325.結びの味
部屋の空気がようやく落ち着きを取り戻したころ、テリルさんが持ってきたおにぎりを机の上に並べた。
「も~、ちゃんと姫様の分も買ってきたっすよ!
たくさんあるんで、みんなで食べましょう!」
彼女の明るい声に、自然と場の空気がやわらぐ。
「……テリルは相変わらずね」
お姉様が呆れたように微笑みながらも、すでに一つ手に取っているのが、なんだか可笑しい。
テリルさんは胸を張って言う。
「これは本日の日替わり、“炙りハラス”っす!
外は香ばしくて、中はふっくら……。ほら、見てくださいよ、このツヤ!」
「まぁ……本当にいい香り」
シルヴィア様が思わず身を乗り出す。
さっきまでのしょんぼりした表情は、もうどこにもなかった。
「おにぎりの香りって、いいですよね」
フレイヤ様がそう言って、静かに頬を緩める。
「そうっすよね! あたし、はじめて食べましたけど大好きになったっす!」
「おにぎり、美味しいですよね!?」
テンションの上がるテリルさんに、思わずフレイヤ様も笑ってうなずく。
うんうん。おにぎりファンが増えるのはいいことだ。
「シルヴィア様は、どの味がよろしいですか?」
「どうしましょう? どれも美味しそうで……迷ってしまいますね」
包みの中には、炙りハラスのほかにも、梅おかかや昆布、肉そぼろなど、
色とりどりのおにぎりが並んでいた。
一つひとつが丁寧に握られていて、見ているだけでお腹が鳴りそうになる。
「わたくしは……この“梅おかか”というものにしてみるわ」
シルヴィア様が控えめに手を伸ばす。
それは、梅とおかかをごはんに混ぜ込んだもの。
梅干しの赤、おかかの茶、大葉の緑が美しく、
まるで小さな宝石のように色鮮やかだった。
「ピンク色で可愛いですね」
シルヴィア様が柔らかく微笑むと、テリルさんが得意げにうなずく。
「見た目も味も最高っす! あたし的には、炙りハラスが一番おすすめっすけどね!」
「……テリル、それは何個目なんだ?」
ヴェルドさんが苦笑しながら、テリルさんの手元を指さす。
テリルさんは口をもぐもぐさせたまま、気まずそうに笑った。
「えへへ……だって、止まらないんすもん」
みんなが呆れたように見つめる中、
フレイヤ様だけが「うんうん、そうですよね!」と力強く同意した。
「……では、いただきます」
シルヴィア様は、そっとおにぎりを口に運ぶ。
小さく噛んだ瞬間、ふわりとやさしい香りが立ちのぼった。
「……おいしい」
その一言が、静かな部屋にやわらかく響いた。
「梅の酸味と……おかかの香ばしさが、とてもやさしい味ですね」
シルヴィア様の頬が、ほんのり紅を差したように見える。
「ねっ!? おにぎり、美味しいっすよね!」
テリルさんが満面の笑みで力説する。
それを見ていたエステルさんとヴェルドさんも、
それぞれおにぎりを一つ手に取り、口へ運んだ。
エステルさんは肉そぼろのおにぎり。
ヴェルドさんは炙りハラスのおにぎりを手にしていた。
エステルさんは一口かじると、すぐに目を丸くする。
「……んっ。これ、甘辛くて……おいしいです」
その反応に、テリルさんがぱっと顔を輝かせた。
「でしょ!? その肉そぼろも、おにぎり屋さんで作ってるらしいんすよ!」
「なるほど、味がやさしいのに、しっかりしてるな」
ヴェルドさんも感心したように頷き、噛みしめるたびにうれしそうな顔をする。
──そうでしょ、そうでしょう!
私はおにぎり屋の高評価に満足し、うなずいた。
そんな私を見て、くすりとお姉様とレーヴェが笑ったのに気づいたが、気にしない。
おにぎりを囲む一行の表情が、すっかり明るくなっていた。
ついさっきまで重かった空気が、まるで嘘のように消えていく。
香ばしい海苔の匂いと、炊き立ての米の甘み。
それは、不思議と人の心をやわらかくする。
「ふふっ……やっぱり、食べるっていいことですね」
フレイヤ様がそう呟いたとき、シルヴィア様も微笑んだ。
「ええ。本当に。なんだか心まで温まります」
その声に、皆の手が自然と止まる。
誰もが同じように、胸の奥に小さなぬくもりを感じていた。
「……このような食べ物ははじめていただきましたが、本当に美味しいですね。
フレイヤとヴィオレッタが言っていた通りです」
「そう言っていただけて嬉しいです! おにぎり屋ももちろんですが、
クリスディアには美味しいものがたくさんあるのですよ」
私がそう伝えると、シルヴィア様たちが目を丸くした。
「もしかして……おにぎり屋は、ジルティアーナ様が経営されているのですか?」
「はい。ほとんど料理人たちに任せていますけど、主に商品開発には携わっています」
私がそう答えると、シルヴィア様の瞳がぱっと輝いた。
「まあ……なんて素敵なお話でしょう。こんなに優しい味、きっと作る方々の心がこもっているのですね」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
テリルさんが鼻をかきながら、少し照れたように笑った。
「へへっ、あたしもそう思うっす! あの店の人たち、みんな優しかったんですよ~。
わたしが獣人族だって気づいても、ぜんぜん態度を変えなかったっす!」
「そう……素晴らしいお店ですね」
シルヴィア様はやさしく微笑み、テリルさんの言葉を噛みしめるようにうなずいた。
「このおにぎりの味も、その優しさの一部なのかもしれません」
その言葉に、また静かなぬくもりが広がる。
誰もが自然と笑顔になり、さっきまでの緊張がすっかり溶けていった。




