339.美味しすぎるお肉の代償
オリバーさんが見事な手つきで解体を終えると、庭にふわりと広がっていた生肉の匂いが、次第に香ばしい“食欲をそそる匂い”へと変わっていった。
焼き台の上でオーク肉がじゅうじゅうと音を立て、脂が火に落ちるたび、ぱちぱちと小さく弾ける。煙まで美味しそうで、思わず深呼吸したくなるほどだ。
「いい香り……!」
エレーネさんが胸の前で手を組み、陶然とした表情を浮かべる。
そのすぐ横では、ネージュが抑えきれない高揚を全身で表現するかのように、ぴょんぴょん跳ねていた。
「ティアナっ! はやく食べよ!! もうがまんできないっ!」
「はいはい、焦らないの」
「ネージュ様、涎が垂れてます」
リズがすばやくハンカチを口元に当てるが、ネージュはそんなことより肉だ。
視線はオーク肉に釘付けで、魂まで吸われているようだった。
オリバーさんが次々と肉を並べ、焼ける音がさらに勢いを増す。
その場にいる全員の胃袋が反応するほどの、圧倒的破壊力の匂いだ。
外の即席テーブルを全員で囲み、席につく。
座っただけで、期待で喉やお腹が鳴りそうになった。
そして──
「いただきます!」
声をそろえた瞬間、ネージュは誰より早く肉にかぶりついた。
「んん~~~~~~っ!!
これだぁぁぁ!! これだよティアナ!!
オークのお肉最高ぉぉぉっ!!」
幸福のあまり、両手でテーブルをばんばん叩く。
彼女の喜び方が大げさなのはいつものことだけれど、今日はいつも以上だ。
エレーネさんはおそるおそる肉を口に運び──そして目を見開いた。
「……っ! お、おいしい……!
こんなにジューシーで、旨味がふわって……!」
リズも一口かじり、ふっと頬をゆるめた。
レーヴェに至っては無表情のままだが、食べる速度がいつもの倍。
その変化だけで、彼の「絶賛」が伝わる。
ステラはそっと一口、そして皿を固く握りしめた。
「……っ!? や、やわらかい……!
この厚みで、どうしてこんなに……」
「でしょう!?」
「はいっ! 噛んだ瞬間、口の中でほどけました……!」
私は思わず胸を張った。
自分が作ったわけではないけれど、誇りたくなるほど美味しかった。
みんなが頬をほころばせ、あっという間に“宴”の空気が広がっていく。
──ただし。
その少し離れた場所には、宴の輪に加われない者たちがいた。
縄を解かれて木陰に縮こまる三匹のオークたち。
ぷぎーは私の背中に隠れながら、そわそわと彼らを見つめている。
「ぶ、ぶも……(めっちゃ美味しそうに食べられてる……)」
「ぷぎぃ……(俺たちも食べられる流れじゃ……)」
ぷぎーの翻訳を聞くと、その鳴き声に込められた恐怖がよく分かる。
目は怯えと複雑な感情で揺れ、木陰から一歩も動けない様子だった。
そんな雰囲気をまるで気にしないのが、我らがネージュだ。
皿をぺろりと平らげると、身を乗り出して叫んだ。
「おいしかったぁ~! ねぇティアナ!!
やっぱ一匹じゃ足りなくない!?」
「…………」
庭の端から、ほとんど悲鳴のような鳴き声が上がる。
「「「ぶひぃぃぃ!!!」」」
三匹が跳ね上がり、必死に身を寄せ合った。
あからさまに“震える団子”になっている。
ネージュは空になった皿を胸に抱いて、名残惜しそうに唇を尖らせる。
「だってぇ……美味しすぎて止まらないんだもん!
もう一匹くらい食べても──」
「ネージュ様!!」
「それ以上言ったら本気でダメです!!」
「オークたち、泣いちゃうよ!?」
リズ・ステラ・私で一斉に止めに入るが、遅かった。
三匹のオークは涙目で震えながら、地面にぺたりと頭をつけた。
その姿は、どう見ても土下座。
「ぶ、ぶぎぃ……(命だけは……)」
「ぶもぉぉ……(まだ生きたい……)」
ぷぎーも飛び出し、鼻息をふんふん荒くして叫ぶ。
『あるじー!! どうかアイツらを食べないでくだせぇぇ!
その分は、ぷぎーが! ぷぎーがんばって働きますからぁぁ!!』
仲間の命がかかっているのに、妙にのんびりした口調で、私は思わずずっこけそうになる。
ネージュは頬をぷくっと膨らませたまま、まだ諦めていない。
「えー! こんなに美味しいんだよ~!?
ティアナだって、本当はもっと食べたいでしょ?」
「……まあ、確かに」
ぽろっと本音が漏れ、ぷぎーが「プギィッ!?」と飛び上がった。
「ご、ごめん……つい。
でもネージュ、今日はここまで。これは決定」
「えぇぇ~~~~っ!!」
ネージュの抗議が庭に響く。
その声に、オークたちは処刑宣告でも受けたように震えた。
「ぶ、ぶもぉ……(終わった……)」
「ぶぎぃぃ……(未来が消えた……)」
「ぷぎゅぅ……(働くから……生かして……)」
重たい悲観の鳴き声が並ぶ中──
ぷぎーが、なぜか急に胸を張った。
『わかりましたぁ!!
では、こうしましょうあるじー!
どうか、新しくオークをつかまえに行かせてくだせえ!!』
「…………は?」
あまりの提案に、私は素で声を失った。




