316.笑顔の街とナポルジュース
子どもたちの笑い声が、昼下がりの広場いっぱいに弾けていた。
屋台の少年が慣れた手つきでナポルを切り分ける。刃が果実の皮を裂くたび、甘くやさしい香りが風にのって広がった。
切られた果実は木のボウルに集められ、小さな女の子の前へと運ばれる。
「いくね!」
彼女がスイッチを押すと、ミキサーが勢いよく唸りを上げた。
ガーッ!
薄紅色の果肉が渦を巻き、光を受けてきらめく。
びくん、とルナが体を震わせる。まん丸の瞳が興味と驚きで輝いていた。
『ナポルがなくなっちゃったよ!?』
「なくなったんじゃないのよ。実を潰して、ジュースにしてるの」
ステラが優しく笑う。
──このミキサーは、私たちが作ったものだ。
ミランダお姉様たちと試行錯誤を重ね、何度も失敗しては直した。
最初は刃が動かず、果汁が飛び散り、皆で苦笑いした。
それでも諦めなかった。
この街の人たちが、もう少し楽に、そして楽しく働けるようにしたかったからだ。
少し前まで、この街は貧しかった。
土地は痩せ、働く場所も限られていた。
病気やけが人も多く、子どもたちの笑顔も少なく、どこか影が差していた。
だから私は、誰でも参加できる仕事を増やそうと決めた。
新しい道具や技術を広め、みんなが少しずつ誇りを取り戻していった。
──今、こうして笑い声が響く広場を見ていると、あの頃の苦労が報われた気がする。
「はい、ナポルジュースできあがり!」
少女がコップを差し出すと、ネージュが嬉しそうに手を伸ばした。
「ありがとう! ルナにもひとくちあげるね!」
『いいの!?』
「もちろん!」
リズが浅い皿にピンク色のジュースを注ぎ、ルナの前に置く。
ルナはそっと鼻先を近づけ、ちょん、と舌で触れた。
『ひゃっ……つめたいっ! でも、あまい!』
びっくりしたように耳を立て、尻尾をぴんと伸ばす。
その仕草に子どもたちが一斉に笑った。
「かわいいー!」
「冷たくてびっくりしたんだね!」
ステラが微笑みながらルナの背をなでる。
「ルナ、おいしい?」
『うんっ! すごくすき! 森で食べるナポルとはちょっとちがうけど、これもすごくおいしいね!』
そう言うやいなや、ルナは皿の底を見つめて目を瞬かせた。
『……もう、なくなっちゃった……』
「ふふ、気に入ったみたいね」ステラが笑う。
ルナはぱっと顔を上げた。
『ねぇ、もうちょっと飲んでもいい!?』
ルナの声は、リズには届かない。
私は小さく頷き、指先で合図を送る。
リズがすぐにコップを傾け、ピンクの果汁を注ぎ足した。
ルナは嬉しそうに尻尾を振り、夢中で口をつける。
その光景に、胸がふわりと温かくなった。
──この街に来て、ルナもちゃんと笑えている。それだけで、ほっとした。
リズが私に視線を向ける。
「……ルナは、大丈夫そうですね」
「ええ、本当に。安心したわ」
私の言葉に、レーヴェが静かに頷いた。
「この街は、人と自然が手を取り合う場所。ティアナ様が、そのきっかけを作ってくださったのです」
「私は少し手伝っただけよ。皆が変わろうとしたから、今の街があるの」
それでも、彼の言ってくれた言葉に胸の奥がじんと熱くなった。
以前この街は、疲れた顔をした大人たちであふれていた。
仕事を求めて無理に森へ入り、怪我を負った者もいた。
帰れなかった者も──少なくなかった。
けれど今は──大人も子どもも、みんなが誇らしげに働いている。
もう誰も、無理に危険を冒す必要はない。
みんなの笑顔を見るたび、胸の奥で小さな灯がともる。
『ねぇティアナ! この街には、ほかにも“おいしい”がいっぱいあるの?』
ルナの瞳が、光を映したピンクのようにきらきらしている。
「ええ、たくさんあるわ。パンも、焼き菓子も、果物のタルトもね」
『たべたーい!!』
「ふふっ、ネージュといい勝負ね」
「ふふん、ネージュはもう全部食べたことあるんだから!」
『えー、ずるい〜!』
子どもたちの笑い声が弾け、屋台のまわりがいっそう明るくなった。
果汁の香り、氷の音、陽光のきらめき──どれもがやさしく溶け合っていた。
私はその光景を見つめながら、静かに思う。
──ルナはこれから、いろんな“はじめて”を重ねていく。
きっと戸惑うこともあるだろう。けれど、こうして笑えるなら大丈夫。
ステラがそっとルナの頭に手を置いた。
「ルナ、これからたくさん見て、たくさん学んでいこうね」
『うん! ステラと、ティアナと、みんなといっしょにね!』
その声が空へ透きとおり、どこかで小さく鈴が鳴った気がした。
ナポルの香りが風に溶け、私はそっと目を細める。
──この街で、ルナが笑って生きていけますように。
ピンクの果汁が光をはじく。
その輝きは、まるでこの街の未来を映しているようだった。
ルナの“はじめての街の日”は、笑顔と陽のぬくもりの中で過ぎていった。




