277.別れ、そして再会の約束
昼前の庭先は、まだ夏の名残を感じさせる陽の光に包まれていた。青空の下、白い雲がゆっくりと流れ、馬車の車輪に差し込む光がきらきらと反射している。
出立の時を迎え、私たちは玄関先の石畳に並び、ヴィオレッタ様とフレイヤ様を見送る準備をしていた。
一泊だけの滞在であったのに、互いの心が近づくには十分すぎるほどの時間だった。けれど、別れの瞬間はやはり少し寂しく、胸の奥に名残惜しさが漂う。
ミランダお姉様が一歩前へ進み、やわらかな笑みを浮かべて言葉を贈られた。
「ぜひ今度は、もっとゆっくりと遊びに来てくださいね」
その言葉に、ヴィオレッタ様は品のある微笑みで応じられる。
「ええ、またぜひ。今度はもっと色々な場所を拝見してみたいですわ」
その声には、別れの寂しさよりも、次の再会を楽しみにする明るさがにじんでいた。お互いに“終わり”ではなく“続き”が待っていると信じているからこその響きだ。
その空気をさらに和ませるように、フレイヤ様が弾む声で口を開かれた。
「おにぎりを……もっと多くの種類を食べてみたいです!」
あまりに真っ直ぐなひと言に、私たちは思わず笑みをこぼす。緊張を忘れたその笑顔が、最後のひとときをより温かいものに変えていく。
私はふと口をついて出た考えを、そのままもらしてしまった。
「多くの種類を召し上がっていただくために……小さめのおにぎりをいくつか組み合わせた“おにぎりセット”を作るのもいいかもしれませんね」
「また思いつきでそんなことを……」ミランダお姉様は呆れたように眉をひそめ、扇子で口元を隠してため息をついた。「後で詳しく聞かせてちょうだい!」
けれど、フレイヤ様はぱっと瞳を輝かせ、両手を胸の前で合わせて言った。
「それ、すごく良いです! わたくし、そういうの食べてみたいです!」
無邪気な反応に、場の空気が一層やわらかくなる。そんなやり取りを見守りながら、ヴィオレッタ様は慈しむようなまなざしを向け、静かに口を開かれた。
「ふふ……とても楽しそうですわね。次回はシルヴィア様もお誘いしてみますわ。きっと喜ばれるはずです。──ミランダ様もティアナ様も、もしウィルソールにいらっしゃる機会があれば、ぜひわが家にお越しくださいませ」
その申し出に、胸がじんと熱くなる。ここでの出会いは一時のものではなく、これからも続いていくのだと実感させられた。私とミランダお姉様は、そろって深く頭を下げる。
「ありがとうございます。ぜひ、その時は」
続けて、私は懐から包みを取り出し、丁寧に差し出した。
「こちらは、お土産です。おにぎりと……少しですがチョコレートを」
「まあ……!」ヴィオレッタ様が驚いたように目を見開かれた。
「おにぎりは本日中に。チョコレートは、四日以内にお召し上がりくださいませ」
「承知いたしましたわ。シルヴィア様にもお渡ししますね」
「わたしも……おにぎり、とっても楽しみです!」フレイヤ様は子どものように無邪気な声を弾ませた。その表情を見ているだけで、こちらの心まで温かく満たされていく。
御者が手綱を整え、馬が小さくいななく。やがて馬車の扉が静かに閉じられた。しばしの沈黙のあと、蹄の音が石畳を軽やかに叩き、馬車はゆるやかに動き出す。
私たちは並んで、その後ろ姿を見送った。遠ざかるにつれ、胸の奥にある寂しさは確かに広がっていく。けれど、それ以上に心を支えてくれるのは、次の再会を約束できた喜びだった。
「また会える」──その想いが胸の内を温かく満たしていく。
そして、もう一つの願いが静かに芽生えていた。
「次はシルヴィア殿下にもお会いできる」
その未来を思うだけで、自然と背筋が伸びた。名残惜しさが完全に消えることはない。けれど、その寂しさは未来への期待を際立たせる色に変わっていく。
私は心の中で小さく誓った。
「その時は、今日よりも胸を張って迎えられるように。もっと成長した自分を見ていただけるように」
別れの瞬間は終わりではない。次への始まりだ。そう信じられるからこそ、私たちは自然と前を向き、再び歩みを進めることができた。
夏の名残を帯びた風が、やさしく背中を押してくれるのを感じながら──。




