44.マリーの過去
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「まさかお貴族様だったなんて思ってなかったから、ちょっと聞きづらいんだけど……質問してもいいかしら?」
「うん、なに?」
「このルセルにはお貴族様ってあまりいないけど、何度か見かけたことのある貴族の方々は……平民に命令するのが当たり前で、横暴で、恐ろしい存在だったの。 でも、あなた達は全然違う。 あなた達の主であるジルティアーナ様も、やっぱりあなた達みたいな方なの?」
──うん。……ていうか、本人だし。
とはさすがに言えずに返答に困っていると、リズが代わりに応えてくれた。
「ジルティアーナ様は、たとえ相手が平民であっても、理不尽な対応を決してお許しになりません。 仮に私が平民に対して横柄な態度を取ったら、真っ先に叱られるのは私の方です」
マリーはそんなリズの言葉を、まぶしそうに見つめながら胸に手を当て、うつむいて語り始めた──。
「オリバーはね、今は私のためにこの宿で働いてくれてるけど……本当は、こんな場所で働く人じゃないの。 数年前までは、王都のお貴族様に仕える専属料理人だったのよ。 でもある日、私の父が──この宿の元主人だった父が……貴族に殺されたの」
思わぬ言葉に息を飲み、言葉を失った。
マリーの話によると……
ある日、買い出しに出た彼女の父は、街中を猛スピードで走る貴族の馬車から、轢かれそうになった子どもを庇って大怪我を負った。 けれど、馬車に乗っていた貴族は怪我人を気にかけるどころか、泣き出した子どもに暴言を吐いたという。 その態度に苦言を呈したマリーの父は──進路妨害と口答えの罪で、その場で殺されてしまった。
──そんな、酷すぎる。
私は拳を握りしめた。 市場でマイカちゃんと出会った時の果物屋のおばさんとの会話や、その後リズと話した内容が脳裏をよぎる。 改めて、自分のいた世界とは常識がまるで違うのだと思い知らされた。
「宿の主人だった父を失って……当時まだ仕事を覚えたばかりだった弟夫婦と、夫を亡くしたショックで体を壊した母では、この宿を続けていくことができなかった。 そんな状況を知って……オリバーが言ってくれたの。
『マリーの実家に帰ろう。これからはお義父さんの宿を、僕たちで守っていこう』
って。その言葉に……私は甘えてしまったの」
そう語るマリーは、微笑んでいるのに、どこか泣きそうに見えた。
「専属料理人になれるのは、実力だけじゃなくて、縁や運がなければ難しいの。 普通は親も専属料理人じゃないと、なかなかなれないわ」
思わずリズの方を見ると、彼女は静かに頷いて肯定した。 ──そうだったんだ。 実力があるかはともかく、ヴィリスアーズ家の料理人も、ジルティアーナの記憶によれば義母イザベラが嫁いできた際に一緒に連れてきた人だった。
……うん。コネって言われた方が納得いくかも。
「それでもオリバーは、親の助けなしに人一倍努力して、やっと夢だった専属料理人になれたの。 平民には滅多に扱えないような高級な肉や魚を使った料理に携われて……お貴族様相手の仕事は大変だったけど、それでもとても楽しそうだった。 私が一番、彼の喜びを知ってたのに── その夢を、私が潰してしまったの」
「でも、それって……マリーは悪くないよ! それに、弟さんたちに宿を任せられるようになったなら……」
“再就職すればいいのでは?” という言葉を言いかけたところで、マリーが首を横に振った。
「弟は今や立派な【料理人】よ。多少大変になるとは思うけど、数年前から弟夫婦だけでも宿を回せるようになってた。 だから、オリバーも本当は……少ないけれど募集のある専属料理人の職に、挑戦できたはずなの。 でも彼は、どんな好条件の募集にも、興味を示す素振りさえ見せなかった。 きっとそれは──私のせい。 父の件があってから、私は……お貴族様が怖くなってしまったの。 オリバーはもちろん、マイカやルークが……父や、父が助けた子どもみたいな目に遭ったらどうしようって、ずっと……」
家族がまた理不尽な目に遭うかもしれない──。 その恐怖からか、マリーの手がテーブルの上で震えていた。 私は思わず、その手をそっと握った。
マリーはその手をじっと見つめ、震えが収まると、まっすぐ私を見て言った。
「でもね、あなた達に出会って…… あなた達のような人が信じ、仕えているお貴族様なら、きっと横暴な人じゃない。そう思えたの。 世の中、恐いお貴族様ばかりじゃないのかもしれないって。 まさか……あなた達自身が貴族だったなんて思わなかったけどね」
そう言って、マリーは私の手を今度は両手で包み、優しく微笑んだ。
「ありがとう。 あなた達に出会えたおかげで、ようやく…… 次に専属料理人の募集があった時には、オリバーの背中を押してあげられそうだわ」
次回、45.リズの提案




