、それなりのわけがあるだろう」
「もちろん理由はあります。シヴァは、あのブンヤをひどく嫌ってた。あの人の徹底した性格からしても、厄介者にしか思ってない人間を、わざわざ危険を冒して助けに行くなんて考えられっこない。あいつはわざとゾルフィンにあのブンヤを攫わせて、助けに行くふりをしてバックレたんだ」
「この俺に逆らってか? 俺の命令に忠実に従っただけだと、なぜ考えない? あいつに叛意があったかどうかさえ見抜けないほど、おまえたちのボスは間抜けか?」
「そんなことっ!」
少年は、かぶりを振って強く否定した。
「だが、それでもシヴァを信じてないと言うんだろう? そう考えているのはアレン、なにもおまえひとりにかぎったことじゃねえ。口には出さずとも、ここにいるおおかたの連中がおなじように疑っている。この俺が信じているにもかかわらず、だ。俺にはそれが、どうにも気にくわねえ。謀叛気を持ってるのは、むしろ、おまえらのほうじゃねえのか?」
「ボスッ!!」
非難を含んだ叫び声が、たちまち複数あがった。
「シヴァがボスの失墜を企んでる、その可能性が絶対にないと言いきれるんですかっ?」
「なぜその可能性があると、おまえたちはそうまで頑なに信じこんでいるのかと俺は訊いている。狙われ、いま、もっとも危険な状態に晒されているのは、俺でも、ましてやおまえたちのうちのだれかでもない、シヴァ本人だ。そのあいつが、なぜこんな時期をわざわざ選んで、俺を陥れる必要がある。しかもゾルフィンなんぞと手を組んでまで。
あれが私欲に眩んで権力を欲するような人間か。ゾルフィンごときに容易く籠絡される安易な為人か。この《ルシファー》が、ゾルフィンにすら及ばぬ小物だとおまえたちは言うのか!?」
「けどジャスパーがっ!」
「ジャスパーがなんだ。あれがもとはビッグ・サムの許にいたことなど、すでに周知の事実。そのジャスパーを差し向けるような見え透いた手口を、あいつが使うはずがなかろう。安易に信じこんで、鵜呑みにした貴様らこそいい面の皮だ。それこそが敵の狙いだと、なぜ気づかない。あの直後に死んだのはだれだ? ヤツェクの口を封じたゾルフィンが、いま現在手を組んでいると思われる相手は、俺たちとどういう関係にある? プロの戦争屋を雇ってまでシヴァを捕らえたがっているのはだれだ?」
「あ……」
「疑心暗鬼に凝り固まって、おまえらは肝腎のことを見落としている。嵌められたのは、皆おなじだ。俺も、おまえらも、シヴァも……。翼は囮だ。おそらくは、あの状況下でシヴァを誘き出すための」
あたりを、重い空気が支配した。
「手のこんだ罠に、俺たちはまんまとひっかかった。そして、作為的な仕掛けに、そうと気づかず躍らされようとしている愚昧な輩もたしかにこの中に存在している。だが、勘違いするな。このちっぽけなスラムの中での覇権をとるとかとらないとか、どの勢力がどこを併呑するとかしないとか、俺を引きずりおろすためにだれが奸計を企んでいるとかいないとか、俺たちが問題にしなきゃならないのは、そんなレベルのことじゃねえ。余計な懐疑心なんぞにいつまでも翻弄されてねえで、いまはシヴァと翼を救出して、策士気取りでうるさく飛びまわる目障りな小虫を叩き潰すことだけに意識を集中させろ」
反駁を許さぬ語調で言い置いて、ルシファーは席を立った。間を置かず、デリンジャーもそのあとにつづく。
ふたりが立ち去った扉をきつい眼差しでしばし凝視していたひとりの人物が、不意に立ち上がって、その場から姿を消した。そのことに、レオを除く他の者は、さほど注意を払わなかった。




