47.専属料理人
「いいえ。これは決定ではなく、あくまで提案です。
オリバーさんにはぜひジルティアーナ様の専属料理人になっていただきたいと思っていますが、これは命令ではありません。断っていただいても構いません。
もちろん来ていただけるのであれば嬉しいですが、宿の引き継ぎや引越しの準備などもありますよね?
ですから、お返事はご家族と相談してからで大丈夫ですよ」
リズがそう優しく説明すると、オリバーさんは驚いたように目を見開き、マリーさんの方を見た。
マリーさんはにこりと笑って答えた。
「そういうことらしいの。
働くのはあなたなんだから、最終的に決めるのはあなたでいいと思う。だけど……私はこの話、賛成よ」
「……! 本当にいいのか!?
君はお義父さんのことがあってから、貴族に対して……」
そこまで言いかけて、オリバーさんはハッとしたように口を押さえた。
顔色がみるみるうちに悪くなっていく。
「大丈夫よ、オリバー。
お父さんのこと……さっきティアナとリズさんには、私の口から話したの。
私がいまだに貴族が怖いってこともね。
でも、ティアナたちが信頼しているジルティアーナ様なら大丈夫って思えたし、
なによりこの二人がそばにいてくれるなら、心強いって思ったのよ」
オリバーさんは何も言わなかったが、動揺が瞳に表れていた。
その様子を見て、リズがマリーの言葉を補うように口を開いた。
「……マリーさんのお父様のように、正直、横暴な貴族は多く存在します。
そして、そうした貴族を取り締まる法律も整っていないのが現状です。
平民がどんな目に遭っても、泣き寝入りするしかない……それが現実です。
でも、もしクリスディアに来てくださるのなら、オリバーさんはもちろん、ご家族のことも私たちが守ります。
どうか、前向きにご検討いただけませんか?」
少しの間、沈黙が流れた。
そして、オリバーさんが静かに口を開いた。
「どうして……そこまで私たちのことを考えてくれるんですか?
もし私の腕を認めてくださったのなら、命令すればいいだけの話でしょう?
私たち平民には、拒否する権利なんてないはずです。
……私には、そこまでしていただける理由が思いつきません」
探るような視線で私たちを見つめてくる。
その視線に、私はふっと笑って答えた。
「理由ならありますよ。
私、美味しい料理が食べたいんです」
オリバーさんは目を見開いた。
予想外の答えだったのか、驚きが顔に出ていた。
今度は私が問いかける番だった。
「無理やり命令して、専属料理人にしたとして……
それでも、オリバーさんは、この宿で出していたような美味しい料理を作れますか?」
「それは……」
「私も、命じられればそれなりのものは作りますよ。
でも、一方的に命令してくる人のために、心を込めて料理を作ろうとは思いません。
どうすればもっと美味しくなるかなんて、考えようとも思わないでしょうね。
そういう気持ちは、料理にも出てしまうと思うんです。
私は、オリバーさんが作る“心のこもった美味しい料理”が食べたいんです。
それに……私はマリーやマイカちゃんの友達として、あなたたち家族には幸せでいてほしい。
マリーたちが悲しむような形で、専属になってほしいなんて思っていません」
私はまっすぐにオリバーさんの瞳を見つめた。
その目には、戸惑いと……少しずつ揺れる感情が見て取れた。
彼は目を閉じてしばらく考え込み、そしてもう一度、私を見つめたとき──
その瞳から迷いは消えていた。
「……わかりました。
私を、ジルティアーナ様の専属にしてください」
「……! でも、お返事はご家族と話し合ってからで大丈夫ですよ?
無理をしてまで来てほしいわけではないんです」
「いいえ、大丈夫です。
妻は……マリーは、賛成してくれていますから」
そう言ってオリバーさんがマリーを見ると、マリーは笑顔で頷いた。
「お話を聞いて、改めて思いました。
私は──やっぱり、貴族様の専属料理人になりたい。
また肉や魚を使って、いろんな料理を作ってみたいです。
でも、それよりも大切なのは家族です。
だからこそ、その夢を一度は諦めようと思いました。
けれど……家族が賛成してくれて、しかも安全まで守ってもらえるなら──」
マリーを見つめていたオリバーさんは、私たちに視線を向ける。
「私からも、お願いします。
私は、専属料理人になりたい。
どうか──ジルティアーナ様の専属料理人にしてください」
そう言って、深々と頭を下げた。
その真剣な姿に、私とリズは顔を見合わせて、思わず微笑んだ。
そしてマリーに目をやると──
「マリー!?」
「……っ。オリバーの言葉を聞いたら……嬉しくて……よかったぁ……!」
マリーは泣いていた。
でも、その涙は悲しみではなく、長い間押し込めていた想いが、ようやくほどけた時の涙だった。
「マリー……!」
そう名前を呼びながら、オリバーさんがそっと手を伸ばす。
けれどマリーは、その手をすり抜けて、まっすぐ私に飛び込んできた。
「ティアナ、リズさん……!
あなたたちのおかげよ。本当に……ありがとう!」
涙をぽろぽろとこぼしながら、マリーは私に強く抱きついてきた。
私は「よかったね」と返し、ぎゅっと抱きしめ返す。
その向こうで、オリバーさんが静かに、でも穏やかに微笑んでいた。
それは、さっきまでのどこか張りつめた顔とは違う──
心からの優しい笑顔で私たちを見つめていた。
次回、48.ナポリタンを食べてもらおう




