324.再会はおにぎりの香り
「……さて」
ミランダお姉様が一拍置いて、静かに椅子へ腰を下ろした。
その動き一つで、張り詰めていた空気がゆるやかに落ち着いていく。
「シルヴィア様。ひとまず無事で何よりですわ」
「ご心配をおかけして……申し訳ございませんでした」
シルヴィア様は深く頭を下げた。
お姉様は優しい眼差しを向けたまま、静かに言葉を続ける。
「件の“香り”について、もう少し詳しくお話を伺えますか?」
顔を上げたシルヴィア様は、一瞬ためらうように目を伏せ、それから上目遣いにお姉様を見返した。
「香りのこと……引き受けてくださるのですか?」
「それは、内容をうかがってみないと何とも言えませんわ。
……王都の商会でも、解決できなかったことなのでしょう?」
その問いに、シルヴィア様は背筋を正した。
さきほどまでの困ったような笑みは消え、真剣な光がその瞳に宿る。
「はい。これは……お祖母様が遺されたものです。
古いものなので、残りも少なく、香りも本来のものとは変わってしまいました。
ですので──劣化する前の“本来の香り”を再現していただきたいのです」
その言葉に合わせて、エステルさんが小瓶をお姉様に差し出す。
ミランダお姉様はそっと手を伸ばし、蓋を開けた。
そして──
「……香らないわね」
静かな声が落ちた。
シルヴィア様の瞳が、わずかに陰る。
「そうなんです。人間には“香らない”と言われてしまいました。
──でも、私には確かに感じるのです。ほんの少しだけ……甘くて、懐かしい香りが」
その声に、胸の奥をかすめるような切なさがにじむ。
琥珀色の瞳が揺れ、過去の温もりを追いかけていた。
ミランダお姉様は黙ってうなずき、私に視線を向ける。
「ティアナ、あなたの見立ては?」
私は小瓶を受け取り、そっと手の中で傾けた。
淡い液体が、硝子越しに陽光を受けてきらめく。
けれど──香りはない。沈黙のまま、静かに揺れているだけ。
「……私とネロくんも、香りを感じ取れませんでした。けれど──」
私は目を細め、瓶の中を見つめた。
「レーヴェと、もし森の精霊様にご協力いただければ、“本来の香り”を取り戻せるかもしれません」
「──なるほどね」
お姉様は腕を組み、瓶を見つめた。
その時──
コンコンッ。
軽やかなノックの音が響く。
「どうぞ」
入室を促すと、扉が開き、噂のレーヴェが姿を現した。
そして、その後ろから──
「シルヴィア様! やはりクリスディアにいらしてたのですね!」
顔をのぞかせたのは、
「フレイヤ!?」
思わぬ再会に、シルヴィア様の目が丸くなる。
「まあ、フレイヤ! あなたもクリスディアに遊びに来たの?」
嬉しそうに尋ねるシルヴィア様に、フレイヤ様が小走りで駆け寄る。
「“遊びに来たの?”ではありません!
アルベルト様も、そしてヴィオレッタ様も、とてもご心配されていました。
ですから、私が早馬で探しに来たのです!」
「まあ、それは……申し訳ございませんでした」
お姉様にも叱られたばかりのシルヴィア様は、しゅんと肩を落として謝った。
その様子に、フレイヤ様があわてて声を和らげる。
「だ、大丈夫です! 皆様はシルヴィア様のご無事を案じていらしただけですから」
シルヴィア様はおずおずと顔を上げ、
「……ありがとう、フレイヤ」と小さく微笑んだ。
その笑みに、フレイヤ様もようやく頬をゆるめる。
「まったく……無茶をなさるんですから」
呆れたように言いながらも、その声には安堵の色がにじんでいた。
「ほら~、だから言ったじゃないですかぁ。
“黙って城を出たら騒ぎになるんじゃないっすか?”って」
そんな調子で入ってきたのは──
赤毛に獣の耳を持つ女の子だった。
……ん? あれは──おにぎり屋の……?
「なんですって、テリル! あなただって“クリスディアに行ってみたい”って賛成してくれたではないですか!?
って、あなた……何を食べてますの?」
「え、これっすか? これは噂のクリスディアの人気飯──おにぎり屋のおにぎりっす!」
テリルと呼ばれた少女はニカッと笑い、おにぎりの包みを誇らしげに掲げた。
袋には、見慣れた“おにぎり屋”の刻印。
「……ずるいっ! わたくしも楽しみにしていたのを知っていたのに、ひとりで行ったのですか!!」
思わず身を乗り出すシルヴィア様。
その慌てぶりに、場の空気がふっと和らいだ。
お姉様が小さくため息をつきながらも、口元に笑みを浮かべる。
「どうやら、話の続きをする前に……少し休憩を取った方がよさそうですわね」




