315.はじめての街、はじめての音
街の門を抜け、クリスディアの街に入った。
石造りのアーチが陽を受けて白く輝き、通り抜ける人や荷車の列が途切れなく続いている。
近づくにつれ、パンを焼く香ばしい匂いや、香辛料の甘い香りが風に乗って流れてきた。
『わぁ……! すごい音、いろんな音がする!』
ルナが耳をぴんと立て、尻尾をふわふわと揺らす。
人々の話し声、馬車の車輪の音、金属のぶつかる音──
その全部が、彼女にとって初めての“世界の声”だった。
「驚いたでしょ?」
ステラが微笑むと、ルナはこくんと頷いた。
『でも、わくわくする!』
「ふふ、ルナらしいわね」
門の近くでは商人たちが声を張り上げ、旅人を呼び込んでいる。
色とりどりの布や果物、香草を積んだ荷車が並び、
風に翻る旗が陽光を受けてきらめいていた。
レーヴェとリズが見守る中、私はステラと並んで歩きながら、
初めての景色に瞳を輝かせるルナを見つめた。
──街の活気に包まれて、彼女のわくわくが伝わってくる。
『ねぇ、ティアナ。あれ、なに?』
ルナが指さした先では、パンを抱えた少年が店先で呼び込みをしていた。
「ホットドッグ屋さんよ。洞窟で聖霊様に出したサンドウィッチに似ているわ」
『すごく、いいにおい!』
ルナが思わず鼻をひくひくさせ、ステラの腕の中でもぞもぞ動いた。
「もう少し歩いたら、何か食べましょう」
「ティアナ様、どこで休まれますか?」とリズが尋ねる。
「市場の近くに露店が並んでいたはず。そこで軽く食べましょう」
大通りには石畳の道がまっすぐに伸び、
両脇には小さな店が並んでいた。
窓からはパンや花が顔をのぞかせ、
通りの先では大道芸人が笛を鳴らし、子どもたちの笑い声が響いている。
『すごい……森とはぜんぜん違うね』
ルナの声が少し小さくなった。
目を輝かせながらも、その瞳の奥にほんの少しの不安が見える。
私は腰をかがめ、ルナの目線に合わせた。
「大丈夫よ。ここには優しい人がたくさんいる。……それに、ステラも一緒でしょ?」
『うん、ステラと一緒なら怖くないよ!』
ルナの耳がぴんと立つ。
その素直な返事に、胸がじんわりと温かくなった。
ネージュがその隣で、くるりと空を一回転する。
「ねぇルナ、街にはね、あまいものがいっぱいあるのよ。
パンもお菓子も、ティアナの作るのとはちょっと違うけど、きっと気に入ると思う!」
『おかし……! たべたい!』
「ふふっ、もうすっかり食いしん坊仲間ね」
ステラが笑うと、ルナは嬉しそうに尻尾を振った。
私たちは市場通りへ足を踏み入れた。
陽光に照らされた色とりどりの布、山のように積まれた果物、
そして焼かれた魚介類の香りがあたりを包み込む。
人々が行き交い、笑い声が絶えない。
その中で、ルナの視線は一つの屋台に吸い寄せられていた。
「……あっ!」
ステラが気づいて声を上げる。
ルナが見ていたのは、子どもたちが売っているジューススタンドだった。
『すごいよ!? くだものがあんなにたくさん!!』
ルナは宝の山を前にしたように目を輝かせた。
屋台に並べられた色とりどりの果物。
果物は森でも採れるけれど、これほど豊かな光景は初めてなのだろう。
「ステラ先生っ!」
私たちに気づいた果実水を売る男の子が、ぱっと顔を明るくした。
そう、このジューススタンド──実は私が運営している屋台だ。
店番をしているのは、ステラが教えている“教室”の子どもたち。
「いらっしゃい! 先生たち、買いに来てくれたの!?」
「え、ええ……そうね」
嬉しそうに話しかけられて戸惑うステラをよそに、
子どもたちは“大好きな先生”の来訪ににこにこだ。
「ネージュはナポルジュースにする!」
いつの間にか人型──少女の姿になったネージュが、元気よく注文した。
『ナポルのジュース!? おいしそう!』
ナポルが大好きなルナが耳をピンと立て、身を乗り出す。
「うさぎさん!?」
「わぁ、かわいい!」
子どもたちの声が重なり、屋台のまわりがぱっと明るくなった。
ルナは照れたように小さく鳴き、尻尾をゆらゆらと揺らす。
──ちなみに、ルナの額にあるジャッカロープの角は、ネージュの魔法でそっと隠してもらっている。
だからみんなには、ただの“かわいいうさぎ”に見えているのだ。




