341.マジックバッグではじめる養豚ライフ
「……ようとん?」
きょとんと声をあげたのはネージュだけではなかった。
ほかのみんなも首を傾げたり、「聞いたことがない」と言いたげに眉をひそめている。
まあ、それも当然だ。
この世界には“家畜を飼う”という発想がほとんどなく、前世の日本で当たり前だった概念が、この世界ではすっぽり抜け落ちている。
「簡単に言うと、この子たちを……マジックバッグの中で飼うってことよ」
「ええ~~っ!! この子たちも食べないの!?」
ネージュが、世界の終わりのような声で叫ぶ。
私が説明する前に、リズが一歩前へ進み、丁寧に問いかけた。
「ティアナ様は以前にも、オークを“飼う”とおっしゃっていましたよね。
ですが今回は“ようとん”と……。
養豚とは、ただ飼うのとは違うのですか?」
興味深そうに首を傾げるリズに、私は頷く。
「“養豚”っていうのはね……簡単に言うと、“食べる前提で育てること”よ」
その瞬間、ネージュの瞳がギラッと光った。
「最高じゃん!!」
そしてまた口元がゆるみ、涎が垂れそうになる。
エレーネさんが、慣れた手つきで無言のままハンカチを差し出していた。
リズはさらに確認する。
「では……食べる目的ではありますが、すぐに食用にするわけではない、ということですね?」
「ええ、その通りよ。
マジックバッグの中は安全で管理しやすいし、空間が閉じてるから逃げられない。
そこで“オーク牧場”を作るつもりなの」
「オーク牧場……」
ステラがぽかんと口を開け、エレーネさんと視線を交わした。
──ちなみに、この予備のマジックバッグには時間停止効果はない。
だから中に入れたオークは普通に成長する。
そんな中、ぷぎーが誇らしげに胸を張って前へ飛び出した。
『あるじー!
ぷぎーたちは従魔として、弟分たちの管理、全部任せてくだせぇ!!
ご飯の配分からケンカの仲裁、姐さん対策まで!!』
「最後の“姐さん対策”って何!? 本気で怖いんだけど!!」
するとレーヴェが、真剣な顔でゆっくり頷いた。
「……確かに、外部の脅威が減れば、最優先すべきはネージュ様の暴走防止でしょうね」
「なんでよー!!?」
ネージュが抗議するが、誰一人否定しなかった。
気を取り直したネージュが、元気いっぱいに手を挙げる。
「じゃあさっそく、オークたちを放牧しに──」
「しないわよ!?
ここは、庭よ!? 空飛ぶ魔獣を放牧したら、町が大惨事になるから!!」
私は深呼吸し、全員へ向き直る。
「とにかく!
これからはマジックバッグの中で、人もオークも安全に、平和に育てていきます!」
するとネージュが、しれっと手を挙げた。
「分かったけどぉ……お肉はいつ食べれるの?」
「……ネージュ」
「なぁに?」
私はネージュの手をぎゅっと握りしめた。
「焦っちゃだめよ。
栄養たっぷりのごはんを与えて、ストレスなく育てるの。
そうすれば──」
「……そうすれば?」
「オークのお肉は、今食べるよりもっと美味しくなるわ」
一瞬、ネージュの肩が震え、瞳が潤んだ。
「……っ!! それ、最高……っ!」
「それに、こんなにたくさん連れてきてくれたんだもの。
週に一匹くらいなら問題ないと思うわ」
「わかった! 週一で我慢するよ、ティアナ!」
ネージュが誇らしげに胸を張る。
どうにか説得は成功したようだ。
……が、背後から小声がした。
「……なんか、“もっと食べたい”って言ってたネージュ様より、ティアナ様のほうが残酷……」
「しっ! 静かに!!」
聞こえなかったことにした。
◆◇◆
──それから。
結果だけ言えば、養豚計画は大成功だった。
もっとも育てているのは豚ではなくオークなのだけれど。
この世界の人々にはそもそも“豚”という概念がない。
だから──“養豚? 豚じゃなくてオークだよね”なんて気にするのは私だけなので、オークを育てることを“養豚”と呼ぶことにしたのだ。
そして自然な流れで、
オーク肉の味噌汁は “豚汁” と呼ばれるようになった。
……そして何より、養豚のオーク肉はとんでもなく美味しかった。
野生のオークより、私たちが育てたオークのほうが獣臭さは軽減されているし、手元で飼育しているので、食べたいときに絞めて常に“新鮮で最高の状態”の肉を食べられるようになったのだ。
この世界のどんな高級肉よりも、うちの“養豚オーク”のほうが美味しい──
そんなふうに言われる日が、もしかしたら来るかもしれない。




