312.聖霊の贈りもの
「そろそろ戻らないといけませんね」
ステラが立ち上がりながら言った。
その声にうなずき、私は荷をまとめる。
洞窟の奥では、淡い光が静かに揺らめいていた。
外の様子はわからないが、かなりの時間を洞窟内で過ごしてしまった。
きっとリズたちが心配している。
ルナは床に丸くなっていたが、私たちの気配に気づくと、耳をぴくりと動かした。
立ち上がって、ちょん、とこちらへ歩み寄る。
ステラが微笑んで、軽く手を振った。
「また来るね、ルナ」
その声は明るかったけれど、ほんの少しだけ寂しさが滲んでいた。
それを感じ取ったのか、ルナは尻尾を下げ、ステラの足もとにぴたりと寄り添う。
『……別れを惜しんでいるのですね』
聖霊様の声が、やわらかく洞窟の空気を震わせた。
その姿は淡い光に包まれ、見る者の心を静めるような穏やかさを帯びていた。
「ごめんね。この洞窟の入口でお兄ちゃんとリズ様が待ってるの。もう戻らないと……」
ステラがルナの頭を撫でながら言うと、聖霊様は静かに微笑んだ。
『……ルナはずっと、私のそばにいてくれました。
この洞窟のマナを見守り、森の変化を感じ取りながら過ごしてきたのです』
聖霊様の指先が、ルナの頭にそっと触れる。
淡い光がルナの毛並みに宿り、まるで祝福を受けたように輝いた。
ルナは目を細め、喉の奥で小さく鳴く。
『ですが──これからは、外の世界に触れる時なのかもしれません』
「え……?」
思わず声が漏れた。
『ステラ。あなたのもとへ、この子を連れて行ってはくれませんか?
ルナはあなたたちと過ごすことで、きっと多くのことを学ぶでしょう。
この森の外にもマナの流れは続いています。そこを見て、感じて、またここに戻ってきてほしいのです』
ステラは目を見開き、小さく息をのんだ。
「……私たちと、一緒に?」
『ええ。あなたたちなら大丈夫です。
ルナの力を無理に引き出すことも、縛ることもないでしょう。
この子が“誰かのために力を使う”という意味を学ぶには、あなたたちの傍が最もふさわしいと、私は判断しました』
聖霊様の声は静かで、けれど確かな温かさを帯びていた。
ルナは小さく鳴き、その尾を左右にゆっくり揺らす。
まるで「それがいい」と言っているようだった。
私はしゃがみ込み、ルナの目線に合わせる。
「……ルナ、私たちと一緒に来る?」
ルナはこくんと頷くように頭を動かし、私の手に頬をすり寄せた。
その体温が指先に伝わり、胸の奥がじんわりと熱くなる。
その時──
『うん、ステラとティアナと一緒に行く!』
聞き慣れない、けれどどこか幼く澄んだ声が洞窟に響いた。
私は驚いて顔を上げた。
けれど、周りにはステラとネージュ、それと聖霊様しかいない。
今の声は──まさか。
聖霊様が、微笑みながら静かに頷いた。
『ルナの声が聞こえたようですね』
「……やっぱり、ルナの声なんですか?」
『ええ。あなたにルナの声が届いたということは、この子があなたのことを“仲間”として認めたという証です』
ステラはルナを抱き上げ、そっと頭を下げた。
「……責任をもって、お預かりします」
『ルナ──あなたの翼はもう、森の外にも届きます。』
聖霊様の光がふわりと広がり、ルナの背に一瞬だけ光の羽が現れた。
それはやがて淡く溶け、静かな光の粒となって消えていく。
「……きれい」
私の声が、自然と漏れた。
その音さえも、洞窟の中に吸い込まれていくようだった。
聖霊様は柔らかに微笑み、言葉を紡ぐ。
『ルナを、どうかよろしくお願いします──ステラ、ティアナ』
私は深く頷いた。
「……はい。ルナは、必ず大切にします」
ルナは小さく鳴き、ステラの胸へ身を寄せた。
その小さな背中を見つめながら、私はそっと胸に手を当てる。
ステラがふと顔を上げ、少し恥ずかしそうに言った。
「聖霊様、またここに来てもいいですか?」
『ルナはあなた方に着いていくので、もういませんよ?』
「ルナと一緒に聖霊様に会いたいんです。また、美味しい食事を持ってきますから!」
『まあ……! 私に会いに来てくださるのですか? それも食事を持ってきてくれるなんて……っ!』
聖霊様の光がふわりと弾け、洞窟全体が柔らかな輝きに包まれた。
まるで嬉しさが、そのまま光になったようだった。
私はその景色を胸に刻みながら、ステラと並んで歩き出した。
ネージュが私の肩に飛び乗り、ステラの腕の中でルナが小さく鳴く。
その声が、新しい旅立ちを告げるように響いた。
──聖霊の光は、私たちの背をそっと照らし続けていた。




