304.虹色の羽が告げるもの
「でも、この子は──妖精だから!」
「よ、妖精!?」
ネージュの思いがけない言葉に、思わず声を張り上げてしまった。
私は虹色の蝶をじっと見つめる。するとその蝶はふわりと舞い、私のそばへ近づいてきた。
恐るおそる顔の前に手を差し出すと、蝶は軽やかに指先へと降り立つ。
先ほど見た白い蝶とは、色も輝きもまるで違う。だが──どう見ても、ただの蝶にしか思えなかった。
「本当に……妖精なの?」
私が凝視していると、ネージュが声を上げる。
「この子がね、『こんにちは』って言ってるよ。ティアナのこと、気に入ったみたい!」
「そうなの? ……こんにちは」
恐る恐る挨拶を返すと、虹色の蝶はふわふわと舞い上がり、踊るように宙を漂った。
やがて、まるでキスをするみたいに私の前髪へとふわりととまり、その羽を揺らす。
虹色の蝶──いや、妖精は、私の髪にとまったまま、かすかに光を放った。
その輝きはやわらかく、まるで夜空の星屑が溶けて落ちてきたかのようだ。
「ふふ、嬉しそうに笑ってる」
ネージュが目を細める。
「……笑ってる? 蝶なのに?」
「妖精だからね。表情は見えなくても、気持ちが伝わってくるの」
そう言われて耳を澄ませると、不思議なことに心臓の鼓動とは別のリズムが胸の奥に響いた。
あたたかく、くすぐったいような、でも懐かしさを覚える感覚。
──この子が……本当に挨拶してるんだ。
そう思った瞬間、蝶の羽がぱっと広がり、虹色の光が視界いっぱいに舞い散った。
光は花びらのようにゆっくりと降り、空気に溶けて消えていく。
「きれい……」
思わず息を呑むと、ネージュがにっこり笑った。
「ね、言ったでしょう? 妖精だって」
妖精は再びネージュの傍へ寄り、きらめきをまとったまま漂う。
ネージュは耳を傾けるようにうんうんと頷き、それから青い目をこちらに向けた。
「この子ね、ティアナたちとお話がしたいんだって」
「……えっ! お話……って、どうやって?」
思わず問い返す。
ネージュは小さく笑みを浮かべ、尻尾を揺らした。
「言葉じゃなくて、心でね。妖精は気持ちをそのまま伝えてくるの。ほら、耳を澄ませてみて」
言われるままに目を閉じると、胸の奥にまたあのリズムが響いた。
鼓動とは違う、音楽のような光の粒が舞っている。
「……」
微かに、小さな声のようなものが聞こえた。
けれど、なんと言っているのかまでは分からない。
そっと目を開き、首を横に振る。
「……だめみたい。何か言っているような気はするけど、はっきりとは分からないわ」
リズとレーヴェにも視線を向けると、ふたりも同じように首を振った。
「微かに“何か”は聞こえますが……何を伝えたいのかまでは……」
「……俺も、同じです」
そんなやり取りをしていると、不意に横からステラの驚く声が飛んできた。
「え、聖霊さまとルナが洞窟の中で待ってるの?」
ステラの言葉に、私たちは一斉に彼女を見つめた。
リズもレーヴェも目を瞬かせ、ネージュは耳をぴくりと動かす。
「ステラ……今、何て言ったの?」
私が問いかけると、ステラは戸惑ったように胸に手を当て、けれどはっきりと答えた。
「この蝶の声が、聞こえました。はっきりと。『聖霊さまとルナが、洞窟で待っているよ』って……」
妖精はまるでそれを肯定するように、ステラの周りを舞い、虹色の光を細かく振りまいた。
宙に散る光の粒は、彼女だけを包み込むかのように優しく瞬く。
「本当に……ステラには聞こえているのですね」
リズが低くつぶやく。
「わ、私だけなんですか?」
ステラは不安そうに眉を寄せ、私たちを見回す。
私とレーヴェは肯定するように頷いた。
「ええ、そうみたい。私たちには“何か”は聞こえても、言葉にはならなかったわ」
私は正直に打ち明けた。
ステラは小さく息を呑み、妖精を見上げる。
「……どうして、私には聞こえるの?」
妖精は答えるようにステラの肩へと舞い降り、その羽を揺らした。
すると、ステラの瞳が驚きに大きく見開かれる。
「……えっ!? ちょ、ちょっと待って! 私、契約なんてしてない!」
その叫びに、場の空気が一瞬凍りついた。
レーヴェが眉間に深い皺を寄せ、低い声で問い返す。
「──契約?」
ステラはおろおろと周りを見回し、必死に言葉を紡ぐ。
「な、なんか、この子が……『ステラはルナの契約者だから、わたしたちの声が届くのよ』って……。
でも……そんなの、私……知らない……!」
声は震え、涙が今にもこぼれそうに揺れていた。
レーヴェは口を閉ざし、険しい眼差しでステラを見つめる。
重苦しい沈黙が仲間たちを包み込み、誰一人として言葉を発せなかった。
そのとき、不意に軽やかな声が沈黙を切り裂いた。
「ステラは契約をしたよ。だって──“ルナ”って名前、つけたでしょ?」
ネージュの言葉だった。
──あ。
その一言で、私はかつてオブシディアンが語った“契約”の理を思い出した。




