348.朝食に想いを込めて
シルヴィア様は、少しだけ顎に手を添え、静かに考え込むような仕草をされた。
それは熟考というより、今まで当たり前だと思ってきた価値観を、丁寧に裏返して見つめ直すような動作だった。
「なるほど……料理は、料理人が厨房で作るもの。
今まで自分が食べている食事が、どのように作られているのか――
正直に言えば、私は深く考えたことがありませんでした」
小さな声だったが、曖昧さはない。
むしろ、その静けさの中には、きっぱりとした自覚が滲んでいた。
黄金の瞳が、ふとこちらを向く。先ほどまでの柔らかな微笑を帯びた眼差しとは違い、話の奥にあるものを見極めようとするように、澄んでいた。
「ティアナ様たちは、美味しい料理を提供するだけでなく、それを食べる側の好みや、その時の体調、置かれている状況までを考えて、料理を作られているのですね」
その言葉に、私は思わず小さく微笑んでいた。
――そこに気づいてくださる方は、実はそれほど多くない。
「ええ。特に、オーベルジュでお出しする朝食は、そうだと思っています」
私はそう前置きしてから、ゆっくりと言葉を選んだ。
「その日の体調は、前日の疲れや移動距離、眠りの質によって大きく変わります。
同じ朝でも、空腹は感じていても重たいものが辛い日もありますし……逆に、しっかり食べて力をつけたい朝もありますから」
言葉を重ねながら、私は宿泊客たちの顔を思い浮かべていた。
長旅で疲れ切った人。
緊張を抱えたまま眠りについた人。
あるいは、ようやく心を休められる場所に辿り着いた人。
シルヴィア様は「ふむ」と小さく頷き、少しだけ視線を落とされた。
「確かに……私も、移動の翌朝は、香りの強い料理が少し苦手になることがあります。
空腹ではあるのですが、胃が受け付けない、と言いますか……」
「はい」
思わず、即座に頷いてしまった。
そこへ、向かい側からエステルさんが柔らかな声を重ねる。
「考えられたものだからこそ、あの朝食は、とても美味しく感じられたのですね」
静かな微笑を浮かべながら、彼女は続けた。
「満足感はしっかりありましたのに、身体に負担が残らなかった。
“食べさせられた”という感覚ではなく……
“労わられた”と感じられる食事でした」
「ああ、そうだな」
今度はヴェルドさんが、短く、しかし深く頷いた。
「豪華さを誇示する料理なら、王都にはいくらでもある。
だが、ああいう配慮は……簡単そうに見えて、実際にはなかなか出来るものじゃない」
それらの言葉を聞きながら、テリルさんが何度も相槌を打ち、勢いよく私を見る。
「さすがはティアナ様っすね!」
私は、思わず肩をすくめるように、小さく息を吐いた。
「大げさですよ。
特別なことは、何もしていません」
そう前置きしてから、静かに言葉を続ける。
「このオーベルジュには、本当にいろいろな方が宿泊されますから」
クリスディアが観光の街となり、街の外からも多くの人がこの地を訪れるようになった。
老若男女はもちろんのこと、嬉しいことに、人間族以外の宿泊客も増えている。
「“自分だったら、どう感じるか”を、ほんの少し考えただけですよ。
特に卵料理は、調理方法を少し変えるだけで、口当たりも香りも、ずいぶん変わりますから」
「いや、それが出来ない人が多いんすよ」
テリルさんが、被せるように言った。
「料理が上手い人ほど、“これが正解”って決めつけがちで……。
でも、あの朝食は違ってました。
ちゃんと、“あたし”を見てくれてたっす」
その言葉に、ヴェルドさんが静かに頷く。
「……本当に、その通りだな」
エステルさんも、納得したように息を吐いた。
「とても嬉しかったです。料理そのものだけでなく……
“自分たちを迎え入れてもらえた”と、はっきり感じられましたから」
その一言に、胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。
「そう感じていただけたなら……本当に、嬉しいです」
それは、計算でも、戦略でもない。
誰かに評価されるためのものでもなかった。
ただ、この街に来てくださった人に――良い朝を迎えてほしい。
そして、その日一日を、少しでも穏やかに、気持ちよく過ごしてほしい。それだけを願っていたのだ。
シルヴィア様は、穏やかな笑みを浮かべ、はっきりと頷かれた。
「とても、素敵なお考えだと思います。
ティアナ様が、この街をどれほど大切にされているか……よく、伝わってきました」
その言葉に、エステルさんも、ヴェルドさんも、テリルさんも、
それぞれのやり方で、静かに同意を示してくれる。
――ああ。
こうして想いが、言葉を越えて伝わる瞬間は、やはり悪くない。
私はそう思いながら、そっとカップに手を伸ばした。




