313.森の陽のもとで
足もとに広がる苔が、少しずつ乾いた土に変わっていく。
やがて、外の光が差し込み始めた。
洞窟の出口で、目を細めるほどの明るさに思わず足が止まる。
「わぁ……こんなに明るかったんですね」
ステラがつぶやき、手で額をかざした。
聖霊様の淡い光に包まれていたせいか、太陽の輝きがまぶしくて、どこか現実の世界に戻ってきたような気がした。
外に出ると、あたたかな風が頬を撫でた。
森の葉の間から光がこぼれ、空気はほんのり甘い。
ルナはステラの腕の中で耳をぴくぴくと動かし、鼻をひくつかせている。
「ほら、ルナ。外だよ」
ステラがそっと腕を緩めると、ルナは身を乗り出した。
その横で、ネージュが私の肩からふわりと飛び降りる。
小さな足で地を踏みしめ、のびをした。
──そのとき。
「ティアナ様!」
声がして顔を上げると、少し離れたところでリズとレーヴェが立っていた。
木々の陰からこちらを見つめていて、安堵と好奇心が入り混じったような表情をしている。
「遅かったですね。どうでしたか?」
リズが笑いながら歩み寄る。
レーヴェは目を細め、洞窟の方を一度だけ振り返った。
「聖霊様には、会えたのですか?」
「ええ。……それと、この子を」
ステラがルナを抱き上げると、ルナは少し緊張したように身をすくめた。
けれど、ステラが優しく撫でると、すぐに尻尾を揺らし始める。
「ルナ!? よかった、会えたのですね」
リズが目を丸くして見つめる。
「それで、聖霊様は……?」
私はうなずいた。
「ええ。ルナは今まで聖霊様と一緒に過ごしてきたんだけど……これからは、ステラの傍にいることになったの」
「聖霊様が、ルナに外の世界を見て学んでほしいと。そうおっしゃいました」
ステラが微笑むと、レーヴェがわずかに目を見開いた。
「聖霊様が、そんなことを……?」
「うん。ルナの力を縛らず、自由に学ばせてあげてほしいって」
そう話しているうちに、ルナが私の足もとまで歩いてきた。
リズのローブの裾をくんくん嗅いで、すぐに尻尾を振る。
『このひと、やさしい匂いがする』
……また聞こえた。
心の中に直接響く、小さな声。
思わず笑ってしまって、リズが首をかしげる。
「どうかなさいました?」
「……ルナがね、リズ様のこと、好きみたいです。いい匂いがするって」
ステラが笑いながら答えた。
やはり、ルナの声はステラにも聞こえているようだ。
「まぁ!」
リズが目を細めて微笑むと、ルナは嬉しそうに鳴いた。
その仕草に、レーヴェもわずかに口もとを緩める。
穏やかな空気が流れる中、レーヴェが一歩前に出た。
彼はゆっくりとしゃがみ込み、落ち着いた瞳でルナを見つめる。
「……触れても、いいですか?」
低く静かな声だった。
けれどルナはびくりと体を震わせて、後ずさる。
草の上に小さな影が揺れ、耳がぺたりと伏せられた。
「大丈夫だよ、ルナ」
ステラが優しく声をかけたが、ルナは動けない。
そのとき、ふわりと白いものが舞い降りた。
ネージュだ。
彼女はルナの横に降り立ち、ふんわりと尻尾を揺らす。
「ルナ、大丈夫。
リズとレーヴェはティアナの仲間だから、怖くないよ」
その声は柔らかく、森の風に溶けていくようだった。
ルナはネージュの方を見て、ほんの少しだけ目を瞬かせる。
ためらいながらも、一歩前へ。
レーヴェは動かずにその場で待っていた。
差し出した手が陽の光に照らされ、あたたかく輝く。
ルナはその手に近づき──そっと鼻先を触れさせた。
……その瞬間、ふっと緊張がほどけた。
レーヴェの表情がやわらぎ、ルナは小さく息をつく。
「……そう、上手ですよ」
リズがほっとしたように微笑んだ。
ネージュはそんな二人を見守りながら、くるりと尾を巻いて座りこむ。
その姿はまるで、小さな姉のようだった。
その光景を見て、私はつい笑ってしまう。
「なんだか、ネージュがお姉ちゃんみたいね」
「ふふっ、ほんとですね」
リズも口もとを押さえて笑う。
ネージュはちらりとこちらを振り向き、
「えっへん」と言わんばかりに胸を張った。
その仕草に、また笑いがこぼれる。
陽の光が木漏れ日となって降り注ぎ、穏やかな風が頬を撫でた。
──こうして、森の陽のもとで。
ルナは、はじめて“人のぬくもり”に触れた。




