第9章 造反部隊との協定(4)
人数から考えれば、ほんの小競り合い程度といっても差し支えない規模の交戦だった。にもかかわらず、それから1時間以上に及ぶ戦闘は、苛烈を極めた。
「ちっきしょー、思ったより苦戦してんな。まだだれも捕まえらんねえのか」
遠く近くに銃、あるいはトラップが爆破する音を聴きながら、ザイアッドは吐き捨てた。軍服の破れ目や露出した皮膚のそこここが、弾丸のかすった痕やコンクリの破片などで裂け、傷口から血を滲ませている。時間どころか、すでに痛みに対する感覚すらどこかへ消え失せて、自慢の体力も、さすがに限界に近づきつつあるようだった。
「やべーな、こっちもそろそろエネルギー切れか」
敵の目を避け、ひとつの建物に身を隠したザイアッドは、手にした銃をチェックして、肩で息をしながら小さくぼやいた。軍靴の踵からエネルギー・カプセルを取り出し、銃に装填しようとして、うっかりその手を滑らせる。床で弾んだカプセルは、勢いよく滑って廊下の向こうへと転がっていった。
軽く舌打ちをして足を踏み出しかけた男は、しかし次の瞬間、極限まで神経を張りつめると壁に背を押しあて、銃を構えなおした。疲労のために散漫になりつつあった集中力は、その一瞬で最高潮にまで引き上げられていた。
足音もなく、かすかな気配が近づいてくる。ザイアッドは柱に身を寄せ、みずからの気配を殺すと、息を詰めて様子を窺った。
気配が、数メートル手前で立ち止まった。取り落としたエネルギー・カプセルに相手が気づいたことを瞬時にさとった男は、その双眸をわずかに細めると、銃をホルダーに落としてナイフに切り換え、殺気を殺して身構えた。
気配が、あたりの様子を探るように近づいてくる。そしてそれが、柱のすぐ向こうに迫った瞬間、男は片腕で相手の首を力いっぱい引き寄せ、きつく締め上げたその頸動脈に切っ先を突きこもうとした。
「わーっ、たんまたんま! 軍曹、オレですって。キムです、キムッ。落ち着いてっ!」
ジタバタともがきながら情けない悲鳴をあげる部下の顔を逆さから見下ろすなり、ザイアッドは緊張を解いて腕を放した。
「なんだよ、てめえか。まぎらわしい真似すんじゃねえ。寿命が縮まったじゃねえか」
「そりゃ、こっちのセリフですって。部下の気配ぐらい嗅ぎ分けてくださいよ」
「ムチャゆうな。こっちゃ、テメエの生命守んのでセーイッパイだよ。闘争心全開にしてっときに、そんな器用な真似できっか」
いつもより数段迫力落ちする口調で言い返しながら、ザイアッドは部下の差し出すエネルギー・カプセルをふんだくるようにして自分の銃に装填した。
「おい、ほかの奴らはどうしてる?」
「……ウォルターとジェイコブが殺られたようです。ほかはおそらく、まだ。さっきまでホセやJ.J.と一緒だったんですが、いつのまにやらはぐれちまったみてえで」
「――そうか」
低く答えて、そのまま疲れたように目を閉じると、ザイアッドは深々と息をついた。
「おい、リミットまであとどれくらいある?」
「20分強ってとこっすかね」
「もうそんな経ったか。まだだれも捕まえてねえんだな?」
「それどころか、チラッとも姿見かけた奴さえいませんぜ? 本当に戦闘に参加してるんですかね?」
「さあてな、銃なんて重いもん、持ったこともねえかもしれねえなあ」
クックッと可笑しそうに笑ってから目を開けると、ザイアッドは笑みを消して柱から身を起こした。
「もたもたしちゃいられねえ。見つからなきゃ、なんとしてでも捜し出すまでよ。行くぞ、キム」
「あ、軍曹!」
足早に歩き出した上官のあとを、キムはあわてて追いかけようとしてたちまちその背にぶつかった。いくらも歩を進めぬうちに、ザイアッドが立ち止まったからである。
