303.蝶の導き
「……入っちゃった?」
腕を伸ばしたまま一歩踏み込んだ私は、気づけば洞窟の中にいた。
透明な壁に阻まれることなく、あっさり通り抜けてしまったのだ。
思わぬ事態に自分でも驚き、慌てて振り返る。
外にいるみんなが目を見開き、息を呑んで私を見つめていた。
はっと我に返ったリズが、再び手を伸ばす──。
──キンッ!
鋭い音が響き、彼女の指先はまたも弾かれた。
「ティアナ様っ!」
リズとレーヴェが焦った顔で呼びかける。その必死さに、今度はこちらが心配になるほどだった。
私は一歩下がり、洞窟の外へ出てみる。
……何の抵抗もなく、すんなり外へ戻れた。
「ティアナ様、大丈夫ですか!? お身体に異常はございませんか?」
駆け寄ったリズが、真剣な眼差しで私を見つめる。
「うん、大丈夫。何も問題ないよ」
そう答えると、みんなの表情がようやく和らいだ。
「まさか……ティアナ様まで入れるとは」
レーヴェは確かめるように入口へ手を伸ばしたが、やはり見えない壁に阻まれた。
「入れるのは……わたしとティアナ様だけみたいですね」
ステラは洞窟の奥へ視線をやり、こてんと首を傾げる。
「でも、どうしましょう? 二人だけで入るのは心細いですよね?」
「当たり前だ!」
レーヴェが即座に声を荒げた。
「ティアナ様を護衛なしで行かせるなどありえん! 俺もエリザベス様も入れない場所だぞ」
「でも……入れるのは、わたしとティアナ様だけなんです」
ステラが困ったように耳を伏せる。
「それでも駄目だ」
レーヴェは強く首を振った。
「ティアナ様を危険にさらすことなど、絶対に許されない」
「でも……っ」
続けようとしたステラの言葉を、険しい眼差しで洞窟を見据えでいたリズが遮る。
「この先に何があるのか分からない以上、ティアナ様をお連れするわけにはいきません」
二人の言葉に胸が熱くなる。
私を守ろうとしてくれている気持ちは、痛いほど伝わってくるから。
けれど──。
「……大丈夫だよ」
私は静かに言葉を挟んだ。
「ここまで来たのはみんな一緒でしょ。ステラだけを行かせるなんてできない」
「ティアナ様……」
リズの瞳が揺れる。
「それに、私も入れるってことは……きっと意味があるんだと思う。理由はまだわからないけど」
レーヴェは口をつぐみ、奥歯を噛みしめる気配を隠さなかった。
「……やはり許可できません。正体不明の洞窟に行かせるだけでも不安なのに、我々が追うことすらできぬのでは危険すぎます」
「ひとりじゃないわ。ステラも一緒よ?」
「ステラには戦う術がございません」
レーヴェの反対は揺るがない。
二人が本気で心配しているのは分かる。だからこそ言葉に詰まった時──ステラが耳をへにょんと垂らした。
「……申し訳ございません。私に力があれば……」
「謝らないで! ステラが悪いわけじゃないわ」
その時、不意に声が降ってきた。
「──大丈夫。中は安全だよ」
見上げると、そこには予想外の姿があった。
「ネージュ!?」
屋敷にいるはずの私の聖獣、ネージュだった。
洞窟の上に生い茂る木の枝から、ネージュがふわりと私の腕に降りてくる。
そして、気づく。
「ネージュ……あなた、また大きくなったの?」
「えへへ」
得意げに笑う白虎姿のネージュ。
生まれた当初は手のひらサイズだったが、この五年間で徐々に大きくなり、今では小型犬ほどの大きさになっていた。
しかも今は、最後に見たときよりもさらに一回り大きくなっている。
不思議なことに重さは感じないネージュだが、大きくなった分、腕の中での収まりは悪くなっていた。
小さかった頃を思うと、少し寂しい。けれど、これはこれで……。
そう考えながらネージュの体に顔を埋める。
うん、ふわふわである。素晴らしい毛並みだ!
私に抱きつかれたネージュは「くすぐったいよぉ」と言いながら体をよじった。
「ネージュ様、どうしてこちらへ?」
リズが視線を合わせネージュに尋ねる。
「それはね、この子に呼ばれたのっ!」
「……この子?」
周りを見回すが、私たち以外には誰も見当たらない。
強いて言うなら蝶が舞っているくらい……と思った時、見たこともない虹色に輝く蝶がふわりとネージュの傍にやってきた。
蝶がネージュの頭に止まると、ネージュはその蝶を私に見せるかのように、頭をぐっと持ち上げた。
「この子って……もしかして、この蝶のこと?」
きらきらと光を纏った幻想的な蝶だ。
思わず見入ってしまう私の横で、リズが問いかける。
「ネージュ様……その蝶とお話ができるのですか?」
「うんっ!」
ネージュは嬉しそうに頷いた。
私は首を傾げる。
「でも……前に庭に来てた鳥のことは、“なんとなく気持ちは分かるけど会話はできない”って言ってなかった?」
「普通のちょうちょなら無理だよ?」
ネージュはさらりと続ける。
「でも、この子は──妖精だから!」
「よ、妖精!?」




