327.湯気の向こうで
豚汁は皆さんに大好評で、一番にテリルさんが「おかわりっ!」とお椀を掲げた。
咎めようとするエステルさんに、ネロくんが「まだたくさんありますので」と笑って答えると、
ヴェルドさんとフレイヤ様も「では私も」「もう少しだけ」と次々におかわりをした。
皆さんのお椀に味噌汁をよそいながら、ネロくんがぽつりと言う。
「前から、ちょっとおかしいと思ってたんですよね」
「えっ」
何が? とぎくりとしながら、私はネロくんの顔をのぞき込む。
「ティアナさん。貴族でジルティアーナ様の側近とはいえど、ただの下級貴族のはずですよね?
なのに“おにぎり屋で精肉を使おう!”なんて、普通言い出さないと思うんですよ」
「……」
なんて返していいのか分からず、私は黙り込んだ。
するとネロくんは、ぶはっと吹き出して笑う。
「“もう食べない。廃棄する肉だ”って言うけど、実際は細かくなってるだけで上等すぎる──って、ダンおじさんが言ってましたよ」
「うん、言ってたわね」
私は苦笑しながら頷いた。
「そのあとミーナが“ジルティアーナ様が店で使ってって言ってくれたんだから、ありがたく使おうよ!”って言ってくれたの。
あの時は本当にほっとしたわ」
「ミーナおばさん、すっかりジルティアーナ様のファンになりましたからねぇ。
屋敷で働いてた時から、よく“あの方は本当に優しい”ってベタ褒めでしたもん。……会ったこともないはずなのに」
そう言って、ネロくんは私の方を見てにやりと笑った。
(……私がジルティアーナ本人だと知って、わざと揶揄ってるな。いい度胸じゃない)
そう思いつつも、胸の奥では小さく安堵した。
身分のことを知って距離を置かれるのでは──と心配していたけれど、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。
「ミーナも、私がジルティアーナだなんて知らないよ」
私の言葉に、ネロくんが目を丸くした。
「え……改めて俺、とんでもないこと知っちゃった? 忘却の魔術具、お借りするしかない?」
「大丈夫よ」
急に別の声が聞こえ、反射的に振り返る。
そこには腕を組んだミランダお姉様が立っていた。
「お姉様っ! 音もなく現れないでくださいよ。びっくりするじゃないですか!」
「私もおかわりを頂こうと思って」
ぐいっと差し出されたお椀。
けれどお姉様の視線は、私ではなくネロくんに向けられていた。
「この街でティアナの本当の身分を知っているのは、ジルティアーナと私の側近たちだけよ。
オリバーたちはもちろん、屋敷の貴族の使用人たちでさえ知らないの」
ネロくんは、ピシッと背筋を伸ばした。
「やっぱり、俺……知らなくていいことを聞いちゃいましたよね?」
「そうね」
お姉様はピシャリと言いながらも、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ただ──」
お椀を受け取り、香りを確かめるように湯気を見つめながら続ける。
「知られてたのが、あなたで良かったわ」
ネロくんはお姉様を見て、それから私に視線を移す。
私も笑顔で頷いた。
「……っ、はい! 絶対に、墓まで持っていきます!」
ネロくんは真剣な表情で宣言した。
「そんなに構えなくていいのよ」
お姉様は軽く笑って肩をすくめた。
「あなたのことは、私もティアナも信頼してるわ。だからこうして、側に置いているのでしょう?」
「はいっ!」
私がうなずくと、ネロくんはようやく安堵の息をついた。
「でも、ティアナさん──いえ、ジルティアーナ様って、やっぱりちょっと変わってますよね」
「変わってるって……どういう意味よ」
私が眉をひそめると、ネロくんはおかしそうに笑った。
「だって、領主様なのに平民の中に混ざって、真剣におにぎり握ってるんですから」
その言葉に、お姉様がくすりと笑う。
「ふふ、確かにね。私もこの子と関わるようになってから、驚きの連続よ」
「……お姉様?」
「驚くことは多いけれど、あなたの発想は貴族にも平民にもないものだもの」
「それ、褒めてます?」
「もちろんよ?」
悪びれもなく微笑むお姉様に、私は思わずため息をついた。
ネロくんは笑いながらも、ふと真面目な表情になる。
「でも、俺はそんなティアナさんが好きですし、感謝しています。ティアナさんには俺の人生を変えてもらった──いえ、俺たち家族にとって、ジルティアーナ様は女神様のような存在なんです」
「それは……」
あまりの讃えられように、今度はこちらが驚いてしまった。
そんな私ににこりと笑みを向けて、ネロくんは続ける。
「父さんとよく話してたんです。ティアナさんやミランダ様、リズ様はもちろんですが……平民の俺たちがこうして幸せでいられるのは、領主であるジルティアーナ様のおかげだ。
直接お目にかかることはないだろうけど、いつも感謝していよう──って」




