329.おにぎりと豚汁の秘密
「はぁ〜! おにぎりも豚汁も最高っす!」
空になったお椀をテーブルに置いたテリルさんは、ソファにもたれ掛かり、満足げにお腹をぽんぽん。
その姿から、本当に食事を楽しんでくれたことが伝わってきた。
「こら、テリル! お行儀が悪いですよっ!」
エステルさんが、ちらりと私の方を気にしながら注意する。
「ひぃっ……!」
肩をびくんっと震わせたテリルさんに、ミランダお姉様がくすくす笑って言った。
「いいのよ、テリル。そのままで」
「え、いいんすか!? よかった〜!」
ホッとしたテリルさんが笑顔を取り戻すと、対照的にエステルさんは眉をひそめる。
そんな二人に、お姉様はやわらかな声で続けた。
「大丈夫ですよ。ティアナは普段から平民の方々と一緒に働いていますから、堅苦しい作法なんて気にしなくていいんです。皆さんも、どうぞ気楽に」
私はうなずきながらにっこり微笑む。
「どうぞ、くつろいでくださいね」
「……そういうことなら、お言葉に甘えましょう」
シルヴィア様が上品に笑うと、エステルさんは「姫様たちがそう仰るなら……」と小さく肩を落とした。
「でも、本当に美味しかったです! 城の晩餐よりも!」
ヴァルドさんが感激して両手を広げる。
その言葉に、フレイヤ様とテリルさんが勢いよく頷いた。
「ですよね!? しかもこれ、“平民向けのお店で売ってる”んですよ!」
「うんうんっ! 一番高くても六百ペル、安いのは三百ペルっす!」
その瞬間、空気がぴたりと止まった。
「三百ペル!?」「は、はぁぁぁっ!?」
一斉に上がる驚きの声。
ヴァルドさんは両手で口を押さえてのけぞり、エステルさんは「信じられません……!」と呟く。
シルヴィア様も静かに目を見開いて驚いていた。
「そんな値段で、あんなに美味しいものが!? くそっ、王都にあったら毎日通うのに!」
「王都では絶対に無理ですわね」と、シルヴィア様が苦笑する。
「材料費だけでも大変でしょう?」
エステルさんが感心したように尋ねると、ミランダお姉様がやさしく微笑んだ。
「ええ。でも、これはティアナの工夫の賜物なんです。
材料は専属の方々が作ってくださっているので、安くできるんですよ」
「おにぎりの主な材料は、“米”という穀物です」
私はお姉様の言葉に続けた。
「皆さん、食べるのは初めてですよね?」
「“米”……そんな食べ物、初めて聞きました」
ヴァルドさんが目を丸くし、エステルさんはおにぎりをそっと持ち上げて見つめた。
「食べたことのないものを口にするのは、きっと勇気がいりますよね。
だからまずは、平民でも手に取れる値段で“米”を味わってもらって……
その美味しさを知ってもらいたかったんです」
テリルさんが満面の笑みで頷く。
「いや〜、ティアナ様、マジで神っす!」
「か、神!? そんな大袈裟な……っ!」
皆が笑いに包まれ、食卓の空気は一層やわらかくなった。
そんな中、シルヴィア様が「なるほど」と小さく呟いた。
視線を向けると、彼女は豚汁のお椀を両手で持ち、にっこりと微笑んでいた。
「“その美味しさを知ってもらいたかった”……この豚汁の“お肉”も、その一環なんですね?」
「ええ、その通りです」
私も真っ直ぐに見返し、笑顔を返した。
するとヴァルドさんが、肉そぼろおにぎりを頬張りながら尋ねてくる。
「このおにぎりに入った肉もすっごく美味いですね! これって、豚汁と同じ肉なんですか?」
「ええ、そうですよ」
すると、皆さんの表情に同じ疑問が浮かんだ。
「……豚汁の“とん”って、もしかしてこの肉の名前?」
「“とん”? 何のお肉なんでしょうか?」
私はお姉様と顔を見合わせる。
ふふっと笑い合った瞬間、皆の視線が一斉にこちらへ集まった。
「……これは、厳密には“豚汁”ではないんです。本来は“豚”という動物の肉を使ったものなのですが、この国には居ないので──オークの肉を使いました」
──ガチャンッ!
金属が落ちる音が響く。
湯気だけがふわりと上がり、場が一瞬で静まり返った。
見ると、鍋の中にお玉を落としたネロくんがいた。
目をまん丸にして、わなわなと震えている。
「お、オーク!? 俺たち今まで……オークの肉、食ってたんですか!?」
「……え、ええ」
ネロくんは口をあんぐりと開けたまま固まり、
ゆっくりと頭を抱えた。
……え? オークの肉って、そんなに駄目なの?
沈黙。
湯気の向こうで、誰かの喉が小さく鳴る音がした。
そのとき──
「私……オークのお肉なんて、久しぶりに食べましたっ!」
フレイア様が勢いよく声を上げた。
「はいっ! 私もですが……前に食べたのよりも、断然うまいっす!」
テリルさんが元気に同調する。
二人が目をきらきらさせて盛り上がる中、シルヴィア様が微笑んだ。
「私は何度も食べたことがあります。
でも、調理方法が全く違うようですね。オーク肉はお父様──国王陛下の誕生祭で、丸焼きが毎回出されるのですよ」