「やったぜベイベー、運命の甘ーい糸を感じるぜ」
何気なく回廊からすぐ下の階を見下ろした男は、ニヤリと呟いた。
「キム、おめえはここにいろ。ついでにほかの奴らに集合かけとけ」
言うが早いか、ザイアッドは軽々と手摺りを飛び越えて、5メートルほど下のフロアに見事な着地を決めていた。
「ぐっ、軍曹!」
上官思いの部下が仰天して手摺りに飛びつく。しかし、それ以上に驚いたのは、まさに敵に降って湧かれた側のほうで、咄嗟に飛び退くと、目の前の男に銃口を向けて照準を合わせようとした。
「おーっと、慣れないことはしなさんな。危ない真似はしっこなしだぜ」
男は、黒豹のようにしなやかな身ごなしで相手の手首を掴み上げると、そのまま背後の壁に乱暴に押しつけ、自分の躰で相手を挟みこむようにして動きを封じてしまった。
「―――っ!」
暴れる相手をさらに強い力で押さえこみ、その抵抗を娯しむように余裕の表情で眺める。そして、片手でやすやすと相手の両手首を掴み上げたまま、空いているもう一方の手を細い顎にかけ、無理やり仰向かせた。その耳もとに顔を近づけて、男は低く囁いた。
「捜したぜ、ハニー。しばらく会わねえうちに、ますます俺好みに成長したな」
「!?」
プルシャン・ブルーの双眸が瞠かれ、一瞬、抵抗を忘れたかのようにその躰から力が抜けた。男はふっと笑みを浮かべると、かすかに開かれた口唇に、強引に自分のそれを重ねようと顔を寄せた。
「そこまでにしてもらおう」
押し殺した低い声が耳に届いたときにはすでに、ザイアッドのこめかみには堅いものが突きつけられていた。一見平静な口調ながら、そのじつ、背後の人物は全身に凄まじい怒気と殺意を漲らせている。そのただならぬ気配に、不敵なはずの男も、思わず息を呑んでその場に凍りついた。
「死にたくなければ、とっととその薄汚い手を放せ」
背筋に冷たいものが流れるのを感じながら、ザイアッドは黙って言われたとおりに手を放し、両手を挙げて捕らえていた相手から身を引いた。
拘束から解放されるや、青年は緊張を解いて息をついた。
「お怪我は?」
低い声が、心持ちやわらいだものとなって、気遣うように青年の安否を確認した。青年は、思ったよりも落ち着いた声でそれに応えた。
「大丈夫だ、なんともない。それよりビッグ・サム、この男に危害は加えるな。このままボスの許へ連行する」
「しかし…っ」
「ボスのご命令だ、殺してはならない。連れて行け」
冷厳たる口調で命ぜられると、後ろに控えていた体格のいい数名の少年たちが進み出た。
ごく事務的な調子で彼らはボディ・チェックをして捕虜から武器を取り上げる。そして、その手首を後ろ手にきつく縛り上げた。
されるにまかせて、さりげなく回廊を見上げれば、おなじように少年たちに取り囲まれて縛られながら、情けない表情でこちらを見下ろしているキムと目が合った。男はやれやれと肩を竦めて苦笑した。
荒っぽく引き立てられながら、ザイアッドはチラリと周囲に目をやった。その左端に、いまにも焼き切れて爆発しそうな瞋怒を、無理やり精神力で捩じ伏せるようにして耐えている人物の姿が映った。
少しでもおかしな真似をしようものなら、間違いなくあの世行きになる。あまり嬉しくない展開を想像して、ザイアッドはくわばらくわばらと心の中で唱えた。
そして、いまひとり。
押さえこんだ瞬間、身を竦ませて、本気で怯えた表情を見せた青年の艶麗な美貌に、いまは一片の感情すら浮かんではいない。思わせぶりなセリフを吹きこんだ男の正体に気づいたものか、それともそうでないのか。囚人のように縛られ、連行されるその姿を、青年は冷ややかな眼差しで見送っていた。




