第13章 グレンフォード一族(1)
《メガロポリス》の首都に隣接するその都市は、都市まるごとひとつがある一族の所有となっている。所有者である一族の当主の名を、ウィンストン・グレンフォードといい、都市の名を、初代当主の名にちなんで《ウィンストン》という。つまるところ、現在、《メガロポリス》の経済そのものを牛耳るといわれるグレンフォード財閥の巨億の富は、驚くべきことに、ウィンストン・グレンフォードただ一代によって築き上げられたものなのである。
研ぎ澄まされた感性と天才的なまでの商才、優れた先見の明とそれらを最大限に活用できる知性、そして、恵まれすぎるほど恵まれた、圧倒的強運。
若いころのウィンストンは、無謀ともいえる放埒さと豪胆さを備えた快男児であった。同時に、緻密性と計算高さをも併せもつ、活力と英気に溢れた、いわゆる時代の寵児であった。
わずか18歳で小さな輸送会社を設立してから、成功をおさめるまでの彼の活躍はめざましい。その後も、彼が手がける事業はすべて、さまざまな分野において飛躍的な成長を遂げ、『大勝』の二字を掲げて発展していった。
ホテル・レストラン経営、不動産業、貸金業、ファッション、娯楽、教育、医療、科学開発、交通・情報産業、政界への進出……。
他の追随をいっさい許さず、旭日の勢いをもって拡大しつづけるその組織が、《グレンフォード財閥》として《メガロポリス》に擡頭し、世界を掌握するまで、さほどの年月は要さなかった。
神に愛されし男。
有り余るほどの情熱とエネルギーは、仕事のみならず、女性関係においてもおおいに反映された。事業の拡大と地位の安定という政略的意図をもってウィンストンが正妻を迎えたのは、24のときのことである。相手は、取引先の大銀行頭取の一人娘であった。
両親の深い愛情に包まれ、温室の中で大切に育まれてきた19歳の花嫁は、内気で、このうえなく夫に従順な妻となった。世間の汚れを知らず、他人の庇護なしに生きられない可憐な新妻に、ウィンストンはいたく満足した。が、その直前にもその直後にも、そしてそれ以降の長きにわたっても、この男の周囲に女たちの影が絶えることはなかった。
随時300名を下ることはないと言われたウィンストン・グレンフォードの愛妾たちは、いずれも聡明なる美女ばかりがそろい、『グレンフォード王朝の後宮の花々』とひそかに、しかし公然と囁かれた。
だが、その生命力が絶大であったにもかかわらず、彼は、自分の築き上げた王国を継承させる実子になかなか恵まれなかった。正妻とのあいだにはもちろん、愛妾たちとのあいだにさえ自分の子を身籠もる女はいっこうに現れない。なんとしても継嗣は必要である。ウィンストンは焦燥に駆られた。
子供が欲しい――恵まれすぎた男の、それが唯一の悩みだった。
待ち望んだ第一子が誕生するのは、ウィンストンが30代半ばを過ぎてからのことである。愛妾ベアトリーチェとのあいだに長女マグダレーナを儲けたあとは、次々と子宝にも恵まれ、最終的に6男8女、計14人の子供たちがグレンフォード家の後継として世嗣に相応しい教育を受けながら成長してゆく。ただし、正式に認知された子供たちは、いずれもそれぞれが異なる愛人とのあいだに儲けられており、ついにウィンストンの子を身籠もることのなかった正妻アンヌ・マリーは、失意のうちに39歳という若さで夭逝する。グレンフォード家に嫁して、ちょうど20年目のことであった。
ウィンストンはそれ以降、60を越える年齢まで独身をとおす。
彼は、自分に跡継ぎをもたらした14人の女たちも含め、愛妾たちのいずれに対しても、『正妃』としての実権を与えることはなかった。すべての女たちに寵を競うことを禁じ、野心を捨てることを求めた。従順に従う者には生活の安定を保障し、そうでない者は容赦なく切り捨てる。子を産んだ者には、如何なる手段を用いても親権を放棄させた。
彼は、そのようにして他者のグレンフォードへの不介入を徹底した。
そのウィンストンが、齢62にして突如迎えた再婚相手は、一族の度肝を抜いたことに、当時まだ16歳になったばかりの少女であった。彼女は、実の娘たちよりも遙かに年下で、末の息子よりわずかに2歳年長であるにすぎなかった。しかし、一族の大反対を押しきって後添えの妻としたイザベラもまた、その16年後、『ある不幸な事故』により、32年という短すぎるその生涯を閉じる。
