60.ジルティアーナのドライヤー
ギルベルトさんが、シルバーフレームの眼鏡越しに私を見つめながら、言葉を続けた。
「ドライヤーは、髪を乾かすための魔術具です。
濡れた頭髪を乾かすことで、服や寝具を濡らしてしまうのを防げます。
髪を自然乾燥させるのはとても時間がかかりますし、特に髪の長い女性たちにとって、洗髪は大きな負担となっていました。
ドライヤーのおかげでそれを改善できましたが……実は、それだけではなかったのです。
ドライヤーでしっかりと乾かすことで、髪が少なくボリューム不足に悩む人には、ふんわりとした仕上がりを与える効果があり、
反対に、髪が多くてまとまりにくい人には、髪のパサつきを抑える効果があることが分かりました。
さらに、髪に艶を与える作用まであると判明したのです」
……へぇ。
さすが、ウィルソール随一の商会ってことなのかしら。
ジルティアーナの記憶では、ドライヤーは単純に頭髪を乾かすためだけに作られたものだった。
アカデミーでシャーロットが最優秀賞を取った発表論文でも、その効果として挙げられていたのは「自然乾燥やタオルで放置すると頭髪が匂うことがあるが、ドライヤーでしっかり乾かすことでそれを防げる」という程度だったはず。
私は日本での知識から、濡れた髪を放置するとキューティクルが傷みやすくなったり、雑菌が繁殖して頭皮が臭う可能性があることを知っている。
でも、ジルティアーナにはそんな知識はなかった。
さらに彼女自身は、普段からリズの魔法で髪を乾かしてもらっていたため、ドライヤーの必要性を特に感じていなかったはず。
それでも──
シャーロットがアカデミーでの発表を決めてからの短い期間で、そこまで突き止めたなんて。
ドライヤーを発明したのはもちろんジルティアーナだけれど、
シャーロットがアカデミーで高評価を受け、最優秀賞まで取れたのは、間違いなくジルティアーナの研究の賜物だ。
彼女は普段、化粧もせず、リズが編み込みなど凝った髪型を提案しても、家ではいつも髪を一本に結ぶだけ。
美容にはまったく興味がなかった。
もしもう少しだけ美容に関心があったら……
ジルティアーナの頭脳なら、フェラール商会のように、ドライヤーによる髪質の違いにも気づけていたのかもしれない。
そんなことを考えていた私に、ギルベルトさんが続けた。
「ミランダ姉上が言っていたんです。
『ドライヤーは素晴らしい発明だ。この発明を、あの妹──シャーロットができたとは思えない。
人から与えてもらうのを当たり前だと思っているあの子に、技術力はもちろん、発明するような発想力があるとは到底思えない』と。……もしかして──」
ミランダさんの言葉を伝えながらも、ギルベルトさんは私に探るような視線を向けてきた。
私はその問いに答えず、かぶせるように笑顔を返す。
「確かに、このドライヤーはシャーロットがアカデミーで発表したものですね。
で、それを私に渡す理由は?」
しばらく私と視線を交わしたあと、ギルベルトさんはふっと息を吐いてから笑顔で続けた。
「……いえ。ぜひドライヤーを使ってみていただきたいのです。
もし改善点や、たとえば口紅をチークとして使ったような新たな活用法など、何か気づかれたことがあれば、教えていただけるとありがたいです」
「わかりました。私にできることがあるかは分かりませんが、何かあればご連絡いたしますね」
──こうして、私とリズはフェラール商会を後にした。
* * *
「……ティアナさん」
宿への帰り道。
しばらく無言で歩いていたが、リズがぽつりと声をかけてきた。
「なに?」
「先ほど、ギルベルト様が……ミランダ様が言っていたことです。
シャーロット様が発明されたドライヤーって……」
「本当は、ジルティアーナが発明したものよ。
発表した論文も、全部ジルティアーナが作成してた」
「それって……っ!」
「でも」
私はリズの言葉をさえぎるように、言った。
「ジルティアーナは──シャーロットに感謝してたの」
「え?」
「魔術具を作る才能や、論文を書く力に長けていたジルティアーナは本当にすごかった。
でも、その才能を活かす術を、彼女は持っていなかった。
私は、そんなジルティアーナをいいように利用したシャーロットのことを、正直、腹立たしく思ってしまうけど……ジルティアーナは──
『自分が発明しただけなら、世に出ることはなかっただろうドライヤー。
それがシャーロットのおかげで多くの人に知ってもらい、使ってもらえるようになった』
……そう言って、心の底からシャーロットに感謝してたのよ。
シャーロットの本性を知ってる私からしたら、馬鹿みたいに思えちゃうけど──
でも、あの子は本気で信じてた。シャーロットのことを」
その時──
何かが砕けるような、大きな破壊音が響き、私たちの会話は中断された。




