291.ルナが託した角
「……ありがとうございます、聖霊さま」
ステラはルナの角を胸に抱きしめた。
(ルナがくれた大切なもの……これを煎じて、エレーネさんに……)
「……わたしに、できるかな」
思わずこぼれた不安に、聖霊は微笑むような声で応えた。
『大丈夫ですよ。あなたはひとりではありません』
その言葉に浮かんだのは──レーヴェ、エリザベス、そしてティアナの顔。
「……はい。そうですね」
自然と笑みが広がった。
聖霊は静かに揺らめきながら、ただ優しく見守っている。
ステラは宝物のように角を抱きしめ、顔をあげた。
「本当にありがとう、ルナ! 絶対にエレーネさんを助けるからね」
返事をするように尻尾を揺らすルナ。
耳の付け根を撫でてやると、安心したように目を閉じた。
「聖霊さまも……本当にありがとうございました」
ステラは改めて丁寧にお辞儀をする。
そして大きく息を吸い込むと、力強く宣言した。
「では──エレーネさんに届けに行ってきますっ!」
その場を去ろうと一歩踏み出したステラだったが、ふと足を止め、振り返った。
「あの……聖霊さま。わたし聖霊さまとルナに、お礼を持ってきたいんです。また、ここに来てもいいですか?」
『まあ……何かくださるのですか? ありがとうございます』
聖霊の明るい声が響き、ルナがぴょんぴょんと跳ねる。
そのふたり(?)の様子があまりに可愛らしくて、ステラは思わず笑みをこぼした。
◇
洞窟の奥に広がっていた光景は、まるで夢のようだった。
だがステラの胸に抱かれた角の温もりが、それが確かな現実であることを物語っている。
落とさぬように角を腕に抱き直し、ステラは足を進めた。
波紋のように揺らぐ空気の膜を抜けた瞬間──
「ステラ!」
鋭く響く声。
目の前には必死な面持ちのレーヴェが立っていた。
彼はすぐに駆け寄り、妹の肩を強く掴む。
「無事か!? 中で何があった!」
「お兄ちゃん……」
ステラは小さく笑った。
「だいじょうぶだよ。それに……」
そっと胸に抱いた角を見せる。
淡い光を帯びたそれに、レーヴェは目を見開いた。
「これは……?」
ステラは静かに、けれど確かな声で告げた。
「聖霊さまが……ルナがくれたの。──エレーネさんを助けるために」
レーヴェの瞳が大きく揺れる。
妹の言葉をすぐには信じられず、けれどその瞳に宿る真剣な光を見て──ゆっくりと頷いた。
「……そうか。なら、戻ろう。エレーネさんのところへ」
「うん!」
ステラは強く頷いた。
胸に抱いた角が、静かに脈打つように温かく光った。
◆◇◆
「ティアナさま!」
一旦屋敷に帰ったはずのステラとレーヴェが、再びエレーネさんのうちへ戻ってきた。
「ステラ!? それにレーヴェも……何かあったの?」
胸がざわつく。
エレーネさんの容態は相変わらず思わしくない。
ふたりが慌ただしく戻ってきたということは──何かあったのかもしれない。
「あの……これを……」
ステラがマジックバッグに手を差し入れ、慎重に取り出したのは──
太い木の枝のような、けれどどこか神聖な気配を帯びたものだった。
私は思わず息を呑む。
「これは……?」
「ルナの……角です」
一瞬、言葉を失った。
「ルナ……って、あの以前キズの手当をしたジャッカロープの? なんで……?」
混乱する私をよそに、ステラはぎゅっとそれを抱きしめ、震える声で言葉を続けた。
「聖霊さまが……教えてくれました。この角を煎じて飲ませれば、エレーネさんを治せるって」
私は思わず立ち上がった。
「聖霊……ですって……?」
聖霊というけれど、おそらくオブシディアンやネージュのことじゃない。ふたり以外にも聖霊が?
──でも、今の問題はそんなことじゃない。
ステラの瞳は真剣で、迷いがない。
ステラがここまで必死に抱えてきたということは、信じられる何かがあったのだ。
胸の奥で、諦めかけていた希望が小さく灯るのを感じた。
「……ネロくん。悪いんだけど奥の部屋を貸してもらえる?」
「分かりました! リズさんも呼んできます」
すぐに動いてくれるネロの背中を見送り、私はステラに視線を戻した。
「……その角、預からせてもらえるかしら」
「はい……!」
ステラは両手で角を差し出す。指先は小さく震えているが、その瞳は強い光を宿していた。
私はそっと角を受け取った。
ずしりとした重みと共に、掌に伝わる温もり。脈動のようなものさえ感じて、思わず息を呑んだ。
「……これは……生きている……?」
言葉がこぼれる。信じたい。信じるしかない。
「ステラ、ありがとう。これで……もしかしたら……」
声が震え、涙がにじむ。慌てて視線を伏せたが──胸の奥に差した小さな光が、絶望で凍えていた心を確かに温めていた。