今年84歳になるウィンストン・グレンフォードは、いまなお壮健で一族の頂点に立つ。とはいえ、財閥の運営そのものは、とうの昔に子供たちに采配を委ねていた。
息子たちはそれぞれ、財閥が提携を結ぶ各企業グループや政界の重鎮らの令嬢を妻とし、娘たちも皆、彼が総裁の座に就任していた当時から殊に目をかけてきた直属の部下たちの許に嫁いでいる。
男女を問わず、幼いころから徹底して帝王学を叩きこまれてきた子供たちの手によって、グレンフォード財閥は、ますます確たる地位を《メガロポリス》に築きつつあった。
しかしながら、ウィンストンが引退して後より今日に至るまで、財閥の総裁の座は、空席のまま留保されていた。
ひとつに、あまりに強すぎる初代総裁の威光が理由として挙げられる。
ウィンストンが独裁体制を徹底強化した結果、財閥における次席の座ははじめから排除されていた。そのため、ウィンストンの下には、独裁者である彼を補佐する幹部が同等の権限をもって複数配された。
情報産業部門担当ジョエル・ポートマン、医療部門担当ピョートル・スタニスラフ、不動産部門担当リーアム・エドワード・デューガン、金融部門担当ロデリック・ハワード、経営部門担当ウォーレン・リッジウェイ、そして法務部門担当のチャン・イエン。
その力関係は、与えられたポストと各自の力量によって微妙な差異は生じたものの、ほぼ同格と言えた。それぞれの得意分野で、己の能力を最大限に活かして強大な組織の運営を取り仕切る。そんな彼らの権限をもってしても、圧倒的権力を有するウィンストン・グレンフォードのまえでは、塵にも等しい、ささやかなものでしかなかった。
その絶対者の目が、現在もなお、厳しく個々の重鎮たちの上に注がれている。そのため、彼らも迂闊に動くことはできず、軽率な行動を慎まざるを得なかったのである。
ウィンストン・グレンフォードを支えた領袖たちが、いずれも駿逸であったことは疑いない。しかし、財閥総裁という魅惑的このうえない地位と権力を掌中にするためには、すべての面において、他に冠絶した能力が求められた。
野心のみで頂点へ這い上がることはできない。ましてや、なまなかな心構えや中途半端な能力でグレンフォード財閥総裁の地位を守り抜くことなどできようはずもない。
ウィンストンは、みずからに対してはもちろんのこと、相手に対してもつねに完璧であることを要求した。能力主義を第一と考え、子供たちに対してさえ、いっさいの妥協を許さなかった。その基準はあくまで厳しく、仮に後継とされる子供たちでも、眼鏡にかなう者がなかった場合、もしくはその子供たち以上に優れた才覚を有する者が現れた場合には、その者にこそ総裁位を譲り渡す。そう放言して憚らなかった。
それゆえ彼は、子供たちの教育に余念がなかった。みずからが築き上げた王国を、己の血を引く者にこそ承継させたい。それが自身の最たる願望であり、その願望を実現させるためにも、みずからの期待に応える者を育て上げる。その一事に心血を注いだ。
次期総裁候補。
長い時間をかけてじっくりと見定めた結果、やがてウィンストンは、14人の子供たちの中でも、とくに末子に有能な適性があることを見いだす。
彼は、他の兄弟たちに抜きん出た才を有するこの末の息子を、ことのほか溺愛した。
成人と同時に末息子を総裁の座に着任させる。ウィンストンは、ついにそう断を下した。
第一線を退いたあとも、彼は己の築き上げたすべてをこの末子に受け継がせるべく、さまざまな腐心を惜しまなかった。
息子は、日々父の期待どおりに成長してゆく。そして父の夢は、畢竟、夢想に終わる。
成人を間近に控えたあるとき、息子は、まもなく自分に与えられるはずであった財閥総裁としての権限すべてを、いともあっさりと放棄する。自分は、そのような器ではないから。それが、父の用意した最上のレールに乗ることを彼が拒んだ理由であった。
その後、彼はみずからの意思によって官僚としての道を選び、ごく平凡なエリート・コースを歩んでゆく。ウィンストンは笑って息子の我儘を容認した。いまのうちに世間を見ておくこともそう悪いことではあるまい。いずれ自分の手もとに連れ戻すつもりで、当分は息子の気がすむよう放任しておいてもよかろうと、ゆったり構えることにした。
ウィンストン・グレンフォードが溺愛する末息子の名を、アドルフという。




