301.導かれし明日へ
「森に……洞窟があるって?」
思わず声を張り上げたのはダンさんだった。彼は信じられないというようにロベールさんを振り返ったが、彼も小さく首を横に振るばかりだった。
「俺も聞いたことがない。あの湖の奥にそんな場所があるなんて……」
低くつぶやく声には、長年冒険者として歩んできた者の確信がにじむ。
「子どもの頃から何度も森に足を踏み入れたが、洞窟なんて一度も目にしなかった。ましてやジャッカロープの話なんて、噂すらなかった」
「そうだ」
ダンさんも腕を組み、苦々しい顔でうなずいた。
「ステラが“出会った”と聞かされたときも、正直、見間違いじゃないかと思ったくらいだ」
頭をかき、ばつの悪そうな笑みを浮かべる。
「信じてなかったわけじゃねえ。ただ、それほど珍しいんだ。俺もロベールも長く冒険者をやってきたが、実物を見たことは一度もなかった。それが、まさかこんな近くにいるとはな……」
「本当にそうですね」
リズが静かに頷いた。
「私はアカデミーで剥製を見たことはありましたが、生きている姿をこの目で見られるとは思いませんでした」
そこで言葉が途切れ、部屋に一瞬の沈黙が落ちる。
「そして、あの薬……」
ステラの静かな声が場を満たした。そのひと言に、全員の視線が彼女に集まる。
「ルナが分けてくれた角を使って調合した薬が、こんなにも効くなんて。幻獣と呼ばれる存在は、伝承の中だけではなかった……。
私はそう実感しました」
ステラの瞳は確信に満ちており、ただの噂や偶然ではないことを物語っていた。
「……あの薬がなければ、私は今ここにいないかもしれません」
エレーネさんが口を開いた。微笑んではいるものの、その表情には深い感謝と安堵が浮かんでいる。
「薬を飲んだ瞬間、信じられないくらい体が楽になって……。あの薬のおかげで、私はこうして家族のそばにいられる。奇跡としか言いようがありません」
そう言いながら、彼女はそっと夫の脚へ視線を落とした。
ロベールさん自身も一瞬目を伏せ、右脚へ手をやる。
そこには、かつて失われていたはずの脚がある。
布越しに確かめるように触れると、それが幻ではなく確かな現実だと実感したのか、短く息を吐いた。
「幻獣の力……そして、湖の奥の洞窟。どちらも現実だとしたら、放っておくべきではない。
エレーネの回復は誤魔化しようがあるとしても……俺の脚はそうはいかない。俺の怪我は、この街の誰もが知っている事実だ」
「……だな」
ダンさんが頷き、唇を引き結ぶ。
「お前の脚が治ったと知れたら、誰だってただ事じゃないと思うだろう。だからこそ、確かめなきゃならねえ」
「その通りです」
リズも言葉を添えた。
「奇跡は尊いものですが、同時に人の欲を引き寄せるものでもあります。この力が悪意ある者の目にとまれば、必ず争いの種になるでしょう」
部屋の空気が、さらに張り詰めていく。
ステラは両手を膝に重ね、真剣な面持ちで顔を上げた。
「ルナが導いてくれた道です。偶然ではないはずです。今度こそ……確かめに行きましょう」
誰も異を唱えなかった。
静まり返ったこの空間が現実から遠ざかり、未知の世界の予兆のように思えた。
──あの森の湖の奥、誰も知らない洞窟へ。
奇跡のような力。その源にあるもの。
ステラが出会ったというルナ、そして聖霊の存在。
私たちは知らなければならない。
なにより、その力が──悪意に利用されることのないように。
「明日、森へ行ってみましょう」
静けさを破ったのは、レーヴェのはっきりとした声だった。
落ち着いた口調ではあったが、その目は確固たる決意に燃えていた。
「ルナはきっと、ステラに託したんだ。だから確かめなきゃならない」
その言葉に、皆が頷いた。視線が交わり、無言のうちに決意を分かち合う。
私は胸の奥で、小さく息を整える。
──明日、森へ。
未知なる洞窟の奥に何が待ち受けているのか。
胸の高鳴りと、不安の影とが、静かにせめぎ合っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は、突然の瀕死になるエレーネからの急回復に対し、登場時から欠損してたロベールの脚がやっと回復という奇跡を通して、存在が忘れられてそうなルナも登場しました。
次回からは新章、その力の源を確かめるために「湖の奥の洞窟」という新たな舞台が示されました。
次回からは、その謎に迫っていきます。そこに何が眠っているのか、そしてルナや聖霊の真実に近づけるのか……どうぞ楽しみにしていただければ嬉しいです。
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