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スキルをよみ解く転生者〜文字化けスキルは日本語でした〜  作者: よつ葉あき
聖霊の住む森

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346.確かにあるもの


 朝食の話がひと段落し、私はそっと背筋を伸ばしてシルヴィア様に向き直った。

 先ほどまで和やかに流れていた空気が、静かに切り替わっていくのを感じる。


「シルヴィア様、例の“香り”の件なのですが……」


 その一言で、場の空気がわずかに引き締まった。

 自然と、皆の視線がこちらへ集まる。


 シルヴィア様も、ゆっくりと表情を改めて私を見た。


「現在、いくつか心当たりを辿ってはおりますが……」


 言葉を選び、慎重に続ける。


「特定には、もう少し時間がかかりそうです」


 一瞬、沈黙が落ちた。


 けれどその沈黙には、苛立ちも焦りもなかった。

 シルヴィア様は、ほんのわずかに肩の力を抜くように息を吐き、穏やかに微笑む。


「時間はいくらかかってもかまいません」


 その声音は静かで、揺るぎがない。


「調べてくださるだけでも、十分すぎるほどです。本当に、ありがとうございます」


 深く頭を下げられ、私は思わず目を瞬いた。


「い、いえ……まだ何もできておりません」


「それでも、です」


 シルヴィア様は顔を上げ、まっすぐに私を見る。


「見過ごさず、向き合ってくださっている。それだけで、心が軽くなりました」


 その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 この人は、どれほどの否定を受けても、それを声高に訴えることなく、静かに飲み込んできたのだろう。


「シルヴィア様、良かったっすね!」


 場の空気を和らげるように、テリルさんが明るく声を上げる。

 シルヴィア様も、少しだけ照れたように笑みを返した。


「……無理だけはなさらないでくださいね」


 エステルさんが、そっと補うように言う。

 その声には、気遣いと同時に、どこか諦めに似た響きが混じっていた。


「以前お話ししたように、王都をはじめとしたいくつかの商会に持ち込んだのですが……」


 そこまで言って、エステルさんは言葉を濁す。


 沈黙が、続きを察させた。


「王都の商会は王族の御用達だから、調べはしてくれたが……」


 苛立ちを抑えきれない様子で、ヴェルドさんが後を引き継ぐ。


「他の商会は、話を聞く前からだ。

 俺たちが獣人だと分かった途端、顔色が変わる」


 視線を逸らされ、距離を取られ、香水瓶には触れられない。

 まるで、最初から“触れてはいけないもの”であるかのように。


「『香らないものは扱えない』

 『正体が分からない以上、責任が持てない』

 ……そう言われて、門前払いだ」


 私は、無意識のうちに指先を握りしめていた。


 香りは、誰かを害するものではない。

 刺激もなく、毒性もなく、ただ――感じ取れる者が限られている、それだけだ。


「調べもしない……?」


 ミランダお姉様の、固く低い声が落ちる。


「危険かどうかではなく、『分からない』という理由だけで、ですか?」


 私も思わず聞き返し、お姉様と顔を見合わせた。

 そんな私たちを見て、ヴェルドさんは苦笑とも諦観ともつかない表情を浮かべる。


「分からない、じゃない。

 『俺たちが言うことだから信用しない』、だ。

 最初から、まともに話を聞く気もないんだよ」


 その一言が、重く胸に沈んだ。


 エステルさんが、静かに続ける。


「香りは、強くありません。

 甘さも刺激もなく、ただ……懐かしさを伴うものです」


 何度も説明してきたのだろう。

 その口調には、疲れが滲んでいた。


「誰かを不快にさせることもありません。

 けれど、獣人にしか感じられない――それだけで……」


 エステルさんは、悔しさを堪えるように瞳を落とす。

 そんな彼女を慰めるように、シルヴィア様はそっとその肩に手を置いた。


「“存在しないもの”にされてしまうのです」


 言葉を継いだシルヴィア様の声は、穏やかだった。


「獣人の感覚は曖昧だ、思い込みではないか……

 そう言われることには、慣れています」


 一拍置いて、静かに続ける。


「けれど……だからと言って、傷つかなくなるわけではありません」


 そして、シルヴィア様ははっきりと告げた。


「香りが危険なのではありません」


 それは弁明でも、反論でもなかった。

 事実を、そのまま差し出すような声音だった。


「“分からない感覚を持つ者”、

 人間族とは異なる感覚を持つこと自体が、

 危険視されているのです」


 場の空気が、ぴんと張りつめる。


 シルヴィア様は、ゆっくりと私を見た。

 その黄金色の瞳には、長い年月をかけて積み重ねてきた思いが、静かに宿っている。


「だから……この香りは、“なかったこと”にされてきました」


 私は、小瓶を思い浮かべる。

 私を含め、人間には感じることのできない香り。

 それでも確かに、ここに存在しているんだ。


 私たちに感じ取れないからといって、存在しないわけではない。

 感じ取れないからといって、価値がないわけでもないのだ。




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