322.秘密の領主
「はじめまして、ジルティアーナ様。
わたくしは、シルヴィアと申します」
フードを取った彼女が微笑む。
その笑みは、まるで陽を受けて咲くソレーユの花のようだった。
堂々としたシルヴィア様の姿とは対照的に、
後ろに控える二人の従者は、わずかに不安げな面持ちでこちらを見ている。
私は静かに姿勢を正した。
胸の前で両手を揃え、ゆるやかに一礼する。
顔を上げ、顎をわずかに引いて──言葉を紡ぐ。
「お初にお目にかかります。
わたくしはジルティアーナ・ヴィリスアーズと申します。
ようこそ、クリスディアへ。
この地にてお迎えできますこと、光栄に存じます」
見つめ合う私たち。
それだけで、互いの立場と誠意が通じ合ったような気がした。
やがて、シルヴィア様が可憐に笑った。
その笑いは春風のように柔らかく、気品を損なうことなく場の空気をほどく。
「シルヴィア様……」
咎めるように姫の名を呼びながら、エステルさんも静かにフードを外した。
そこから現れたのは、やはり獣の耳。
色は灰銀であるものの、シルヴィア様と同じく細く尖った形をしていた。
耳の先がわずかに揺れ、光を受けて柔らかく輝く。
「さすがでいらっしゃいますね、ジルティアーナ様。
すでに、わたくしたちの正体にお気づきだったのでしょう?」
いたずらっぽく笑うシルヴィア様に対し、護衛の青年が目を丸くする。
「えっ……!? ──だから、姫の耳を見ても驚かなかったのか」
そう言いながら、彼もためらいがちにフードを下ろした。
そこから現れたのは、艶やかな黒の獣の耳。
鋭い印象の彼にしては意外な、少し丸みを帯びた形で、
その柔らかい動きが場の緊張をほんの少しやわらげた。
「ジルティアーナ様……?」
ぽつりと自分の名を呼ぶ声。
そちらを見ると──あ、忘れてた。
ネロくんが、呆然と私を見ていた。
「ジルティアーナ・ヴィリスアーズって……クリスディアの領主の……?
ティアナさんって、ジルティアーナ様の専属じゃなかったのか?」
「えっ!?」
ネロくんの言葉に、私ではなくシルヴィア様が驚きの声をあげた。
「ああ、そういえば……フレイヤ嬢が言ってたな。
“ティアナ様はすごいのよ! 私と違ってちゃんとしたお貴族様なのに、
普段は平民や下級貴族のフリをして街に出てるんですって”って」
黒い耳の青年が頭をかきながら言う。
その言葉に、シルヴィア様とエステルさんは一瞬、目を見合わせた。
──そして、静寂。
先に口を開いたのはエステルさんだった。
「……ということは、ジルティアーナ様はご身分を隠して働いておられたのに、
シルヴィア様が……今、うっかりそれをお明かしになってしまった、ということでございますね」
視線が一斉に私へ集まる。
「ええ、まあ……そういうことになりますね」
苦笑いを浮かべながら答えると──
「ご……ごめんなさいぃぃぃぃ!」
シルヴィア様の悲鳴のような声が、応接室に響き渡った。
「ど、どうしましょう……わたくしったら、なんてことを……っ!」
顔を真っ赤にして狼狽えるシルヴィア様。
普段、平民のフリをしている私が言うのもなんだが……うん、やっぱりこの人、王族っぽくない。
「大丈夫ですよ。幸い、彼はとても信頼できる優秀な従業員です」
みんなの視線が私に集中した。その中には、ネロくんの視線もある。
成人し、今では後輩の指導も任され、上客の応対も一人でこなすネロくん。
最近はすっかり落ち着いたと思っていたのに、そんな彼が珍しく慌てる様子に、
思わず、ふふっと笑ってしまった。
「それにネロくんは従業員である前に、以前からの友人なんです」
私が笑顔でそう言うと、ネロくんはいつかのように両手で顔を覆う。
「いやいやいや……無理だから!
領主様と“友達”なんて、恐れ多すぎて胃が痛くなるって!」
「ふふっ、相変わらずね」
つい吹き出してしまう。
そんなやり取りに、シルヴィア様が小さく微笑んだ。
その笑みはどこか安堵を含んでいて、
さっきまでの緊張が、少しだけやわらいだ気がした。
──その時だった。
コンコンッ、と軽いノックが響く。
返事をするより早く、扉が勢いよく開かれた。
「シルヴィア様っ!!」
飛び込んできたのは、ミランダお姉様だった。




