300.家族を守る誓い
エレーネさんが子ども部屋から戻ってきたのは、ほどなくしてのことだった。
「早かったのね」
リズが声をかける。
「はい。ふたりとも疲れと緊張が解けたようで、すぐに眠ってしまいました」
そう答えて微笑む彼女の顔には、母としての安堵と幸福が入り混じっていて、見ているこちらまで胸が温かくなる。
そのまま椅子に腰を下ろし、ロベールさんの隣に座った。彼はそっと彼女の手を握る。
「君も疲れてるだろう? もう休んだ方がいい」
低く響く声には、長い苦労の影と、ようやく解き放たれた安堵がにじんでいた。
しかしエレーネさんは首を横に振り、静かに笑う。
「いいえ。みんながくれた薬が本当によく効いたみたいで、産後とは思えないくらい元気なの。
……あ、あとティアナ様のおにぎりの効果もあるかもしれませんね」
おどけた一言に場の空気が和らぐ。ロベールさんは一瞬目を細めて彼女を見つめ、それから口を開いた。
「君がそう言うなら……信じる。
けど、まだ出産したばかりだ。俺は……君に無理をしてほしくない」
「だいじょうぶ。無理はしないわ。
あなたを心配させたくないもの」
その言葉に、強張っていたロベールさんの肩から、ふっと力が抜けていくのがわかった。
エレーネさんは少し首をかしげ、やわらかく言葉を継ぐ。
「それに……ロベールさんも気をつけてね」
「え?」
「脚が治って、兵団の最前線に戻るつもりなんでしょう?
でも、お願いだから、もう無茶はしないで。多少の怪我なら仕方ないとしても……命だけは、大事にして」
ロベールさんは目を瞬かせ、やがて小さく息をついた。
そして妻の手を強く握りしめ、まっすぐに答える。
「安心しろ。俺はもう、独りで無茶をするつもりはない。
守りたいものが、前よりずっと増えたからな」
その真剣な声に、エレーネさんの瞳がわずかに潤む。けれど彼女は涙をこらえ、静かにうなずいた。
やり取りを聞いていたダンさんが、鼻を鳴らす。
「おいおい、惚気は寝室でやれよ。こっちが照れるだろうが」
「あら、そんなこと言って……。
ダンさん。私、ロベールさんのことだけじゃなくて、ダンさんのことも分かってるんですよ?」
「……ん?」
「ロベールさんの脚が治ったこと。私たち家族と同じくらい、嬉しく思ってくれてますよね?」
にっこりと微笑むエレーネさんとは対照的に、言葉を詰まらせるダンさん。その様子を見て彼女はくすりと笑い、続けた。
「私が今回、こんなことになって……家族にはとても心配をかけてしまいました。
落ち込んだロベールさんを、フォローしに駆けつけてくれたんですよね」
ダンさんは居心地悪そうに頭をかき、わざとらしく咳払いをした。
「……まあな」
「ありがとうございます、ダンさん」
そう言って頭を下げたエレーネさんに、ダンさんは優しい笑顔を見せる。
「エレーネちゃんが戻ってきてくれて、本当に良かったよ。万が一のことがあったら……ロベールはもちろん、子どもたちがどれほど悲しむことか」
「ダン……」
ロベールさんが低く呟く。その声音には、長年の付き合いだからこその深い信頼がにじんでいた。
「たくっ、エレーネちゃんはともかく、お前まで倒れそうで、正直どうなるかと思ったんだぞ。
本当に良かったな。エレーネちゃんが元気になって……お前の脚まで……。
でも、まあ、無茶だけはするなよ。お前に何かあったら、今度は嫁さんに今回お前が感じた思いをさせることになるからな」
「ああ……心配してくれて、ありがとう」
ロベールさんの唇に、かすかな笑みが浮かんだ。
そのやり取りに耳を傾けていたリズが、ふっと笑みを浮かべた。
「ほんと……良かったわ。エレーネが元気になったことはもちろんだけど、家族って、いいものね」
私も同意するようにうなずき、ステラが言葉を添える。
「ええ。お二人の姿を見ていると……私まで幸せな気持ちになります」
「ありがとうございます、ティアナ様、エリザベス様。
ステラとレーヴェも本当にありがとう」
エレーネさんは深く頭を下げたが、その瞳はきらきらと輝いていた。
それに対し、代表するようにリズが笑顔を向ける。
「お礼ならもう何度も聞いたわ。
感謝してくれているなら、あなたがちゃんと元気で幸せに家族になること。それが私たちに対する何よりのお礼になるわ」
私たちも同意するように頷く。
それを見て、エレーネさんとロベールさんは顔を見合わせるとしっかりと頷き、ロベールさんがはっきりと宣言した。
「はい。絶対、エレーネを家族ごと守り、必ず幸せにすると誓います」
その言葉に、エレーネさんは涙をこらえながらも、本当に幸せそうに微笑んだ。
その姿を見守る私たちの胸にも、温かなものが広がっていく。
しばしの沈黙。けれどそれは気まずさではなく、皆が同じ思いを抱いているからこそ生まれる、穏やかで満ち足りた静けさだった。
やがて、ダンさんが照れくさそうに頭をかきながらぼそりと呟く。
「なんか、結婚式みてえだな」
その一言に、場の空気がほどけるように笑いがこぼれた。




