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スキルをよみ解く転生者〜文字化けスキルは日本語でした〜  作者: よつ葉あき
観光の街、クリスディア

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283.揺れる命、繋ぐ想い


……どれくらい時間が経ったのだろう。たぶん実際には一時間も経っていない。

けれど私たちにとっては、まるで何時間も待たされたような、途方もなく長い時間だった。


──ガチャッ。


寝室の扉が開き、助産師が姿を現す。

反射的にロベールさんが立ち上がるが、杖も持たずに慌てたため、体が揺らぐ。咄嗟にネロくんが肩を支えた。


「エレーネは!? 妻はどうなりましたか!」


「とりあえず……最悪の事態からは抜け出せました」


差し出された助産師の掌には、先ほど私が渡した止血薬の小瓶が握られている。瓶も衣服も血に濡れ、その壮絶さを物語っていたが、助産師はかすかに微笑んだ。


「ありがとうございます。この薬のおかげで、どうにか出血を止めることができました」


ロベールさんは胸に手を当て、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。

「……助かったのか……」

震える声には、それでもわずかな希望が宿っていた。


だが助産師はすぐに表情を引き締める。


「……ただ、油断はできません。エレーネ様はあまりにも多くの血を失ってしまいました。

ダメ元でポーションも投与しましたが、やはり効果は薄く……今は予断を許さない状態です」


言葉が落ちると同時に、場の空気が再び重く沈む。


「やだ……お母さん……」

ルトくんが堰を切ったように泣き出し、母の名を呼んだ。

私は彼を抱きしめ、背を撫でながら必死に言葉を絞る。


「大丈夫……お母さんはきっと戻ってくる。信じよう」


けれど抱きしめる私の手は、どうしても震えが止まらなかった。


──どうして。

どうしてこの世界には、血を繋ぐ術がないのだろう。

輸血さえできれば……それだけで助けられる命なのに。


悔しさに胸の奥が焦げつく。

私はただ、祈ることしかできなかった。


寝室の扉が閉じ、重苦しい沈黙が戻る。

誰もが言葉を失ったまま、息を殺して時を待つ。


その時、ロベールさんが顔を覆い、かすれた声で呟いた。

「……やっぱり……子どもなんて、産ませるべきじゃなかったんだ……」


後悔に満ちたその言葉は、刃のように全員の胸を突き刺した。


ネロくんが苦しげに口を開きかける。

だが声にならず、拳を固く握りしめるだけ。

反論したい、でも言えない──痛ましい沈黙が広がる。


その時、リズが顔を上げた。

涙で濡れた瞳に、強い光を宿して。


「……違います。

エレーネは……とても子どもの誕生を楽しみにしていました」


きっぱりと告げるその声に、私の胸が熱くなる。

自然と、あの時の会話が蘇った。



──臨月を迎えた頃のこと。

窓辺から差し込むやわらかな陽射しの中で、エレーネさんは大きなお腹を撫でながら微笑んでいた。


『まだ会ったこともないのに、この子が愛おしくてたまらないんです』


その笑顔は春の日差しのように明るく、私もリズも思わず笑顔になった。

けれど次の瞬間、彼女は少しだけ目を伏せ、不安げに声を落とした。


『……でも、正直に言うと怖いんです。陣痛はすごく痛いと聞くし……それ以上に……』


言葉を探すように視線をさまよわせ、ふと窓の外に目をやる。

そこではルトくんが小さな木の剣を振り回して遊んでいた。

光を受けてはしゃぐその姿を見つめながら、エレーネさんは切なげに目を細めた。


『……ロベールさんの前の奥様──あの子たちのお母さんは、ルトくんを産んだときに命を落としたって聞いています。

私は怖い……ネロくんもルトくんも、私が産んだ子じゃないけれど愛おしくて仕方ない。

もし万が一、私に何かあったら……また、あの子たちとロベールさんに辛い思いをさせてしまう……』


彼女の声は細く震え、窓辺に射し込む光がその横顔を照らしていた。


私とリズは顔を見合わせ、必死に言葉を探した。


『でも……前のお母さんは元々体が弱かったって聞いたわ。エレーネは違うでしょ』

『きっと大丈夫だよ。ね、リズ?』


リズは力強く頷き、彼女の手を取る。


その時、エレーネさんは涙を滲ませながらお腹を撫で、そして少し笑って言った。


『そうですね。きっと、大丈夫です。私しぶといんですから。簡単に死んだりなんてしません』


拍子抜けするほど軽やかな言葉に、私も思わず吹き出してしまった。


そして続けた。

『まだまだ死ぬ訳にはいきません! 私はこの子を育てて……孫の顔を見るまで生き抜きます!』


リズは呆れたように肩をすくめて。


『……まだ子どもも生まれてないのに、孫の話なんて』


その場に小さな笑いが広がり、部屋は柔らかな空気に包まれた。



──だから。


私は胸に手を当て、今を生きるロベールさんたちへと告げた。


「……エレーネさんは、確かに怖がっていました。

でもそれは自分のためじゃない。

もし自分に何かあったら、家族が悲しむから……その未来を何より恐れていたんです」


喉の奥が熱く震える。

それでも確信を込めて言い切った。


「だから……彼女は生きるつもりでした。

皆と未来を過ごして、笑いながら孫の話をするまで──絶対に」


私は自分に言い聞かせるように、願いを込めて言葉を続けた。


「……必ず帰ってきます。そう、きっと大丈夫です」




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