263.また来たくなる街
そう口にした瞬間、テーブルの向こうから、ひときわ大きな声が上がった。
「スタンプカード? よく分からないけど、面白そう……!」
フレイヤ様が勢いよく身を乗り出してくる。 その迫力にちょっとたじろいでしまったけれど──
それ以上に反応が早かったのは、やっぱりミランダお姉様だった。
「ティアナ……また何か、企んでるのね?」
企んでるとは失礼な。
そう思いながら顔を向けると、お姉様の視線がすでにこちらに突き刺さっていた。
……う、やっぱり目が怖い。
「い、いえ、別に企んでるというか……提案といいますか……」
スタンプカード。日本ではおなじみだったけれど、こちらの世界では、まだ見たことがない。
「たとえば──おにぎりを一個買うごとにスタンプをひとつ。 雨の日とか、人通りが少ない日はスタンプ二倍にして…… 十個貯めたら、おにぎり一個プレゼント、とか」
身振りを交えながら説明していると、ふと、もう一つアイデアが浮かんだ。
「それと、地元のお客様用とは別に、観光客向けの記念版を作るのも、面白いかもしれませんね」
「ちょっと待って! エリザベス、ティアナが言ったこと、ちゃんとメモしておいて!」
私のひとりごとのような提案に、お姉様はすぐさまリズに指示を飛ばした。 さすがというべきか、もはや反射神経レベルだ。
その様子を横目に、ヴィオレッタ様はお茶のカップを置きながら、上品にくすくすと笑う。
「それにしても……“おにぎり”って、本当に不思議な存在ですね。 見た目はあんなにシンプルなのに、あれほど深みのある味になるなんて」
「ええ。素朴に見えても、手間も想いも、ぎゅっと詰まっていますから。 炊き方、塩加減、具材の選び方──全部が味に関わってくるんです。 だからこそ、ごまかしがきかない料理なんですよ」
「なるほど……素材や技術の差が出やすいぶん、奥が深いのですね」
ヴィオレッタ様が真剣な顔で頷く。 その隣で、フレイヤ様がぱっと目を丸くした。
「どの具材も美味しかったけど……もしかして、“具がない”おにぎりっていうのもあるんですか?」
「あります。“塩むすび”と呼ばれていて、塩だけで握ったおにぎりです。 中身はありませんが、お米の味をダイレクトに楽しめるんですよ。 素材が良ければ、ものすごく満足感があるんです」
「へぇ……それも食べてみたいですっ!」
また一つ、気になるメニューを見つけたように目を輝かせるフレイヤ様。
その表情があまりに嬉しそうで、思わず私はくすっと笑ってしまった。
* * *
おにぎり屋を出ると、午後の陽射しが通りに差し込んでいた。
空には薄い雲が浮かび、初夏の気配を帯びた風がスカートの裾を優しく揺らす。
ほんのり汗ばむ陽気に、私はそっと首筋を手のひらでぬぐった。
「ふぅ……お天気がよくて、少し歩いただけでも暑く感じますね」
「でも、風が気持ちいいですわ。……あれが馬車かしら?」
ヴィオレッタ様が小さくつぶやきながら、停まっている馬車に目を向ける。
リズが先に回してくれていたのだろう。
通りの外れには、日除けの布がかけられた涼しげな馬車が、静かに佇んでいた。
私たちは順に乗り込み、扉が閉まる。
馬車が動き出すと、心地よい揺れに身を任せながら、さっきの出来事を思い返した。
「……本当に、美味しかったですね」
最初に口を開いたのはフレイヤ様。
窓から吹き込む風に目を細めながら、うっとりとした表情を浮かべている。
「ええ、とても良い時間だったわ。あのおにぎり屋さん……人気があるのも納得ね」
「ありがとうございます。私も、おふたりに楽しんでいただけて、本当に嬉しいです」
そう返すと、ふたりとも優しく微笑んでくれた。
「それにしても……」と、ヴィオレッタ様が続ける。
「“スタンプカード”という発想には驚かされました。遊び心があって、でも実利的。ティアナさん、いろんなアイデアを考えるのが好きなんでしょう?」
「ええ、昔からそうなんですよ。放っておくと、すぐに次の企画を考え始めるんです」
ミランダお姉様が半ば呆れたように、でもどこか誇らしげに言う。
「でもそれが、ちゃんと形になるっていうのがすごいです」
フレイヤ様が、きらきらとした笑みで頷いた。
「……いろんな人が手伝ってくれるから、ですね」
私はそう答えた。
本当のことだ。ミランダお姉様、リズ、農家のエイミー、店のミーナやミアちゃん。
一人では、きっと何もできなかった。
馬車は緩やかな坂をのぼり、町並みが少しずつ遠ざかっていく。
「それにしても……クリスディアは素敵な街ですね。空が広くて、風が気持ちよくて……」
ヴィオレッタ様のつぶやきに、私は頷いた。
「ええ。田舎だって言う人もいますけど、私はこの街が大好きなんです」
「ジルティアーナ様が領主になられてから、私たちが来るのは初めてですが……私もこの街、好きになってしまいましたわ。ねえ、フレイヤ?」
「はい! おにぎりがとっても美味しかったです! でもそれだけじゃなくて……ティアナ様も、店員さんも、皆さんが素敵でした!」
「……ふふ、ありがとうございます。街の人たちが、この街の一番の自慢です」
窓から差し込む光が、レースのカーテン越しに、柔らかく馬車の中を照らしていた。
「さて、今夜はゆっくりおくつろぎください。お部屋には、涼しいお茶をご用意してあります」
「まあ、それは楽しみですわ。さっきまで“全種類制覇”なんて騒いでいたけれど……さすがに今は、少し休みたい気分ですものね」
ヴィオレッタ様が横目でフレイヤ様を見ると、本人は照れたように笑った。
「う……はい、ちょっとだけ……でも、夜になったらまたお腹空いちゃいそうです!」
その元気な声に、馬車の中がやわらかな笑いに包まれた。
──そして、目的地はもうすぐそこに近づいていた。




